「コレクター福富太郎の眼」展を観る

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 再開された東京ステーションギャラリーの「コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画」展を観てきた。

 福富太郎が、有名な美術コレクターであることはその筋ではよく知られていることらしいが、自分はそのことをほとんど知らなかった。3月に国立近代美術館で開かれた「あやしい展」で鏑木清方を中心に多数の美人画を所有していることを知った。その時に目玉だった作品が多数、今回の企画展でも展示されている。鏑木清方の『妖魚』、『刺青の女』、『薄雪』、北野恒冨『道行』などである。コロナ禍、東京都と国の対策によって翻弄された「あやしい絵展」だったが、もともと3月23日~5月16日までの開催となっていた。そしてこの「福富太郎展」も本来は4月24日~6月27日の期間で開催されることになっていた。

 手元にある「あやしい絵展」の出品リストをみると「妖魚」や「薄雪」は3月23日~4月4日までの前期展示となっていたので、近代美術館、東京ステーションギャラリーという至近の立地での持ち回りをする予定だったようだ。学芸員の皆さんご苦労さまとしか言いようがない。

 福富太郎についていえば、「昭和のキャバレー王」という呼称も自分の場合はあまりピンとこない。ただしよくテレビに出てているキャバレー屋さん、ちょっと下品だけど元気の良いおっさんという記憶がある。確かワイドショーに矢代英太や中山千夏と一緒に出ていたことを記憶している。そのへんのことは図録でもこの企画展の監修をしている山下裕二がこんな風に書き出している。

福富太郎」-その名前と顔を私がはじめて脳裏に刻んだのは、小学生の頃、テレビを通じてだった。1958年生まれの私と同世代か、その上の世代の多くの方々も、そうではないだろうか。いまから50数年前、私が10歳ぐらいだった頃、彼は昼のワイドショーにコメンテーター的な立場で出演していた。そして、女性からの人生相談の回答者をつとめていたと思う。かなり甲高い声で、早口でしゃべる人だなという印象があった。そして、彼がキャバレーの経営者であることも、その頃小学生ながら、なんとなくわかっていた。  図録P10

 山下裕二とはほぼほぼ同世代である自分はまさにここに書かれたようにワイドショーを通じて福富太郎を知ったのだが、その彼が美術コレクターであるとは露ほどにも知らなかった。

 福富太郎日本画との接点は鏑木清方にある。20代の時に初めて入手したのがこれである。

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『祭さじき』(鏑木清方

 この絵について福富太郎はこんな風に評している。

みこしを迎える若い芸妓、その浮き浮きした心が伝わってきて、思わず抱きしめたくなるようだが、伏せた眼差しに情感のかげがある。病の母を思ってのことだろうか。幼い弟とともに楽しめぬうらみだろうか。     図録P34

  作品を鑑賞するうえで必要なのは作品によって想起される思いであり、鑑賞者の想像力ではないかと思わせる。その後福富太郎は次々と鏑木作品を入手し、それを持って鏑木本人を訪ね親交を深めていったという。なかには鏑木が消失したと思っていた作品もあり、鏑木はしばらくそれを手元に置きたいと福富太郎に申し出たこともあったという。これはもうコレクター冥利に尽きるかもしれない。この企画展の鏑木清方作品の目玉は「薄雪」と「妖魚」の二点ではと思う。そのうちの一点「薄雪」はまさにそれで、福富が持参すると鏑木清方は「しばらく手元に置いておきたい」と希望し、一ヶ月近く座右に置いておいたという。

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『薄雪』(鏑木清方

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『銀世界』(鏑木清方

 いつもの繊細な線による表現ではなく、髪の毛や羽織の襟などにぼかし、滲ませる表現で雪の中という雰囲気を表しているように思える。表情は今回の鏑木作品で一番好きかもしれない。
 

 その他、気になった作品を幾つか。

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『戸外は春雨』(伊東深水

 伊東深水日劇ミュージックホールの楽屋を取材して描かれた作品。1955年の作で戦後のモダンな伊東深水の特徴がよく出ている。衣服を脱いでいくストリップとは異なる裸体舞踊というのだそうだが、現在のマリオンがある場所の大きな舞台でのいわばメジャーなレビューショーの楽屋風景である。伊東深水はエロティックな雰囲気を嫌って、はじめは屏風絵にするつもりだったが、屏風絵だと女性たちがほぼ等身大となりかえってリアルになるため蒔絵にしたという話が図録の解説にある。

