娘の誕生日

娘の14回目の誕生日である。毎度恒例のことだが、いちおうケーキやら娘の好物の類を夕食に出すことになっている。よって本日はあまり仕事しないぞ、速く帰るぞオーラを出しまくって6時頃には帰宅。帰ってすぐに車出してケーキ屋、スーパーとかを行ったり来たりである。
ケーキは23cmの生チョコデコレーションをご所望されているので、これを比較的近所のケーキ屋に買いに行く。これもここ数年恒例のこと。あいにく売り切れのため、同じチェーンの別の店舗に電話をして在庫を聞き、あるとのことなので日高まで足をのばす。それから大型スーパーに行き、閉店間際までねばって刺身やら寿司やら唐揚げが半額になるのを待って購入。併せて安めのステーキ肉も購入。
そう、娘のご所望は誕生日には、ケーキ、お肉、唐揚げ、お寿司、刺身、とにかく好物の類を総て揃えるのである。こりゃ太るわけである。あるとき「お前少し痩せたら」と言ったら、「私が太ったのは親のせい」とのたまわれた。多少とも当たっているかもしれない。
まあとにかく今日だけは食い散らかしOKとしてある。だからわざわざ安い半額系を揃えてある。そういうものである。
返す返すも14年である。よくぞ育ったものよと小さな感慨もあるにはある。2200gの低体重児で、生まれてすぐに保育器に入り、黄疸が出て、「こいつ無事育つのだろうか」と妻と二人で悲壮感に暮れていたのを昨日のことに思い出す。小さく生まれて大きく(横に)育つというのを地でいっったみたいだな。
一才になるかならないかの頃から保育園に入れて、学童までの通算でいえば、ほぼ10年、朝8時から夜8時までの長時間保育を強いてきた。小学二年生の時に妻が倒れ、障害者となった。そのへんのことでは娘なりの様々なストレスとかもあったかもしれない。おまけに父のいい加減な面倒見である。
それを思うと本当によくぞ育ってくれたとも思う。多少我がままでも、小生意気でも、とりあえずはいい。まあそういう感じである。西原理恵子の漫画に出てくる5人の子持ち麦ちゃん一家の教育方針は、「とにかく一人も死なせない」だったっけ。うちも同じようなものだ。一人娘なので代えはきかない。とにかく健康で生きていってくれれば、それでいいとも思う。まあ今のところ、さほど横道に逸れるようなとこもないようだし。
とはいえ道はまだまだ半分もきていないのである。子育て道ということでいえば、先はえれくえらく長そうなのである。これから多分山あり谷ありというか、いくつも波乱というか、まあいろいろあるのだろう。とはいえ、とりあえず一里塚というか、そんなこんなの14年なのである。
今こうやって書いていて思い出した。14歳、あの14歳なのであるのだね。少年少女期の中でもたぶんもっともややこしい、様々なややこしさを抱えてしまうあの14歳なわけだ。小さく寝床の中で祈ろう。何事もなく時が過ぎることを・・・・・、なんてね。