『銀の匙』

五十路のおじさんなんで、このタイトルですっと頭に浮かぶのは中勘助の小説である。10代の頃に一回くらい読んだかもしれないが、あんまり覚えていない。引き出しに入った小箱がどうのと、自分の幼少の頃を思い出して綴っていくような内容だった。美しい文章の見本みたいなことを誰かに教わったような気もするし、自分でもなんとなくそれがわかったような、そのへんの印象が妙に強く残っている。あれは全部読んだのだろうか、例によって途中で放ってしまったのか。
と、小説の話ではない。今大変話題になっているコミックのほうだ。

銀の匙 Silver Spoon 1 (少年サンデーコミックス)

銀の匙 Silver Spoon 1 (少年サンデーコミックス)

  • 作者:荒川 弘
  • 発売日: 2011/07/15
  • メディア: コミック
マンガ大賞2012を受賞し、1巻〜3巻までの累計ですでに250万部を超えるメガヒット作品である。そう、前回の本屋大賞舟を編む』からの引っ張りでもある。所謂マンガ大賞作品なるものがどんなものかと気になってもいた。そう、私は実はコミックもけっこうな頻度で呼んでいる。50の坂をとおに転げているというのに、ちっとも分別つかずにである。
もともと少年サンデー、マガジンで育った世代だ。手塚、赤塚、藤子、石森、ちば等が最も活躍した時代を同時代的に享受してきた世代である。大学の頃はたぶん「がきデカ」とかを愉しんだくちである。そういう出自なので、それこそ虎の縞は洗っても落ちないわけで、幾つになっても、いい歳こいても相変わらずマンガが大好きなのである。
最近でも、それこそ「は・が・な・い」だの「男子高校生の日常」、「日常」なんぞを大人買して、娘あたりからも呆れられているくらいである。
話は脱線である。『銀の匙』である。お話は進学校からドロップアウトして、全寮制の農業高校に入学した高校生の男の子の話である。周囲のほとんどが農家、酪農家の子息で、家業を継ぐためという明確な目的をもっている中で、将来への夢や何になりたいのか、ひいては自分自身のアイデンティティを見出せない少年が、農業高校というそれまでの生活とはまったく異なる異文化の中でじょじょに成長していく姿を描いている。そうこれはある種定番のビルドゥングスロマンである。
これがまたえらく面白い。さらにいえば、農業高校という実習中心の世界がたいへん魅力的だ。クラスや科目も専攻によって、酪農科、畜産科、作物科、食品製造、生物、農業経営、農業機械などに細かく分かれている。さらにいえば、やはりこれが一番の魅力なのかもしれないが、北海道という広大な大地のスケールである。
こういうコミックとはいえ、こうしたふだん窺い知ることのできない世界を垣間見ると、やはり読書の真骨頂は議事体験につきるのかもしれないなと痛感する。
このマンガで描かれるの農業高校の世界はある意味ガテン系の農業、畜産の世界なのかもしれない。すでに農業学校を舞台にしたコミックを我々は『もやしもん』で知っている。あれは農大を舞台にしたものだが、メインの題材は菌類や醸造、発酵といったものだ。あれはあれでたいへん秀逸ではあるのだが、『銀の匙』で描かれる実習はもっと肉体的な労働の部分が色濃い。
もし生まれ変わったら、こういう高校生活を過ごしても面白かもとさえ思わせる、北海道という広大な大自然の中での全寮制農業高校はえらく魅力あるものに思える。もちろん十代の未熟な若者たちによる集団生活である。もっとドロドロとしたややこしいものが様々にあるのだろうとは思う。そのへんをこのコミックは軽くスルーしている。まあ少年向けの娯楽である。そこそこ以上のリアリズムはたぶん必要ないのだろう。
このコミックがわずか3巻の刊行で250万部を超える大ヒットとなっているのは、まあこうやって読んでみると普通にうなずける。題材の面白さ、作者の画力、構成力、ふんだんに盛り込まれる農にまつわるエピソード。それらのすべてはハイレベルにあると素直に思うところだ。
前回感想を述べた『舟を編む』をある種ネガティブな意味で、コミックの原作本もどきのように評した。それではなにかコミック類が、文学、小説よりも低級にあるかのような位置づけともとられるかもしれない。しかしたとえばいずれも2012年のかたや本屋大賞、かたやマンガ大賞をそれぞれ受賞した作品なのであある。小説とコミックという異なるジャンルではあるのだが、こと作品としての完成度はというと、明らかにコミックのほうがはるかに上だと私はこの二作についてでいえばそう思う。コミックの原作本というのは、まあいってしまえば、単なるシノプシスみたいなものという、そういう意味合いだからだ。
とりあえずコミック『銀の匙』は面白い。これが碌でもないマンガであれば、中勘助の名著の名を汚す天誅ものとでも悪口雑言くらわすところだが、これだけ面白い作品となると、まあ中先生をお許しになるのではと、そんなことを思うところでもある。