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『幕間』(池田輝方)

 池田輝方は川合玉堂に師事し文展で活躍した浮世絵系風俗画家で、同門の池田蕉園の夫でもある。この絵は大正時代の芝居小屋の幕間の華やかな雰囲気をよく伝えている。左隻には芝居好きな娘たちが売店で買い物する様子が描かれている。今でいえば、コンサートの休憩時間にグッズを購入するような感じだろうか。

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『お夏狂乱』(池田輝方)

 井原西鶴好色五人女』などにも取り上げられた姫路の旅籠屋の娘お夏と使用人清十郎の駆け落ち事件を取り上げた作品。狂乱の果てに座り込んで放心状態にあるお夏の姿が美しい色調、見事な構図の中で描かれている。輝方の画力は素晴らしいものがある。

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『よそほい』(上村松園

 図録によると福富太郎上村松園についてネガティブな印象があったという。

「私はどうも松園の美人画にのめりこむことができない。江戸っ子の私には京女のはんなりとした美しさが理解できないだけなのかもしれないが」 図録P85 

  そう語っていたが上村松園の作品の中でも重要とされるこの『よそほい』を蒐集していたことに、福富太郎の審美眼の高さを評価しているようなところがあるようだ。しかしあえて暴論めいたことをいえば、多分福富太郎は無類の女性好きだったのではないかと思ったりもする。もちろんキャバレー王として名を馳せるほどだから、女性はある意味彼にとって商売道具だったかもしれない。しかしそれとは別につねにエロティックな視線で愉しむ対象でもあり、またどこか憧憬なり賛美する対象でもあったのではないかと、そんなことを想像する。その根底には男性としての性的趣向なりももちろんあっただろう。

 そういう視線で見た場合、上村松園の作品はどうか。同性として彼女が描く美人画には、どこか性的なものが排除されている部分があるように思える。彼女が描く美人画には母性的なもの、あるいは凛としたとして表現されるような一種の精神性がある。そのへんが男としての女性を愛でるような、あるいは嘗め回すような視線を拒絶するようなところがある。それをどこかで感じ取ったため、どこか松園作品を苦手としたのではないかと。まあ適当な思いつきではある。

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『踊り』(松浦舞雪)

 多分、自分的にはこの作品が今回の企画展での最大の発見みたいな感じである。松浦舞雪という人は初めて知る人だ。大阪で北野恒冨の周辺にいた人らしいが没年すらわかっていないという。この作品も北野恒冨の『阿波踊』との類似が指摘されているのだが、この絵には阿波踊りがもつ動的なものがまったくない。静的に切り取られた一瞬であり、この絵からは三味線の音も阿波踊りの賑やかさも感じられない。とはいえそこに虚ろなものはなく、まさに華やかさ、踊る若い娘たちの美しさを永遠に切り取ったような趣がある。

 松浦舞雪についてはネットでもあまり情報もないので、図録の解説をそのまま引用させてもらう。多分、今現在もどこかの美術史を研究する誰かが、この人のことを研究し発表する機会を待っているのかもしれない。

松浦舞雪 (まつうらぶせつ) 1886-没年不詳

広島に生まれる。1907年京都市美術工芸学校絵画科卒業。1909年第3回文展で入選。1912年北野恒冨らの大正美術会に対抗し、四条派系の中川和堂を中心とした土筆会の結成に参加するが後に分裂し、大正美術会に移る。大阪の恒冨の周辺で制作を行っていたと考えられているが、1916年第2回大阪美術展覧会の入選以降、公募展への出品歴や画業の足跡が判明していない。没年も1965年頃とも1970年頃ともいわれ、今後の調査研究がまたれる。 

  この絵と類似したといわれる北野恒冨の『阿波踊』についてネットで検索すると割とすぐに見つかる。切手の図版にもなったということで、けっこう有名なようだ。

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『阿波踊』(北野恒冨)

 なるほど松浦はこの絵を参考にしたのかもしれない。それほど近似性があるのだが、北野のこの絵には阿波踊りの動的なものが感じられる。なんなら三味線の音も聞こえてきそうだ。観る者にそうしたものを喚起させる部分を含め、北野のこの絵の方が完成度が高いとは思う。でも自分は松浦の『踊り』のものつカラフルでありながら、どこか書割のような静的な一瞬を切り取ったような描写が嫌いではない。