自民党を支持する層=マイルドヤンキー

朝日朝刊4面政治欄に載っていた精神科医斎藤環へのインタビュー記事がなかなか秀逸。斎藤はこれまでにも日本社会の変質過程を「ヤンキー化する日本」等で分析している。記録のためインタビュー全文引用。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11543479.html

(安倍政治 その先に)有権者を考える
 何となく肯定、変わらない日本 斎藤環さん
――さて、今回の衆院選。様々な視点、論点があったと思います。
 「『熱狂なき勝利』とメディアは報じますが、日本の選挙が慣性運動というか惰性で動いていることがよく見えました」
 ――というと?
 「自民党を支持している意識すらないような、選挙になれば自動的に投票してしまうような、無意識レベルの反応。政策も人柄も賞罰も関係ない。強力な地盤と後援会の自動運転。小渕優子さんなんて、その上に乗っかってるだけで何があっても落ちようがない」
 ――安倍政権の経済政策「アベノミクス」に対する信任が一応の争点とされていましたが。
 「果たしてあれが『政策』の名に値するのかどうか。なんとなく『景気のいい話』が支持されただけではないでしょうか。本当の思想や政策が展開されるべき安全保障や原発の問題が争点にならなかった。いや避けていた。ただ、あえて言えば、『政策というノイズ』が入っていなかった分、社会の無意識がよりはっきり見えた、ということもあったかもしれません」
 ■強い反知性主義
 ――イメージできるようで、しにくくもあるのですが、無意識に自民党を支持する層とは、どんな人たちですか。
 「私がかねて主張してきた、いわゆるヤンキーと呼ばれる層です。最近はマイルドヤンキーとも呼ばれますが、うっすらと不良性をまとい、地元と仲間の『絆』が大好き。学歴や階層とは無関係に、物事を深く考えない反知性主義が強く気合や勢いを大事にするため、なんとなく現状肯定的。といったところが特徴です」
 「彼らは、よくも悪くも『今』しか考えない。現政権を強く支持する理由もないけど、現状が『そこそこ』なら、このままでいいんじゃね、みたいな感じで乗っかっちゃう。彼らを動員できたのは『この道しかない』と気合だけは入ってるふうで、中は空虚な安倍(晋三)さんの体質ゆえです。その体質とマイルドヤンキーの親和性の高さが、改めて実証されたという印象です」
 ――小選挙区制が導入されて約20年。政権交代が可能な選挙制度のはずでしたが、無意識が働いている以上は難しそうですね。
 「二大政党制の基本は、政策の弁証法的な対立と折衝です。しかし日本人は、そもそも政策で政党を支持するという発想が希薄です。2009年に民主党が政権を取りましたが、マニフェストが支持されたというより、自民党におきゅうをすえたいという空虚な熱狂があっただけでしょう。日本人の政治意識は、依然として成熟していない。空気で動いているだけです」
 ■バランスはいい
 ――しかし与党で3分の2という議席は、暴走の危険性もはらむ、やっかいな数字です。
 「マイルドヤンキーのいいところは、バランス感覚です。知性的ではないが、人情に厚い人情型、情実型保守です。極端な排外主義や好戦性はない。次世代の党が惨敗したのはいい例です。保守化、保守思想への共鳴とは違う。惰性の保守とでも言いましょうか。別に安倍さんが尊敬されてるわけでもないし、憲法改正とか安全保障政策に共鳴しているわけでもない。現状維持がなんとなく支持されたにすぎません」
 ――マイルドヤンキーが日本社会で一定のクラスター(集合体)を構成している限り、変わりようがないのですか。
 「日本社会を近代市民社会に変えることは、とてつもない難事業と言わざるを得ません。この社会の異様なまでの柔構造ゆえです。表面だけ追随しても深層は一切、変えないための柔軟さを日本人は持っているのです」
 「外来語をカタカナで採り入れるが日本語の構造はびくともしない。4Kテレビが登場しても、番組の中身は変わらない。二大政党制を導入しても選挙はどぶ板のまま。ネット選挙でどぶ板を変え、たすきで街頭演説、紅白だるま、万歳三唱といった様式性を否定すれば、確実に選挙に落ちる。巧妙に新しい物を取り込むと同時に前近代を壊さないという二重構造が日本社会の特徴です」
 ■成熟望めないが
 ――うわぁ。絶望的ですね。
 「市民社会への成熟など望むべくもないという絶望というか、脱力感は私にもあります。しかし困ったことに脱力感は安心感でもある。そうめちゃくちゃな方向にはいかないだろうという。自民党が本来の保守ではないと言われながら、21世紀の今も勝ち残っている理由は、まさにそんなところにあるのではないでしょうか。熱烈に支持されているわけでもない安倍政権が、これだけの議席を得たのは、そうした構造に対する支持だと考えれば何となく分かる気もします」
 (聞き手・秋山惣一郎)

