3日はいちおう一日くらいは観光をということで、舞鶴の方に行ってみることにする。といってもきちんと下調べをしていなかったので、昼食をとる間の時間繋ぎみたいな感じで前回も行っている舞鶴引揚記念館に行くことにした。まあたまに戦争の事績に触れるのもいいだろうというところもある。子どもも一度はこういうところを見ておくのもいいという気もするし。
ボランティアで解説をしている年配の男性が、いろいろと説明をしてくれる。そのなかで興味を覚えたのはこんな話。
シベリアに抑留された日本人は約60万人。そのうち亡くなったのは約1割の5万5千人。それに対してドイツ人の抑留者は240万人。死者はその4割にも達したといわれている。
そうなのである。シベリア抑留というと、日本の兵士が被害者のような印象に陥りかねないが、これは戦争の悲劇であり、敗戦国に課せられた悲劇という側面で考える必要があるということ。さらには世界史レベルで考える必要があるということなのだ。
負けた日本やドイツは一方的に被害を被ったのが抑留かもしれない。しかし一方で第二次世界大戦でもっとも被害を被ったのはソ連だということも事実なのである。戦争の悲劇は多面的に捉えなくてはいけないとは思う。
しかし、この記念館で抑留された日本人が家族との間で交わした手紙を読んでいると、つい目頭が熱くなってくるというか、こみ上げてくるものがある。戦争は絶対に起こしてはいけないと、そういう思いになる。
舞鶴記念館を出てからはすぐに普通のお気楽観光客に戻る。昼食は道の駅の舞鶴港とれとれセンターで海鮮丼を食すことにする。
多少値ははるが新鮮な海鮮丼はそこそこに美味い。
やや遅めの昼食を食べてからは宮津に戻り、天橋立周辺を散策することにする。ずっと雨が降ったりやんだりだったが、遅い時間になってやっと雨が上がった感じ。
まず知恩寺で初詣、家族の健康をお祈りする。
それからかなり夕暮れが迫ってきていたが高速遊覧船に乗って宮津湾を周遊した。このへんは以前家族三人で訪れたときと同じパターンである。ほんの少し前のような気もするのだがもう8年前になる。子どもはまだ中学生だった。会社でトラブルがあったとかで、電話がかかってきて、いろいろと指示を出したなんてこともあった。
遊覧船での周遊は30分。多分、家族三人でこういうのはもうないんだろうなと思ったりもする。
船を降りてからは少しだけ天橋立を歩いた。じょじょに周囲が暗くなってくるので、本当に少しだけという感じだった。