ヘイ・ジュードとMela!

 暮れに車を走らせていたら、カーオーディオからテンプテーションズの「ヘイ・ジュード」が流れた。カーオーディオにはiPodが接続されているので、多分その中に入っているオムニバス盤「Motown Meets The Beatles」に収録のものだ。


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 これ聴いていると「ヘイ・ジュード」が完全にゴスペルソングになっているなと思った。でも歌詞を含めていうとなんかこの曲はゴスペルをイメージして作ったのではないかとか適当に思った。

 もともとこの曲は当時、オノ・ヨーコと交際を始め離婚の危機にあったジョン・レノンとシンシアの間で傷心の日々を送っていた当時5歳のジュリアン・レノンを元気ずけるためにポールが作ったという。最初、歌詞は「Hey Jules」だったという話もある。しかし今ではこの歌はある種、傷ついた人々への応援ソングとして定着している。

Hey Jude, don’t make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

 このジュードは、発表当時にもユダヤ人から批判を受けたという話もあるが、「ユダヤの民=虐げられた人々」という意訳は出来ないか。さらに「Remember to let her into your heart」は直訳的には「彼女を君の心の中に入れる」だけど、「her」を神、あるいは聖母だとすれば、神を思い続ければきっと良くなるみたいにも解釈できる。

 まあここからは適当な思いつきだけど、ポールは自分なりのゴスペルソングを作りたかったんじゃないかと。で、ポールは天才なんで割とチャチャと曲を書いた。さらにゴスペル的に仕上げるためにあの盛大なコーダ「ナナナッナ~」を付け加えた。ポールは内心では「どうだい、最高のゴスペルソングだろ」くらいに思っていたかもしれない。

 まあゴスペルは狭義では黒人の教会音楽であるし、やや広い意味合いでもキリスト教の宗教音楽としてとらえられている。でも、今日的にはもっと広義な部分で、人々への応援ソングという位置づけで歌われていることが多いように思ったりもする。


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 これも暮れだったか、TBSで放送された小田和正の「クリスマスの約束」を録画したのを見た。その中で若い長屋晴子という歌手が出てきて小田和正と一緒に2曲歌った。キレイで歌の上手い人がいるもんだと思った。1曲目に歌ったのが長屋晴子がいる緑黄色社会なるグループの「Mela!」という曲だというのもその時初めて知った。いい歌だと思ったし、けっこう頭の中でリフレインしている。

 緑黄色社会はここ数年ブレイクしたポップス・グループだという。この「Mela!」も関連コンテンツを含めるとネットでの再生回数が1億を突破するメガヒットとなっているのだとか。

 音楽は割と好きな方だと思う。持っているCDは多分1000枚以上だし、iTunesに入っている曲は12000曲くらいある。主に聴くのはジャズ、60~80年代のポップスやロック、あとクラシックを少々か。しかし還暦過ぎのジイさんなんで基本古いものしか聴いていない。新しい曲や歌手へのアンテナを張るみたいな気力は失せているので、新しい音楽はほとんど聴かない。ここ20年くらいではまったのはというと、例えばジョン・メイヤーエイミー・ワインハウスやアデルくらいか。日本のものはほとんど聴かないか。一時期サンボマスターやゲスの極み、SEKAI NO OWARIPerfumeのCDは何枚か持っていたけどすぐに飽きた。今、新譜が出ると必ず入手する日本のアーティストって誰かいるだろうか、土岐麻子CKBくらいだろうか。

 まあそういう時代遅れのジイさんなんで、当然のごとく緑黄色社会というグループも知らない。グループ名の由縁が、緑黄色野菜を聞き間違えたところからくるというエピソードも「ふ~ん」という感じがするくらいだ。

 でも「Mela!」はいい曲だと思う。ただし気に入っているのは「ラララ」のところだけかもしれないけど。この曲も応援ソングとして受け入れらているようだが、この「ラララ」を入れたのはやっぱりゴスペルを意識しているのかなと思えたりもする。そう、この曲も現代のゴスペルかもしれない。多分、舞台の上で沢山の歌い手が、観客と一緒になって「ラララ」を合唱する、そういう絵が普通に浮かんでくる。