マイルドヤンキーの特徴
・ゆるやかな不良性
・地元意識と仲間との「絆」志向
・物事を深く考えない反知性主義
・「気合」や「勢い」が大事
・明白でない現状肯定主義
ゆるやかな不良性、地元意識と「絆」か。土日に地元の仲間と野球とかフットサルとかやっちゃって、その後は当然飲み会やって、飲んだくれて。
「俺達はさあ〜、仲間だろ、理屈じゃねえんだよ。だからさあ、こう気合入れててさあ、やっていくしきゃないっしょ」
みたいなあれである。
さらにいえばだ、最近あちこちの夏のイベントとかでやるヨサコイ、あれだな。ちょっとヤンキーがかった衣装や、化粧でキメのポーズ作って踊るあれ。あれをやっているのが普段は普通の人であり、かってヤンチャしてた人ばかりじゃない。なんとなくヤンチャに憧憬をもっている連中ということか。
斎藤環はこれ以前にも朝日のインタビューで持論であるヤンキー化日本が安倍自民党を政権に返り咲かせたことを2012年の総選挙後に、同じ朝日のインタビューでこう分析している。

ヤンキー社会の拡大映す/斎藤環さん=精神科医
朝日新聞2012.12.27
――ぐっと右傾化して、自民党が政権に復帰しました。
 「自民党は右傾化しているというより、ヤンキー化しているのではないでしょうか。 自民党はもはや保守政党ではなくヤンキー政党だと考えた方が、いろいろなことがクリアに見えてきます」
 ――ヤンキー……ですか。
 「私がヤンキーと言っているのは、日本社会に広く浸透している『気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ』という空疎に前向きな感性のことで、非行や暴力とは関係ありません」
 「自民党政権公約では『自立』がうたわれています。気合が足りないから生活保護を受けるようなことになるんだ、気合入れて自立しろという、ヤンキー的価値観が前面に出ています。経済やふるさとを『取り戻す』と言っても根拠は薄弱で、要は気合があれば実現できるという気合主義を表現しているに過ぎません」
 「自民党憲法改正草案が天賦人権説を否定していると話題になっていますが、義務を果たした人間にだけ権利が与えられる、秩序を乱さない範囲内で自由を認めるといった発想は、まるでヤンキー集団の掟(おきて)のようです」
 ――しかし安倍晋三さんはヤンキーとは縁遠い気がします。
 「ヤンキーに憧れていたけど、ひ弱でなれなかった、という感じですかね。しかし心性はヤンキー的です。『新しい日本を』『国防軍』と威勢のいい発言を繰り返したり、『ヤンキー先生』こと義家弘介氏を大事にしたりするのはその証左でしょう」
 「安倍さんは月刊誌に『新しい国へ』という政権構想を発表しましたが、『維新』を英訳したら『restoration=復古』だったのと同じで、『新しい国』と言いながら古い国に戻そうとしているのではないか。何しろ安倍さんは、伝統的な子育てを推奨する『親学』を推進する議員連盟の会長でしたから。伝統的子育てには虐待などの問題も指摘され、それがすべて良かったなんて完全なフェイクです。ヤンキーは伝統を大事にするというイメージがありますが、それはフェイクとしての伝統で、さかのぼってもせいぜい3代前。本当の伝統だと勉強しなくちゃ理解できませんから」
 「ヤンキーには、『いま、ここ』を生きるという限界があって、歴史的スパンで物事を考えることが苦手です。だから当座の立て直しには強いけれども、長期的視野に立った発想はなかなか出てこない。自民党脱原発に消極的なのは、実は放射能が長期的に人体に及ぼす影響なんて考えたくないからじゃないか。『まあどうにかなるべ』ぐらいにしか捉えていない節がある。原発廃炉にするにしても100年スパンで臨まなければいけないので、もっともヤンキーにはなじまない課題です」
 ――えーっと、要はあまりお勉強が好きではないということでしょうか。
 「あえて知性を捨てているのでしょう。保守は知性に支えられた思想ですが、ヤンキーは反知性主義です。言い方を変えれば、徹底した実利思考で『理屈こねている暇があったら行動しろ』というのが基本的なスタンス。主張の内容の是非よりも、どれだけきっぱり言ったか、言ったことを実行できたかが評価のポイントで、『決められない政治』というのが必要以上に注目されたのもそのせいです。世論に押されて実はヤンキー化しているマスコミがその傾向を後押しし、結果、日本の政治が無意味な決断主義に陥っています」
 ――変わりませんか。
 「100年やそこらでは変わらないでしょうね。いま全国の中学校で何が流行しているかご存じですか? 北海道の中学校で不良を立ち直らせたという伝説の『南中ソーラン』です。ソーラン節をアップテンポにした踊りで、多くの中学校が取り入れています。衣装は『竹の子族』風、踊りは『一世風靡(ふうび)セピア』風と極めてヤンキー度が高く、薄い毒を予防的に注入して強力な毒になるのを防ぐというワクチン的な効果を発揮し、思春期の子どもの反社会性をうまく吸収しています」
 「そうやって成長した若者たちは地元に残り、地元の祭りの担い手となり、『絆』を重んじるヤンキー的な保守として成熟し、うまくすれば地域の顔役になったり地方議員になったりする。要するに、不良になりそうな連中がソーラン節や祭りによって保守にロンダリングされるのです。こんな強力な回路は日本以外にはありません。しかもこの回路は治安維持に役立っている面があるので簡単には手放せません」
 「自民党の足場はここにありますから、それは強い。政権交代が起きても地方議会は自民党が圧倒的に強い。ヤンキーは行動力があるので、選挙となればどぶ板でフル稼働する。ニヒリスティックに棄権する知性派なんて選挙では何の役にも立ちません」
 「民主党議員を見ても、選挙に強い人はヤンキー度が高い。マスコミの多くは選挙結果に戸惑っていましたが、サイレントマジョリティーたるヤンキー層のことが全く見えていません。積極的ではなかったにせよ彼らの支持があったから自民党は圧勝した。もはや知性や理屈で対抗できる状況にはありません。ある種の諦観(ていかん)をもって、ヤンキーの中の知性派を『ほめて伸ばす』というスタンスで臨むしかないというのが私の結論です」(聞き手・高橋純子)

