大衆天皇制論と天覧試合

 プリンセスの結婚報道を見ていて、松下圭一の「大衆天皇制論」を確認したくなって引っ張り出してみた。もともと『中央公論』(1959年8月号)に掲載された論文だが、後に三一書房刊行『天皇制論集』に収録されているもので、自分も高校生の時に買ったものをいまだに持っている。松下圭一は、丸山眞男門下で大衆社会論や市民自治を論じた政治学者で60年代の一時期論壇のスター的存在だった人だ。

 この論文の最後に興味を惹く一文が載っていたので引用してみる。

 六月二十五日は、安保条約反対の第三回統一行動の日で、日比谷で集会がもたれた。そしてその同じ時間に、プロ野球にはじめて天皇が出席し、満員の後楽園球場では五本のホームランが飛ばされテレビはそれを全国に流した。この後楽園球場における大衆と天皇--これが大衆天皇制論の縮図である。そして日比谷と後楽園のこの矛盾こそが日本の現実である。

 天覧試合は多分、60代以上の野球ファンならば覚えているかもしれない。天皇が初めてプロ野球観戦した巨人対阪神戦で、長嶋茂雄サヨナラホームランを打った試合として伝説のように語られる。

天覧試合 - Wikipedia

 天覧試合を長嶋茂雄サヨナラホームランとして記憶しているのだが、それが安保条約反対の集会にぶつけられたものだったとは。今でこそ安保条約は日米同盟の基軸のように受け止められているけれど、当時はその是非は国論を二分するものだった。翌年のいわゆる60年安保では国会前で大規模な反対デモが繰り広げられた。その一年前の反対集会の日に天皇の最初にして最後となるプロ野球観覧が行われた。

 おそらく翌日の新聞の一面は天覧試合の記事で埋め尽くされただろうことはまちがいない。そして安保条約反対の集会の記事は、おそらく社会面か政治面に小さく載ったのだろう。国論を二分するような重大案件の一方の側の集会に天皇プロ野球観戦がぶつけられた。

 プロ野球側、とくに巨人軍のオーナー正力松太郎はその年の1月から天皇観戦について宮内庁に申し入れていた。それが急遽決まったのは6月19日である。おそらく安保条約反対集会の日程は決まっていただろう。安保条約の改定批准を勧めたい政府側は、なんとかして安保条約反対の世論の盛り上がりを押さえたいと思っていたはずである。そこで反対集会に天覧試合をぶつけるべく動いた。6月19日に急遽、25日天皇観戦が決まったのはそんなことがあったのではないか。

 国論を二分する事案で体制側への異論を最小化させるために、国民的な人気のある皇室の行事や動向をぶつける。総選挙直前でのプリンセスの結婚という事象になんとなく60年前のプロ野球観戦を重ねてしまう

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