ポール・マッカートニー再び!


生涯二度目、三日ぶりのポール・マッカートニーである。チケット流通センターで相応に割り増しで購入した。結局、ネットダフ屋だよなこれって。でも後悔しちゃいないぜ。完全に自分へのご褒美のつもりだし、71歳という年齢からすれば、最後の来日ライブになる可能性も高い。とかいって、クラプトンのように1年ちょっとで再来日みたいなこともあるけど。でもいいさ、ポールが元気に再来日果たしてくれればそれはそれで僥倖ということさ。そのときに生活に余裕があれば、また観に行くだけのことし。
セットリストは18日とまったく同様。なのでなんつうか安心して聴いていられる。3曲目は 「All My Loving」で最初のカタルシスがやってきて、 「We Can Work It Out」の後は、ポールがアコースティック・ギター一本で「Another Day」、「And I Love Her」と続き、この曲を作った頃、アメリカの人種差別問題が大きくクローズアップされていて、それをモチーフにしてみたいなポールのMCとともに「Blackbird」のイントロが流れる。そしてウクレレ一本を伴奏にしてジョージに捧げるという一言から始まる美しい「Something」。
すべては夢のようでもある。前回も書いたけど、今回のポールのライブは私にとって、いやドームにいた大多数の聴衆にとっては、まさしくポールによる一人ビートルズ追体験する場だったんじゃないかとも思う。なので、もう知っている曲はすべて、いや新しいアルバムからの曲以外はすべて知っているのだけれど、もうみんなポールの歌声と一緒に小声で歌いました。これもたぶん多くのあの場にいた、ビートルズの時代を共有してきたみなさんと同じだったとは思うけど。
なかにはポールの歌をジャマするおっさん、おばさんの歌をよしとしない人たちもいるのかもしれないのだが、今回のライブは絶対に合唱しちゃう場だったとも思うけどな。だいたいにおいて、「ポールの歌が聴きたい、おっさん、おばさんの歌声はじゃま」というような奴らがいるとすれば、その人たちはビートルズの初期の熱狂、例えばアルバート・ホールでのティーン・エイジャーたちの嬌声を、 あるいは武道館での熱狂をどう思うのだろうかね。周囲に煩いとか怒鳴り散らしているのだろうか。まあいいや。
最終日とあって主催者側からの粋なはからいで、観客全員にこんなものが配られた。サイリウムとかいう折り曲げると発光するもの。

中にはポール本人には内緒でアンコール曲の「イエスタディ」のときに観客が一斉にこの光を掲げてという仕掛けである。ちょっとしたポールへのサプライズになるというもの。で、どうなったかというとドームが赤い光に包まれて、ちょっとご機嫌な雰囲気になったわけ。

以前、アメリカでのライブDVDとかを観るとライブ最終日にツアークルーが最前列でポールへの感謝を込めて一斉にハートのプラカードを掲げるというのがあった。「ロング・アンド・ワインディングロード」を歌っていたポールがそれを見たとたんに、ぐっときて一瞬つまって歌えなくなった。そして歌い終えてから「いたずらっ子め」とつぶやいてから今プラカード掲げていたのは、みんなツアークルーだよと観客に紹介するみたいな感じだった。まあ一種そういう雰囲気を作ろうとしたというか、主催者と観客でポールへの感謝を込めてみたいな感じにしようとしたのかな。
そして本当のラスト、アビーロードのエンディング・メドレー「Golden Slumbers」〜「Carry That Weight」〜「The End」がかかると、なんかもう本当に終わってしまうんだなというどうにも切ない思いにかられた。「The End」のギターバトルの後、一瞬音が途切れた後にピアノが鳴り出すと、いつもどうにも淋しい思いにかられる。ビートルズのバンド演奏がこれで終わってしまうというどうしようもない惜別の思いだ。2時間半以上もの長大なライブの後、さいごにかかるのがこの曲であるのが言いようもなく悲しい。なんとも切なく、抒情、哀愁、失われてしまうものへの様々な感情がこみ上げて来る。そしてそれとは裏腹にビートルズ世代でいられたことへの確かな僥倖、感謝みたいな気持ちもある。
ライブ終了後、18日に一緒に行った友人から電話があり、「どうだった」と。その後待ち合わせて軽めに酒を飲む。やっぱり話したいことも少なからずあるし、良き音楽、良き友、良き酒ということでもある。