安倍を「ヤンキーに憧れていたけど、ひ弱でなれなかった」は、なんとなくそのとおりという感じだ。さらにいえば政治家一家の三代目、オジイちゃんのように頭脳明晰で東大首席から官僚になり政治家として総理大臣を極めるパワーエリートにもなれない。かといってバリバリの不良やる根性もない。金持ちのボンボンが通う成蹊大学出身。有力政治家の血筋とジバン、カンバン、カバンに乗っかり、偶然が幸運が重なって総理大臣の座に返り咲いただけの人でもある。
彼の内面の弱さ、なんとなくそれは彼の演説や記者会見にもよく現れているようにも思えるが、その裏返しとしてのヤンキー志向、「『新しい日本を』『国防軍』と威勢のいい発言を繰り返」すというのは本当にうなずける。
さらにいえばあの「ソーラン節」ダンス。あれは「南中ソーラン」というのか。あれ、うちの子どもも保育園とか学童でよくやらされてた。ああいうので子どもの反社会性を吸収しつつ、ヤンキー的な心性、スタイルを「カッコイイ」とする意識を再生産していくということなんだな。なんかずっとあのダンスには違和感もっていたのだが、スット落ちるというかよく理解できたな。
「そうやって成長した若者たちは地元に残り、地元の祭りの担い手となり、『絆』を重んじるヤンキー的な保守として成熟し、うまくすれば地域の顔役になったり地方議員になったりする。要するに、不良になりそうな連中がソーラン節や祭りによって保守にロンダリングされるのです。」
なんか抱腹絶倒なギャグみたいなお話なのだが、見事な分析としかいいようがないな。不良志向の若者たちが地域社会の「大人」に変質していく過程、日本的保守に「ロンダリング」されるロジックというのはこういうことなのだな。
しかしこうして醸成される思考停止した日本社会にあって、やれ問題意識の形成とかいっても土台無理ちゃうというところをなんか実感させられる。こうした反知性主義、現実肯定主義に世襲とそのバックボーンとしての天皇制がぶら下がっている。結局のところ21世紀になっても日本社会はその本質においてはなんも変わっていないということ。まあ千数百年かけて形成されてきたものが、戦後70年でもないが、たかだか100年かそこらで変わる訳はないとは、こりゃ自明なことかもしれない。
ただ一つだけ確認しておくが、こと今の天皇制、堅苦しくいえば近代天皇制についていえば、こりゃ明治以後形成されたということだけは、はっきりしているとは思うけど。