『ヨコハマメリー』を読む

 『ヨコハマメリー 白塗りの老娼はどこへいったのか』を読んだ。栞がわりに使っていたレシートは去年の12月9日。ダラダラと少し読んではそのままにしていたのをようやく読み終えたというところか。本書は2006年に公開されたドキュメンタリー映画ヨコハマメリー』の制作ノートである。中村高寛監督がいかにしてヨコハマメリーに興味を覚え、そのドキュメンタリー映画にのめり込んでいったのかを、横浜の近現代史を紐解きながら描いていく。しかし横浜に住む一部の人々には有名なある意味都市伝説ともいえる白塗りの老いた娼婦は映画製作の後半にいたるまで、その所在は不明である。この映画は対象不在のドキュメンタリーという形をとっていくことになる。

 自分も横浜に生まれ育った。一時期、小学校に上がる前後の3年くらい川崎にいたことがあるが、それ以外はずっと横浜である。もともとは中区山下町、いまでいうと元町と中華街の間の通りあたりで生まれた。そこには5歳くらいまでしか住んでいないが、その後川崎から戻ってきて住んだのは南区、後に分区して港南区になったあたりだ。

 そのため古い時代の伊勢佐木町の記憶はけっこう覚えている。よく家族で野沢屋や松屋に来て食堂で食事をしたり、屋上で遊んだりした。ほぼ向かい側にある不二家でパフェを食べたり、だいぶ行った先のじゃのめやで夕食をとったり。父とはよく伊勢佐木町近辺の映画館に毎週のように通っていた時期もある。中学くらいになると一人で有隣堂で半日過ごすなんてこともあったし、一人で映画を観に行くことも増えた。

 ある意味、伊勢佐木町は自分にとっては庭みたいなところだった。多分それが高校くらいになると野毛から紅葉坂近辺にと移っていったのだと思う。

 なので当然、メリーさんの噂は何度も耳にしているし、ひょっとしたら一度や二度目撃しているかもしれない。なにせ相手は横浜の都市伝説なのだから。

 戦後の横浜は所々、米軍に接収されていた。伊勢佐木町もそうだったし、自分が住んでいた山下町近辺でいえば港はほとんどがそうだったし、本牧には米軍の住宅があった。自分の家はクリーニング屋をしていたが、米軍住宅もけっこうなお得意先で、バイクで集配に行ったりしていたらしい。

 横浜にはアーミー、兵隊を相手にする様々な商売が盛んにおこなわれていた。いわば植民地都市みたいな性格を帯びていたのだと思う。当然のごとく米軍兵士の相手をする夜の女も相当な数がいたのだと思う。メリーは米軍将校相手の娼婦だったという。そういう出自の女性がそのまま老いてもなお、白塗りの娼婦として街をさまよい歩いていたことは、そのまま生きた裏面史みたいな存在だったのだと思う。

 横浜はお洒落な港街ではなくていかがわしい場所でもあったということ。そういうものが自分の拙い記憶の中にも残っている。横浜の裏面、いかがわしさ、そういうものが次第に華やかな街へと変貌し始める中でも存在し続けたということが、メリーという白塗りの老娼が都市伝説化することになったのだと思う。

 本書は映画の制作ノートとしてメリーと関わりにあった人々にインタビューをした記録でもある。不在のメリーとは別にメリーを支援していたシャンソン歌手にして元ゲイボーイである永戸元次郎という人物が大きくクローズアップされている。元次郎という人物の協力を得て、彼をもう一人の主役に持ってきたことで映画のテーマは確立したのだと思う。それは横浜がかってヨコハマという裏の顔をもつアンダーグランドであったこと、そこに逞しく生きる人々がいたことの記憶を探っていくということだ。

 もはや横浜を離れてから25年以上の月日が経つ。かって横浜=ヨコハマに住んでいた者にとっては本書は懐かしさと共に、そのヨコハマへの思い入れを蘇らせるような部分があった。だらだらと読んでいたのは、一気に読み飛ばすにはちょっとばかりヨコハマへの思いや諸々があり過ぎるからということもある。とはいえ病み上がりの中で後半の100頁くらいを一気に読んだ。

 ついでにいえばドキュメンタリー映画の方もネット配信でもすぐに観ることができるし、DVDも出ている。読み終えてから早速観てみた。活字の中に出てくる人物が画面の中で動き語り、歌う。焼けて駐車場となった根岸家の前で、よく知る人々がその記憶を語る。なるほど中々の力作ドキュメンタリーになっている。この映画がドキュメンタリーにしては異例のヒットとなった理由がわかるような気がする。メリーと永戸元次郎という、今風にいえばエッジが効き過ぎる人物を主軸しながら、見事にヨコハマアンダーグランドの記憶が描かれているからだ。

 映画で省略された部分、その背景にあったものが本の中では詳細に描かれている。なので映画と本書はセットにするのが一番だとは思った。 

ヨコハマメリー

ヨコハマメリー

  • 発売日: 2016/02/10
  • メディア: Prime Video