高崎市タワー美術館「日本画の風雅-名都美術館名品展」

 昨日、高崎市タワー美術館で開かれている「日本画の風雅-名都美術館名品展」に行って来た。実は6日にも訪れたのだが連休明けの休館だったので再チャレンジ。ただし前期展示が5月9日までだったので、上村松園の幾つかの作品を観ることができなかったのが残念、とこれは出品リストを見てからわかったことだけど。

 この美術館は高崎駅から歩行者デッキで直結した高崎タワー21の中にある。この高崎タワーは低層階がテナントスペース、高層階が住居スペースのタワーマンションで美術館は3階、4階にある。高層マンションの中にある美術館という点でいえば、ちょっと八王子夢美術館と同じ趣がある。

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高崎市タワー美術館 | 高崎市

 八王子夢美術館は駅から徒歩で10分前後かかるが、それでも八王子市民は駅近に美術館があるということに羨ましさを感じたが、高崎の場合は駅に直結したところにある。高崎市民は恵まれていると思うし、これはもっと誇っていいかもしれない。

 今回の企画展「日本画の風雅-名都美術館名品展」は愛知にある名都美術館所蔵の日本画から67点が出展されているもの。これがもう名画揃いでちょっと感動するようなラインナップ。

 名都美術館は不勉強のせいか初めて知る美術館。1987年に名古屋市内に開館し、1992年に移転した私立美術館。自動車部品メーカー林テレンプの経営者林軍一が収集した日本画を公開するために開設したという。

 名都美術館

名都美術館 - Wikipedia

 長久手市というと小牧長久手の戦いを連想する。あれはたしか豊臣と徳川が争った戦いだったか。小牧といえば東名の小牧ICがあるところだから、多分車では高速上を何度も走っている。さらにいえばあのへんには出版取次トーハンの中部ロジスティックセンターがあり、それ以前はトーハン小牧という物流倉庫だった。30年くらい前、まだ出版社の営業をしている頃に何度か訪れている。電車とタクシーで行ったのだが、位置関係とかはまったく意識していなかった。

 場所的にはギリギリ日帰りが可能な所でもあるので、一度行ってみたいと思ったりもする。まあロングドライブが可能なここ5年くらいの間かなとも思ったりもする。

 企業家が収集した美術品を財団所有にして美術館を設立、一般に公開するために美術館を作るというのが素晴らしいことだと思う。この国には、ポーラ化粧品鈴木常治(ポーラ美術館)、山種証券山﨑種二(山種美術館)、根津財閥根津嘉一郎根津美術館)、ブリジストン石橋正二郎(アーティゾン美術館)など、美術を愛好する企業家者にして篤志家が多数いたということは、美術を愛する人々にとっての僥倖だと思う。

 日本画の風雅ー名都美術館名品展/高崎市タワー美術館 | 高崎市

 今回の企画展「日本画の風雅-名都美術館名品展」は二部構成になっていて、4階が「麗しき美人画」として上村松園伊東深水鏑木清方、伊藤小坡の作品31点が展示されている。上述したように前期展示4/10~5/9、後期展示5/11~6/13で上村松園の作品が差し替えがあり『わか葉』、『春秋』など重要な作品が観ることができなかったのが残念。それでも上村松園7点、伊東深水8点、鏑木清方6点、伊藤小坡5点は圧巻だ。

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『人生の花』(上村松園

  後期展示のある意味目玉的作品。1899年、松園24歳とかなり初期の作品になるが完成度は高い。母親の後ろに一歩下がってついていく花嫁の姿を描いた作品。松園はこの作品について、花嫁の恥ずかしさや嬉しさ、嫁入り衣装の着付けなど自分の体を母親や親類の女たちにまかせている姿に、人生の花ざかりを感じたと記している。

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『紅葉可里図』(上村松園

 1914年頃、松園39才の時の作品。浄瑠璃『生写朝顔話(朝顔日記)』の主人公深雪を主題にした作品。

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『湯気』(伊東深水

 湯けむり超しに描かれる朦朧とした表現は画家の画力のたまものかもしれない。モデルは妻の好子で、浴衣の袂を銜えて手ぬぐいを絞る姿、はだけたうなじから肩などに仄かな色気が漂っていて印象的だ。1924年、深水26歳の時の作品。13歳で鏑木清方門下に入り、16歳で再興院展に入選した早熟な天才はすでにこの時点で美人画の円熟した技術を獲得している。

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『鏡獅子』                  『ささやき』

 『鏡獅子』は1946年の作、『ささやき』1959年の作。伊東深水は戦後になってからオーソドックスな美人画からモダンな画題、構図、表現へと変化を遂げていく。そのへんを確認できるような作品だ。深水は自らを風俗画家と称してこんな風に画風について語っている。

もともと風俗画家は、時代の波につれて作品の気分がロマンティックスになったり、固くなったり、モダーンになったりするものである。というのは、婦人の流行感覚にもっとも時代が反映するもので、これはまた作品に映ってくるわけである。 

『名都美術館コレクションⅡ-美人画の粋と雅』P57

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『春宵』(伊東深水

 1931年の作品。深水曰く「美酒のほてりにウットリとした美妓が欄干にもたれて、ひらひらと散りかかる花びらに眺入った情緒を写したもの」という。もう古い世代の人間でないと判らないネタだが、伊東深水の娘といえば朝丘雪路である。彼女は芸妓との間に出来た非嫡出子だったが、深水は彼女を溺愛しておよそ世間ずれしたようなお嬢さんとして育てた。朝丘雪路が宝塚に入学したのも、宝塚を創設した小林一三と深水が友人同士だったので、深水が頼み込んだというエピソードもある。
 朝丘雪路の母親は芸妓で料亭「田村」の女将になる勝田麻起子だ。朝丘雪路が生まれたのは1935年、そしてこの『春宵』が描かれたのは1931年である。ひょっとしたらこの絵のモデルは勝田麻起子かもしれないとは、凡人の俗な想像だ。

 その他では鏑木清方、伊藤小坡の作品にも気に入ったものがいくつかあった。

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『蛍』(鏑木清方)        『初夏の化粧』(鏑木清方) 
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『尚武』(伊藤小坡)          『春駒の図』(伊藤小坡)

  3階には「日本画の巨匠たち」というタイトルで35点の作品が展示されている。横山大観竹内栖鳳川合玉堂小林古径橋本関雪安田靫彦前田青邨、小野竹喬、山口華楊、東山魁夷加山又造平山郁夫など早々たる巨匠の作品群でこれもまた圧巻である。

 その中には門外漢である自分の知らない画家も当然のごとくいる。

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『茜空(夕)』(岩橋永遠)

 岩橋永遠(1903-1999)は、安田靫彦の師事し再興院展で活躍し、法隆寺金堂壁画の模写事業に参加した画家とある。茜に染まった夕暮れ、電線や屋根に羽をやすめる鳩を描いた作品である。抒情、物淋しさ、そうした画家の心情が投影されていて、心に残る作品。

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『原生』(山口華楊)            『生』(山口華楊)

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『玄猿図』(橋本関雪

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『正気放光』(横山大観

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『初冬』(小林古径

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『初夏の花』(小倉遊亀