大谷観音

 土日に久々日光へ行ってきた。初日に行ったのがまず大谷平和観音と大谷寺。いつも行く大谷資料館の駐車場が一杯だったので、これまで行ったことのない大谷平和観音の方に行ってみた。大谷資料館の地下採掘場跡はさながら地下回廊のようで、もう二回も訪れている。地下はひんやりしていてこの時期に涼むということでいえばうってつけの場所なのだが、誰しも考えることは一緒みたいで、資料館近くのバスや身障者向け駐車スペースは満杯のようだった。下の駐車場は多少空きがあるようだったけど、さすがにそこから車椅子を押していくのもしんどいかなと思い断念した。
 そして今回初めて訪れたのが、まず大谷平和観音。

 ウィキペディアを引用。

大谷平和観音 - Wikipedia
平和観音は宇都宮市の中心街から約8キロメートル西方に位置する大谷町にある。太平洋戦争の戦死者を追悼するため、終戦後間もない昭和23年(1948年)から6年かけて大谷石採石場跡の凝灰岩層壁面に総手彫りで彫られた像高88尺8寸8分(26.93メートル)、胴回り20メートルの石造観音菩薩立像である。竣工は昭和29年(1954年)、開眼は昭和31年(1956年)5月4日。飛田朝次郎が製作した。なお、近隣にある大谷寺との直接的な関係はない。また、「大谷観音」の呼び名は大谷寺の大谷磨崖仏を指す。
像の前は広場となっており、平和観音像を目前に憩うことができる。また像周縁には階段・通路が整備され間近で見ることも可能であり、像上から大谷の町を見晴らすこともできる。

 1956年開眼というとまさに自分の同い年ということになる。還暦を迎えた観音様ということになる。切り立った崖に聳える観音様はなかなか荘厳な雰囲気だ。横の階段を登ると観音様の頭部ののところまで行くことができる。
 この観音様の裏手にあるのが大谷寺と日本の最古の石仏千手観音だ。
大谷寺 | 日本最古の石仏「大谷観音」と高さ27メートルの「平和観音」
 弘法大師の作という言い伝えがあるらしいが、実際はアフガニスタンの僧侶の作ともいわれている。平安時代に遠くアフガニスタンからインド、中国とシルクロードを渉り、日本にたどり着き、関東の地で石仏を掘ったという、なんともワールドワイドな話で、これはこれで感動ものである。誰かが歴史小説にしてもいいのではないかとも思う。
 なぜこの地にという疑問には、大谷石という切り出しやすく、加工がしやすい石がとれるということを聞き、この地に故郷の石佛と同じものを作ろうとしたのだろうか。
 さらにこの大谷寺には石仏群があり、これは千手観音よりも少し時代が後で平安時代末期から鎌倉時代にかけて造られたものといわれている。