兄の遺した俳句

 兄が使っていた携帯はスマホではない所謂ガラ携だ。かなり古いタイプのものだが、それでも料金は発生するので早めに解約手続きをしなくてはいけない。念のため中に入っているデータ等を確認してみたところ、メモというファイルが20くらい保存されている。開いてみると、そこには俳句らしきものが残っている。

 兄が俳句をやっていたのかどうかあまり覚えていないが、記憶をたどっていくと確か以前住んでいた横浜のジャズ喫茶の仲間同士で句会のようなことをしているみたいなことがあったような。定かではないけどそんな話を聞いたことがあった。

 俳句は一つのメモに4~5首くらいで、せっかくなのでワープロに書き出してみると全部で168首あった。それが兄の自作なのか、句会で出た誰かの句を集めたものなのか、あるいは兄が気に入った誰かの俳句を記録したものなのかはわからない。ある意味もうそれは永遠にわからない。自分はあまり俳句とかには詳しくないが読んでみると、多少類型的ながらも写実性を重視した、一定のレベルにはあるかなと思ったりもする。

 兄の自作かどうかもしらず、ただ兄のガラ携に残っていたものという前提のうえで書き出しておく。いずれ忘れられてしまうだろう兄の記憶の一部として、ごくごく私的な記録として。

