身障者の自立支援と介護保険

20日の土曜日には、新しいケアマネがやってきて、妻と三人で打ち合わせをする。前のケアマネさんはまもなく定年になるのだとか。今のご時世ではもちろん定年延長とかもあるのだが、老いた母親の面倒をみるので仕事を辞めるのだとか。それでその方の紹介で新しいケアマネさんが決まったのが先月。一度デイケアのスタッフやお願いしているヘルパーの事務所の責任者と担当者会議をして顔合わせをしていたのだが、妻の状況とかこれまでのことを詳しく聞きたいということもありこの日になった。
妻の発病からの経緯とかいろいろなことを説明する。またケアマネからは懸案になっていた妻の生活援助のことで、役所から規制されていることなどの話もあった。それは具体的には生活援助としてのトイレ掃除のこと。
妻はとにもかくにのも一種一級の片麻痺、身障者である。発病前は出版社で仕事をしていたけれど、発病後は復職も諦めざるを得ず、ずっと家にいる。それでとにかく主婦として家事労働の部分で出来るだけ自立してもらいたいということで、介護保険のサービスで身体援助、生活援助を受けて週に1回ヘルパーに来てもらい、料理を手伝ってもらったり、妻の寝室のシーツとかを交換してもらったり、トイレの掃除をしてもらったりしている。そのトイレ掃除が役所から介護保険サービスとしては認めにくいとつっこまれているということらしい。
役所の見解では同居家族がいる場合は、出来るだけ同居家族が面倒見るのが基本だということらしい。とにかく介護保険の利用が大幅に増えている現状から、サービスに歯止めをかけるためにそうした方針がとられ、それを自治体が必要以上に厳格に運用しているというのが実情のようだ。それがあまりにも行き過ぎているということで、実は厚生労働省から一律機械的に対応しないように、個々の状況にそって運用するよう通達も出ていたりもしている。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000003fwn-img/2r98520000003fy5.pdf
それでも鶴ヶ島のような田舎でかつ財政的にかなりしんどい自治体では、一元的に締め付けがずいぶんとまかり通っているようなのである。
こちらのある種勝手な言い分としては、それなりに言いたい部分もある。身障者である妻が自立するために、福祉に頼ってなんらかのサービスを受けたいと考えている。それすらが応益負担ではないが、福祉だの公的扶助だのに頼ることなく、自己責任でよろしくやれみたいなことなら、それはいたし方ないのかもしれない。まあそういう冷たい福祉など省みる必要のない国であるのかもしれないから。
しかし国の施策としては、そういう障害者も40以上で妻のような国が指定した疾患による者は、介護保険のサービスを受けるようにというのである。それでいて妻がせめて主婦として家事労働でなんとか自立するために介護保険サービスを受けようとすると、同居家族がいるということで制限が加えられるのである。じゃあ介護保険以外の身障者が受けることが出来るサービスはあるのかというと、まず介護保険のサービスを受けてもらいますとなる。
ようは端からサービスなどする気がないんだろうなと思うわけだ。トイレ掃除、ふざけるな、そんな者家族がやればいいだろうと。はい、やってますよ。私はとりあえず仕事をしながら毎日、妻と娘の朝食を作り、洗濯をして干してから会社に行く。昼休みに帰ってきて、妻がデイにいかないときは昼食も作っている。掃除も週に一度は4LDKのすべてい掃除機かける。風呂掃除だってしているし、トイレ掃除ももちろんやる。
ただ妻がトイレ掃除は自分が分担でやりたいと常々言っているのでそれをまかせている。週に一度ヘルパーが来たときにそれを手伝ってもらっているというのがこちらの認識だったのだが、どうもそれすらが役所的には気に食わないということのようだ。ようするに本人へのサービス以外は一切認めないというのがまず第一義にあるのだろう。もちろんそれはわからないでもない。身障者自身へのサービス限定ということ。でも主婦の家事労働というものへの補助という認識はどうなってしまうのだろうと思わないわけでもない。
それとだね、身障者がいる家庭というのはけっこう家族にとって、かなりしんどい部分もあるにはあるのだ。まして外で仕事をして金を稼いでこなくてはならない。それが家族の一義的な任務。とにかく金がなくては生存に関わるのだから。そのうえで一般的な家事労働を行い、おまけに障害者の面倒を見るということになるわけだ。おっと子どもの世話とかもあるにはあるな。同居家族になんでもかんでも押し付けていき、家族を疲弊させる。それが今、役所が推し進めている施策なわけだ。
たぶんに一面的な物言いかもしれないけど、財源難だから、自己責任でよろしくやってよといいつつ、お役所がやっていることにも様々功罪、主に罪の部分も多々ある。とにかく役人はなにがあっても責任をとらない。いまだかって、その立案した政策の瑕疵によって大きな損失とかがあっても、お役人がそれで退職金を返上したなんって話は聞いたことがない。さらには中級、高級に関わらず天下りが横行している。その天下り先を確保するために、様々に無理無駄が横行する。行政改革がたいてい頓挫するのは、それを立案するのも役人だからだろう。
そうやって無理無駄さんざやってきた連中が、財政難を理由に、福祉をどんどん削っていく。高齢化社会だからとか、少子化、人口減で財政難でというが、すべて予測可能なことだったはずだよ。70年代、80年代になにをしていたのと正直言いたい部分もないではない。ずっと自民党に投票してきた罰を今我々は受けているということなんだろうか。自民党の長期政権とその中で自分の権益のみにしか関心がなかった官僚たちがよってたかって作り上げたのが、現在の21世紀的日本なんじゃないかと正直思わないでもない。
10年先、20年先を意識した政治、行政などまったく行われてこなかったのがずっと続いてきた日本のあり方なのかもしれないなとつくづく思う。まあしゃあないか、その一翼をたぶん担ってきた一人なのかもしれないからね、自分も。まあ50代のおっさんである。20代、30代、40代と市井の庶民やってきた自分にもその責はあるにはあるのだろう。こんな世の中にした一人なのかもしれないのだから。
今、民主党政権にえらくイチャモンつけるニワカ的輩は数多いるだろう。でもね、この政権はたかだか2年かそこらで、しかもこの政権になって一気にこんな世の中になったわけじゃないということをどこかで思い出したほうがいいかもしれない。今の世の中のしょうもない状況は、みんな戦後ずっと続いてきた自民党の長期政権化の産物なんだろいうことを。そしてそれを支えてきたのは我々なんだということ。そういう意味じゃ因果応報ということなのかもしれないな。
ケアマネとの打ち合わせが思いのほかとんでもない話に脱線してしまった。まあいいや、とにかく毎日少しずつ疲弊していくのだと。そして古ぼけた時計が止まるように、疲弊した誰かもストップすると。とりあえず私が疲弊してアウトしたら、そのときは自治体でもいい、国でもいい、妻を、子どもを、我が家の存続を手助けして欲しいと、まあそんな風に思う。