休日の雑感

午前中は歯医者、去年の5月から通い始めた治療が一応総て終了した。長かった。最初は大きな虫歯が一本、その治療になんだかんだで3ヶ月近くかかる。その後に別の小さな虫歯を数本。その次には歯石の除去などなど。こんなに時間がかかるとは思わなんだ。もっとも最後の方では月に1〜2回の頻度にはなっていたけど。
帰宅してから朝食兼昼食を作って家族に食べさせる。そうこうしているうちにピアノの調律がくる。年に1回恒例のことである。ピアノは1度購入すると毎年こういうメンテナンスがある。ピアノメーカーとしてはけっこうウハウハなのではないかと思わないわけではない。
年に1回とはい1万7〜8千円もっていかれる。実働時間は30分程度だ。いくら特殊技能とはいえ、ややもすれば疑問に思う部分もなきにしもだ。とはいえピアノのあるお家という設定を維持していくためにはいたし方ないというところか。きわめて小市民的な感想だけど。
実際、自分が子どもの頃にピアノがあるお家なんていうのは、ある種羨望の眼差しというか、まあそういうステータスだったもの。ほんでもってピアノやっているような同級生というのがまた小生意気で、けっこう可愛くて、貧乏人の自分等からすれば高嶺の花みたいな存在で。
まあいいか、3歳からピアノ初めて娘はいっこうに進歩なく、毎週来てくれるピアノの先生もほとんど匙投げているような状態だったのだが。ここのところはなんとなく娘もピアノを弾く楽しみみたいなものが出てきたみたいで、ほぼ毎日触っている。練習している曲もたいしたものやっていないけど、それでも聴こえてくる音は以前に比べると、いかにもピアノ練習しています的なものになりつつある。とはいえ致命的にヘタではあるけど。まあせっかくピアノのある家に住んでいるのである、せめて音楽を自分でやる楽しみくらいは習得してくれたらいいとは思う。
そんなこんなで午後はグータラしていたのだが、それでもやらなくてはならない、避けているわけにはいかない任務があって。そう、雛人形を片付けなくちゃならない。3時過ぎくらいから仕方なく始めてのだが、いや〜、勝手がわからない。箱から出して飾ったのは確かに自分だけど、それもやっつけだったから、あまり仕舞うことなんか考えもせずにいたわけ。だもんでどのように、どういうダンドリ、順序でしまっていくかという、初期状態のまましばしフリースしてしまった。
それでも記憶をたどりつつ、大きな箱と小さな箱、そこになにをしまうか等をなんとなくあたりをつけつつ作業を始める。しかし人形の一つ一つの顔をティッシュペーパーでくるんでいく作業がまためんどいことめんどい。手仕事日本とはこういうことなんではないかと、一人しみじみしながらもとにかく作業を進める。
一通り人形を片付け、さらに小物系もぜんぶ箱に収納する。それから雛壇の解体作業。これもけっこう手間取ること手間取る。最後にすべてを箱に片付けて、箱に紐かけして終了。次にそれを娘の部屋に運び込み、グルニエにしまいこむ。なんだかんだで全工程終了までに3時間近くかかっている。やれやれである。娘には次にこの雛人形に会うのはたぶん5年以上後になるかもよと話す。娘はなんでと聞く。
しかしこういうことのすべてを男親の自分がやるのは、やっぱり小さな悲劇かなとも思う。娘が全然手伝わないのも実は問題。小学6年生なんだから、もっと主体的にやっても良さそうなものだろう。まあ、甘やかすだけ甘やかして育てたから、そのへんの疑問は結局自分に跳ね返ってくる。そして本来この手のことは主力でやるべき妻が労働力として計算できなくなってしまったこと。まあ言っても詮無いことだけどね。
何度も言うようだが、以前は雛人形の設置にしろ、片付けにしろ、それは妻の分担だった。凝り性な部分もあるから休日にけっこう時間をかけて綺麗に飾りつけたりしていた。片付けもとにかく時間をかけてきちんとやっていた。今回人形を出して飾りつけるときにも、きちんと収納されているなと正直感心したくらいだから。そこへ行くと私なんぞは、とにかく最短時間でチャッチャがモットーの人だから、もう手順からなにからまったく異なるわけだ。
妻の障害によって、いろいろなことが失われてしまった我が家のもろもろ、その中の一つに雛人形の飾りつけやら片付けやらも含まれているということだ。まあ仕方がない、少しづつ学習してやっていかなくてはならないということだ。誰が、私がだ。まあしょうがないことだ、多分もし来年もやるとしたら、少なくとも今年よりは少しはうまくやれるかもしれない。でも基本鳥頭の人だから、一年後はというと、たぶんリセットされているかもしれないな。