こども動物自然公園再訪

 高坂のこども動物自公園に来た。

埼玉県こども動物自然公園 Saitama Children's Zoo

 大学生の子どもが久々に来たいという。子どもも来年には就職となる。なんとなく回顧モードなのかもしれない。

 ここは子どもが小学生になる前はかなりの頻度で訪れたところだ。一番多い年には月に1〜2回は来ていたのではないか。家族三人で弁当を持ってピクニック気分で行ったものだ。共稼ぎだったのでカミさんが土日にグタッとしていることもある。そういう時には父と子の二人で来ることも何回、いや両手くらいの回数はあったかもしれない。

 アップダウンのある広大な敷地内をうろうろしていると、けっこうな運動になった。子どもは帰りはたいてい寝てしまったのではないか。こっちもかなりぐったりとした。40代半ばくらいでけっして若い訳でもなかった。

 子どもが小学校に入る頃から次第に足が遠のいた。子どももあまり動物園とか言わなくなったか。決定的だったのはやはりカミさんが病気で倒れたことだったと思う。子どもが小学校の2年の時だ。もう15年も前のことである。子どもと二人で来るのもなんとなく差し控えるようになった。そしてカミさんの車椅子を押してあのアップダウンはかなりしんどい。

 今回は自分と子どもで代わりばんこに車椅子を押した。やはり登ったりするときにはけっこうな体力を使う。自分も還暦過ぎてかなり体力面は落ちた。とはいえ大人二人で交代できるのでなんとかなった。

 ほぼ15年ぶりの動物園は記憶の中にあるままだった。キリン、最初の頃子どもはキリンをチリンちゃんと呼んでいた、カンガルーやワラビーなどなど。いつか孫でもできればまた来るかもしれない。そんな日が来るかどうか、まあ神のみぞ知るというところか。

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 園内にあるビアトリクス・ポター資料館にも初めて行ってみた。言わずと知れたピーター・ラビットの生みの親である。

大東文化大学ビアトリクス・ポター資料館

 動物園に近接した大東文化大学が運営している資料館だ。ピーター・ラビットの初版本などが飾ってある。湖水地方で少女時代を送ったポターは、最初細密なスケッチで菌類の研究をしていたが、当時のイギリスで女性が生物学者として認められることはなく、そのため絵本作家に転身したというようなことを何かで読んだことがある。この資料館ではそのへんのことはあまり詳しく紹介されていなかった。ようは絵本作家ポターの資料館ということだ。

 ピーター・ラビットといえばどうしても思い出してしまうのはピーターのお父さんである。マクレガーさん農場で事故にあい(捕獲された)、こういう姿になってしまった。ピーター・ラビットの家系図には必ず紹介されている。

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