初詣は大谷観音

 31日、1日の短い旅行も終了。帰りどこかへ寄るかとなるが、美術館はほとんどが休館中だし観光で周るところもあまりよく知らない。大谷の方行ってみるかということにする。日光から大谷は割と近い。

 いつもだと大谷資料館の地下採石場跡に行くことが多い。あそこは巨大な地下回廊のようで見応えがある。もう何度も行っている。多分片手の指は全部折れるくらいは行っている。正月休みだと人も多いだろうと思い、今回はパスかなとも思った。あの地下は夏でもひんやりとしているのだが、冬で大晦日には雪も降るような陽気だと、地上も寒いのにさらに寒そうな地下に降りるというのもちょっと気がひける。

 ということで大谷資料館をパスしてその近くにある大谷観音に行くことにする。まあここも1、2回は行ってると思う。まあそのくらい日光の保養所には何度も行っているということなんだとは思うけど。

 まずはこちらの立派な観音像。

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 大谷観音というとこの巨大な観音像(約27メートル)を思い浮かべることが多いけど、これは正式には大谷平和観音という。大谷石採掘場の壁面に地元有志によって建立されたもの。第二次世界大戦戦没者の霊を鎮魂するために建てられたものなのだとか。

総務省|一般戦災死没者の追悼|大谷平和観音

戦後間もない昭和23年9月より、当時の大谷観光協会と地元の人々の熱心な後援の
もとに、大谷石採石場であった壁面を利用し、南側の岩肌に観音像を刻みました。東京芸術大学教授・飛田朝次郎が彫刻を手がけ、その指導のもと、大谷町の石工・上野波造氏らが制作にあたりました。6年の歳月を費やした結果、昭和29年12月に完成しました。

 これについてはもともと戦争で弟を亡くした石工、上野波造が鎮魂を目的に一人で観音像を彫り始めていたが病で倒れてしまう。それを観光協会が引き継ぎ飛田浅次郎教授に依頼してこの大掛かりな観音像が出来たという話もあるようだ。いずれにしても個人の思いと戦没者への鎮魂の思いがこういう形に結実した。戦後の国民の間にあった厭戦感、平和を希求する思いがこうした形になったということは、戦後を生きる我々は覚えていてもいいかもしれない。

平和観音像物語 高橋秀雄 - 広告する日記

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 平和観音の裏にあるのが大谷寺の大谷磨崖仏、これが大谷観音である。

大谷寺 | 日本最古の石仏「大谷観音」と高さ27メートルの「平和観音」

大谷磨崖仏 - Wikipedia

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 この摩崖仏は本当に見応えがある。本尊ともいうべき千手観音は平安初期の制作とされる。およそ1200年前で弘法大師の作とされるが、シルクロードの摩崖仏との類似性からも当時渡来した仏師によるものと推定されているとか。このほかに釈迦三尊像、薬師三尊像、阿弥陀三尊像の三体があり、それぞれ平安後期、鎌倉期に造られたものとされているとか。

 とりあえず千手観音に家族の健康を祈った。