かっこいい君には僕じゃたよりないのかなんて

そりゃそうだよな だってこうして今もまよっている

手をとってくれないか ギブとテイクさ

君が僕のヒーローだったように

 曲解すればこの「君」は神、心の中にある信仰かもしれない。まあ曲解である。君がしょいこんでいるのは、原罪かもしれないし、人々の苦悩かもしれない。そして「僕」は「神」のためのヒーローになりたいと。まあまあ曲解が止まらない。

 ということで「ヘイ・ジュード」が広義のゴスペルソングであれば、多分「Mela!」も十分に現代のゴスペルソングとして成立するかなどと適当に思ったりもしている。

 

 長屋晴子という歌手は本当に歌が上手いし美人でもある。こういう若くて才能のある人がどんどん出てくる。それが21世紀的な状況だと思う。多分、テクニック的には若ければ若いほど上手い人が次々出てきている。それってどういう理由なんだろう。多分、様々なメディアを通じて、過去の名演奏、名技術に簡単に触れることができることなんかも影響しているのかもしれない。

 なのでジャズでもロックでも、多分クラシックでも、こと技術面に関しては若くて上手な人が沢山いるように思う。クラシックピアノでも例えばユジャ・ワンの演奏を聴いたときなどけっこうビックリした。しかもただ超絶技巧なだけでなく、けっこう一音一音が美しかったりもしたし。

 でも技巧面で優れていればいいかというと、そこがまた音楽の世界は異なる。同じピアノでも例えばアルゲリッチユジャ・ワンを聴き比べれば、アルゲリッチの貫禄勝ちみたいな部分もある。昔、ジャズギタリストのスタンリー・ジョーダンが両手によるタッピング奏法で出て来たときには驚異の技術みたいに思ったけど、誰かが「二人でやればいいじゃん」と言ったのを聞いたときには、そりゃそうだと思ったりした。まあ何がいいたいかというと、芸術においてはテクニックも当然必要だけど、多分それだけじゃダメっていうことなんだろうと。

 話を「Mela!」、長屋晴子、あるいは緑黄色社会に戻す。歌は上手い、でもなんでこんなに技巧的な、テクニックを誇張するような曲を作り歌うのだろう。「Mela!」も上にいったり下にいったりと大忙し、なんだかジェットコースターのような曲である。こんなに上下する早いメロディーラインを私は見事に歌いこなせますと、そんな風にアピールしているような感じもする。

 若い人は技術面、テクニックに優れている。なのでより難しい、あるいは高度な曲を作りパフォーマンスしないと、周囲と差異化されない、今はそういう風になっているのだろうか。この風潮も21世紀に入るあたりから顕著になっているのかもしれない。割と普通に聴いていたけど、例えばaikoの曲なんて譜面をみたらけっこうびっくりしたような気がする。コード進行が複雑だし、音はひんぱんに上下するし、転調は普通にあるしみたいな。それをあの伸びやかな歌声で普通に歌っている。

 ちなみにこういうテクニックを要するような曲を今の若い人たちは、素人さんでも苦も無く歌いこなしたりしているようだ。まあこれはカラオケの効能かもしれないなとか思ったりもする。

 でも例えば低音から高音まで出せるテクニックや能力があっても、それをいつも全開してジェットコースターみたいな曲ばかり歌う必要はないように思う。古い話になってしまうけど、例えばジュリー・アンドリュースは3オクターブ半くらいの音域があったけど、彼女が音が上下するような曲ばかり歌っていたかというとそんなことはない。ジャズ歌手としてはレジェンド的存在の故エラ・フィツジェラルドはスキャットで自在なアドリブが出来たしそれを売り物にしていたけど、それだけじゃもちろんなかった。

 歌の上手い人、故人だけどアレサ・フランクリンだって、カレン・カーペンター、エイミー・ワインハウスだって、今も活躍中のアデルやルーマー、リアン・ラ・ハヴァスだって、みんな抜群のテクニックをもっているけど、音が上にいったり下にいったり大忙しの曲なんてほとんど歌っていない。

 長屋晴子は多分、これからも活躍していくとは思うけど、出来れば今みたいなスタイルは卒業して大成して欲しいと思ったりもする。ジェットコースターソングもレパートリーの中にはあってもいいとは思うけど。

 まあグダグダと適当に思ったことだが、それでも「Mela!」はいい曲だとは思うし割と気に入っている。特に「ラララ」が。