西洋美術館-ロンドン・ナショナル・ギャラリー展再訪

 18日で終了するというので西洋美術館のロンドン・ナショナル・ギャラリー展に行ってきた。

 この企画展には6月18日初日に来ているのだが、これだけ大規模な企画展だともう一度観ておきたいと思ってもいた。せっかく仕事を辞めたことだしウィークデイに行けるのだからということで出かけた。木曜はカミさんのデイサービスも休みなので二人で行くことにした。これは前回も同様。

西洋美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 - トムジィの日常雑記

 ウィークデイなのでかなり閑散としているのかなと想像していたのだが、どうしてどうして、閉幕間際ということでかなり混んでいる。事前予約制をとっていてこの混み方なので、多くの方が見逃してはみたいなモチベーションなのかもしれない。それもウィークデイに時間の取れる自分のような高齢者だけでなく、若い人、また中高年の方々も多数見受けられた。

 前回もけっこうじっくりと観ていたのと、図録も買って見ていたこともあり、新たな感動みたいなこともなく、今回は自分の好きな近代、印象派のものを集中して観た。そしてやはりこの企画展の目玉というべき作品はやはりこれ。

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「ひまわり」(ゴッホ

 近くで筆触を細かく確認するような見方もあるのだろうが、今回はやや離れて時間をかけて観た。印象派の作品は、やや離れて観た方が筆触分割された色彩が視覚混合されて味わい深い絵画空間として浮き上がってくる。昔、川村美術館でガイドの方が絵の説明をする際に、モネは最低でも5メートル離れて見た方がいい。ベストは7メートルから10メートル。すると分割された筆触が目の中で混ざり合ってより味わい深くなるみたいなことを説明されていた。

 それ以来、出来るだけ離れて見るを実践しているのだが、実際その通りである。近くではただの単色の筆触に過ぎないものが視覚混合されてまさに光に移ろう鮮やか景色に、人物として目の中で蘇ってくる。

 ゴツゴツとして荒く、ときに厚塗りのゴッホの絵もまた同様にやや離れてみると味わい深いものが目の中で構成されてくる。しかしかくも黄色にこだわり、やや枯れかかったひまわり様々な思いを込めて描くことになったのか。ゴッホ後期印象派として紹介されることが多いが、この人は激情型の象徴主義としてくくった方がいいのではないかと思ったりもする。

 同じ後期印象派ゴーギャンは、平板的かつ装飾的な画面構成により象徴主義の開祖のように紹介されることが多い。しかしより象徴性をキャンバスに込めたのはゴッホだったのかもしれないとそんなことを考えることがある。後の象徴主義の画家の多くがゴッホの影響を受けた絵をものにしていると思えるところもある。

 「ひまわり」ついでに花瓶に生けられた花を題材にした作品をあげるとまずはゴーギャン

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「花瓶の花」(ポール・ゴーギャン

 ゴーギャンのこんな絵を観てしまうと、象徴主義の画家オディロン・ルドンゴーギャンの相関関係とかも思わざる得ない。

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「ばらの籠」(アンリ・ファンタン=ラトゥール)

 ラトールを見るにつけ、画力、絵の上手さという点で、ラトゥールは同時代の画家の中で頭抜けた存在だったんだと改めて思う。ここには単なる写実、細密描写を超えた本質美がきちんと描かれているように感じられる。