二俣川西友

 カミさんが友人宅で食事会を行うという。場所は横浜というので送っていくことにする。友人は二人、昔同じ会社で一緒だった。まあある意味、女子会とでもいうのか。
 ついでにいえば、自分も同じ会社にいたし、カミさんともう一人の方は自分の部下だったということもある。かれこれ30年近く前の話にはなるが。
 横浜の友人宅は相鉄線の沿線にある。カミさんを送っていくということは当然のことながら、迎えにいくということでもある。この食事会は持ち回りでやっているので、もう一人の友人宅がある都内でもあるし、もちろん我が家で行なったこともある。
都内であればカミさんを送って一度家に帰ることなんてのもできないではないが、さすがに横浜となるとそういう訳にはいかない。どこかで時間を潰すことになる。
 以前、一年以上前になるが、そのときは海老名の図書館へ行った。例のTSUTAYA図書館でスタバが併設されている。一度もそのTSUTAYA図書館というのに行ったことがなかったので、見てみたかったということがある。といってもあれは一度行けば十分かもしれない。
図書館としては割と普通で開架式のそれはなんとなく本屋テイストはあるにはある。棚の上部の背だけのハリボテ洋書もしっかりとあった。とはいえ開架のそれなりの充実は、そのまま閉架部分をあまり重要視していないのかと想像させるものがある。
図書館の重要部分は閉架蔵書の充実と徹底されたレファレンス機能だ。閉架をバックヤードの在庫という風に考えれば、その充実は書店的な発送からすれば真逆になる。本屋は出来るだけ在庫を持たず、店頭在庫を充実させることが必要だからだ。本屋の棚下の在庫がパンパンになっていて、ほとんど補充されないようだと、多分相当に回転率が悪いということになる。
書店に勤めていた頃は、新学期には教科書、参考書、ロングセラー品などを棚下バックヤードがパンパンになるほど仕入れる。しかし新学期が終わる頃には在庫品はほとんどなくなるようにしたもんだ。当時の上司は在庫に厳しい人だったので、ふだんの仕入れや新刊等を棚下等に入れるのを嫌った。なので新刊が多少多い時でも出来るだけ店頭に陳列させる。棚から抜き取った分は速やかに返品を実践していた。
話は脱線である。今回も海老名の図書館に行ってみようかと最初は考えた。でもけっこう遠いし、どうせスタバで時間を潰すことになるのだろうと考え、スマホで近くのスタバを検索すると、二俣川にあるという。行ってみると西友の中に入っている店舗だった。二俣川西友、なんとも懐かしい響きである。ここにはかれこれ40年近く前に何度か行ったことがある。高校が二俣川から二駅手前のところだったということもあるにはあるが、西友は父親の勤務先で時々行くことがあったからだ。
父は60になる少し前に体を壊し、それまで勤めていた会社を辞めた。確か日本鋼管の子会社で現場仕事だったと記憶している。それからしばらくして勤めたのは警備会社で、そこは主に西友の警備をやっていた。そのため西友のあちこちの店舗に勤務していた。長かったのは大船の西友だったのだが、警備員の休みとかがあると応援で入ることもあったし、同じところに長くなるのを会社も西友もやや嫌うところもあり、たいていは2〜3年に一度は変わるようになっていた。
二俣川の店舗にも多分数年は勤めていた。よく勤務明けの時に行って帰りに食事を奢ってもらったりとかした。そういうこともあり、この店はなんとも懐かしく、ふだんあまり思い出すこともない父親の記憶が蘇ってくる。
もちろん店舗は相当にリニューアルされているから、当時とはほとんど様子も違っている。でも二俣川という場所、西友という店舗には父親の記憶と結びつくものが諸々ある訳だ。
二俣川の駅周りも昔に比べるとずいぶんと変わった。そういう意味では横浜はここ20年くらいの間に大変貌を遂げた。例の環状線という片側三車線の道路もそうだが、私鉄沿線の駅とその周囲は本当街並みが変わってしまった。
今回は車で行ったのだが、二俣川、一駅前の鶴ヶ峰といったところも昔の面影があまりない。まあ高校生の頃だから、もう大昔のことだから、これはこれで致し方ない。
結局4時間スタバで時間を潰した。Macと本があれば相当な時間暇つぶせる。カミさんから電話があったのは8時を少し回ったあたり。それから迎えに行ったのだが、友人宅に着いて電話を入れてから、さらにそこから30分ちかく待たされた。気のおけない友人たちとのリラックスした飲み会で、うちのカミさんいささか飲みすぎたみたいで、けっこう酔いが回ったみたいだった。
 出る時になんとなく目に入ってきた張り紙には、このスタバが今月いっぱいで閉店となるという告知があった。曰く15年のご愛顧に感謝するという。その後は再開発が進む二俣川の駅ビル内に新店舗ができるとか。初めて入った店がいきなり閉店というのも、なんとなく微妙である。