年末のミュージアム巡り

 多分、今年最後のミュージアム巡りを敢行してきた。家族三人で上野に出かけまずはめったにいかない東博東京国立博物館に行く。話題の運慶展も11月に終わっているので常設展はそれほど混んでいない。もうゆったりと展示物を観ることができる。ここに来るのは今年2回目。
 自分はまだまだ浅い知識、審美眼もほとんどないので、焼き物、刀、書といったものへの理解が薄い。なのでただひたすら、もっかの興味のあるところの絵だけに集中する。
 日本画ではやはり伊藤若冲のような奇抜な絵に興味がいく。まあミーハーだからしょうがないのだが、正直デフォルメの面白さとややきついかなと思ったりもする。例えばこの鶴だけど、スタイリッシュでスマートな鶴をなぜかくも太めにするのかと思ったりもする。まあ若冲はそういうところが面白いのだろうけど。

 江戸時代最大級の洋画という説明文がある亜欧堂田善の屏風画。なにより油絵による屏風画というのが驚きである。
浅間山図屏風」(亜欧堂田善)

 亜欧堂田善という人はほとんど知らない。というか江戸時代の洋画といえば、秋田蘭画として有名な秋田藩士小田野信武と領主であった佐竹曙山の二人が思い浮かぶ。この二人領主と家臣の間柄であったが、画家としては盟友であったとも伝えられている。思えばこの二人の絵を観るために角館まで出かけたことがあった。
 さらにいえば江戸時代の代表的な洋画家は司馬江漢ということになる。亜欧堂田善も司馬江漢に師事していたいわれている。しかし江戸時代中期から後期にかけて、油絵で屛風画を描くというのはかなりのパイオニアだと思う。絵はというと洋画的な遠近感をあまり用いず、どちらかといえば浮世絵のような雰囲気であり、これってある意味ゴーギャン、あるいはナビ派に通じるようなものかなどと訳のわからんことを思った。
 東博では2階の特別展示で「親指のマリアとキリシタン遺品」をやっていた。「親指のマリア」は寛政年間に密入国して捕縛された宣教師シドッチの携行品だという。しかしこれが西洋美術館に収蔵されているカルロ・ドルチの「悲しみの聖母」にそっくりなのである、
「親指のマリア」

「悲しみの聖母」(カルロ・ドルチ)

 これは明らかに「親指のマリア」がドルチの「悲しみの聖母」の複製画、あるいは模倣品だったのだろうということだ。多分、ドルチの絵が信仰厚い人々の間でたいへん人気を博していたということなんだろうと思う。シドッチは遠いアジアの辺境へ布教の途に出るにあたって、この絵を携行したのである。信仰の支えにしていたんだろうなと想像する。
 この特別展示で初めて知ったのだが、2014年に文京区小日向の切支丹屋敷後から発掘された人骨が、シドッチのものと同定されたという。そんな大発見なのにニュースとして全然引っかかってこなかったのが不思議なくらいだ。
 シドッチは長く幽閉され幕府から長時間の尋問を受ける。その尋問を行ったのが新井白石であり、彼はそれを『西洋記聞』として記録に残している。大昔に日本史を受験科目に選んだことによる知識ではあるが、けっこうよく覚えていた。そのシドッチの骨が見つかったというのはなんとなく感慨深いものがあったりする。