大仏の 首借り受けし 初詣

地蔵立つ 水路を飾る 冬の菊

落ち葉踏み 下る佐助の 獣道

破魔矢売る 朱印所脇の 大草履

寒凪や 鳶輪を描く 由比ガ浜

池尻や 家鴨戯る 木下闇

高麗川や 夏鶯谷の 谷渡り

藍碧の 笹五位羽ばたく 夏の池

夏夕べ 黄金の聖宮 眩しけれ

雷(いかづち)へ 向かひて昇らん 塔の龍

寛永寺 隣りは園児の 運動会

稔り田に 吊られて揺れる ビニ鴉

古酒屋 軒借り凌ぐ 秋の雨

夕暮れの イーハトーブに 秋茜

三崎の 徳川慶喜の 墓所

テーブルに 蟷螂落ちて 幼女泣く

かなかなと 鳴く音追いかけ 杉の中

蜻蛉二羽 Dの字となり 飛びにけり

研究の まとめに苦闘 休暇果つ

堰堤に 並ぶ鵜の列 兵儀礼

軒下や 箸風鈴と 忍籠

雨を乞ひ 雷電池に 龍を呼ぶ

サンバあり エイサーありの 夏祭り

緑陰や 幻が如き 五位の影

弁天堂 映える御池の 錦鯉

通し鴨 青首黒く なりにけり

蘭鋳の 頭は如来の 螺髪かな

青白き 死面の如き 夏の月

紅色の よひら咲く路 人走る

寒風や 自転車飛ばせば 顔痛し

緋鳥鴨 茶髪モヒカン ビジュアル系

強東風や 停めし自転車 なぎ倒し

金の鈴 飾る庭の木 蜜柑かな

紅鶴の 淡き桃色 春の色

唐天の 碧き光沢 鴨の首

冬の夜に 祝杯一気の 誕生会

枯蓮の 向こう仰げば 朱赤の堂

スワン船 もやふロープに 百合鴎

不忍を 歩かば白き 寒椿

竹林を 黄金に染める 冬茜

落鮎や 白きせせらぎに 影写す

凍空に 二筋三筋の 白き糸

紺碧の 宵に明るき 冬の星

冬ざれの 丘に聳えし 石の塔

残り蚊に 刺されて痒し 吾が頭

仙翁花の 額の花びら 未だ青き

誰も居ぬ 桟橋濡らす 五月雨

雲蔭の 湖面に消えし 小鯵刺

不忍池や 蓮華の下に 群れる鯉

向日葵や オランダ風車と 路の駅

のうぜんの 花紅鶴の羽 似たり

金黒が 鯉の餌横取り 華の下

茶房濠 小米柳と 錦鯉

山吹の 咲く路間門の 渚跡

縁台で 御膳頂く 華の宴

捨て船の 背後に燻る 華の雲

東風吹きて 舗道埋める 浜の砂

早春や 竜宮駅舎に 鳶舞ひて

春の磯 釣れるは柊魚 ばかりなり

岩畳 石蒪に足を 捕られけり

味噌汁に したき岩場の 石蓴かな

電飾で 飾る雪吊り 夜の庭

茶房より 鴨場を望む 中の島

魚河岸の ふ頭に群れなす 冬鴎

濠端の 菰巻く離宮の 松並木

釣り上げし 寒眼仁奈(グレ)活ける 汐溜まり

ビル窓や 寒月映す 大鏡

アカエリの にほ群れし 多摩の湖

団栗を 拾ひて投げる 男の子かな

間門浜 今はみづきの 並木路

松の芯 昼の緑の シャンデリア

つつじ咲く 茶房の庭に 鷺一羽

卒業を 迎える羽織の 女子大生

梅園や 探幽画きし 屏風かな

犬ふぐり 碧に散らした 瑠璃の玉

菜の花や 光り眩き 金回廊

紅色の 小さき釣鐘 桃の花

梅林を 妖しく照らす 月明かり

白き地に 紅ひときは 残雪梅

瑠璃色の 水辺に芽を出す 蕗の薹

文机 椿が如き 木目かな

アネモネを グラスに写して 酒を飲み

冬ざれや 常滑模様の 崖の肌

冬波に 打たれて吠える 海馬の岩

冬日向な 浴びて船出る 帆船かな

曙光や 影くっきりと 枯れの山

鼬川 せせらぎ見下ろす 萩の塔

密かに 大文字咲く 尾根の道

組み紐の 飾りが如き 田村草

庭先に 紫鮮やか 鈴子香

銅の獅子 水吐く泉に 萩揺れる

黄金の ブローチが如き タカオギク

白粗目 まぶすが如き 薄荷花

公園の 赤い垣根は 曼殊沙華

白鷺や 群れて欅の 花となり

夜勤明け 朝日に眩しき 月見草

縁日の 綿菓子に似たり 白木槿

夏去りて 手鞠の花も 浅黄色

秋雨や 仕事流れて 空恨み

チヌ釣りや 掛かるは童の 竿ばかり

岩窟の 龍の口より 湧く泉

ガス灯の 焔が如き 昇り藤

蝋燭の 如き蜻蛉が 飛ぶ御池

夾竹桃 白さ一際 御苑かな

大手鞠 雫も弾く 白さかな

枇杷の実や 甘味の後の エグさかな

サルビアや 不動の背なの 焔かな

さつき展 テントの中で 寝ずの番

黄琳や 翡翠が如き さつきかな

夏の川 カヌー浮かべて フライ釣り

年の瀬や 工事重なり 苦情あり

吹く風や 落ち葉清掃 きりがなし

敷き詰めた 落葉をソファーに 寝てる猫

駐車場 お湯かけ溶かす 霜の花

美容室 飾る垣根は 実南天

枯蔦や 朽ちたスタンド 哀れなり

霧雨の 燻る林の 紅葉かな

馬場跡を 走るはジョギングの 人の群れ

山茶花で 作る生け垣 砲の弾

緑濃き 茶畑に咲く 白き花

匠技 朱盃に彫られし 菊蒔絵

夕空に 山形絵描く 雁の列

川柳の 名句的得たり 残暑かな

色あせた 羽変わり前の 夏真鴨

浦山の ダム上掠める 椋鳥(むく)の群れ

新蕎麦の つゆは秩父の 胡麻ダレ

秋蝉の 声聞く秩父の 遍路路

十字架の 墓石を囲む さつき塀

湾岸橋 走る車お 光る風

写生会 児童が画く チューリップ

水工場 跡地の今は 鯉の池

石楠花や 緑の館の 庭に咲く

唐茄子屋 貧しき母子に 情けかけ

青き湖 囲む峰々 装へり

秋の峰 合間に顔出す 白き富士

弦月や 天が翳せり 神の太刀