嫌な事件が目にはいってきた

http://mytown.asahi.com/areanews/tokushima/OSK201010030098.html
約5年前に脳梗塞を患って下半身不随になった奥さんの面倒をずっとみてきた方が介護に疲れて犯行に及んだという。自分も同じような境遇にあるだけになんとも身につまされる。他にも記事を読んでみる。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokushima/news/20101004-OYT8T01319.htm
朝日の記事では奥さんの状態は下半身不随。読売では半身不随となっている。脳梗塞だとたいていは半身不随が多いので、もし下半身全部が駄目となると相当きつい梗塞だったのかもしれない。
読売の記事には専門家の意見として、夫が妻の介護で追い詰められる事例が多いことをあげている。まんま引用してみる。

 ◇専門家◇
 日本福祉大の湯原悦子准教授(司法福祉論)の調査によると、1998〜2009年に介護を巡って殺人を犯したのは、50〜60代がほぼ半数を占め、夫が妻を殺害するケースが全454件中154件で最多だったという。
 湯原准教授は、加害男性の多くは、まじめな性格で、男性は妻の介護の状況を他人に伝えたがらないと指摘。「悩みを一人で抱え込む男性が多い。介護と仕事との板挟みで、体力的にも厳しい。国が社会問題としてとらえ、もっと介護者を支援する法律を早急に作ることが重要だ」と話した。

ようは抱え込むことが一番いけないということなのだろう。しかし石井町の事件、状況としていえば本当に身につまされる。年齢的にも近しいし、5年前に奥さんが倒れたというのもほぼ同時期になる。なぜそれほどまでに自分を追い詰められてしまったのだろう。
自分のことについていえば、それこそ妻を手にかけてとか、心中まがいのことを考えたことがあるか?たぶん一度としてない。これはきっちりと言いきれる。なんとかなるだろうみたいな楽観主義、いやいや、自分はどちらかといえばペシミスト系である。常に最悪な状況を考えていく。それでもとにかくしのいできた。
一つには子どもがいたことも大きいだろう。
病気で倒れた妻の面倒もあるが、小学生の娘をなんとか人並みに育てたいとも思った。そのためにどう動いていけばいいか。使える社会的資源は何か。とにかく先へ先へと考えて行動した。
まずは食っていかなくてはならないから、仕事と介護や家事を両立できる体制を構築する。そのために職場に近接した家を探して引っ越した。それにより妻と私のそれぞれで組んでいた前の家のローンもつぶした。
妻の介護ではとりあえず介護保険サービスで利用できるものを吟味した。今はなんとか週3回のデイケアとそれ以外の日のヘルパーとかでしのいでる。
倒れる前の妻は私と同額、へたすれば私以上の収入があった。それがすべてなくなったけれど、最初の2年くらいは傷病手当とかもあったし、かっての収入からすればそれこそ雀の涙みたいなものだが、現在は年金とかも出ている。
日本の福祉の実態はとにかく申請主義だから、早め早めに手を打ってきたし、その時その時の判断とか行動はそこそこ適切だったのではないかとも思っている。常にベストな選択、行動をしてきたかといえば、実はどうかはわからない。とはいえそれなりにはベターに動いたという自負はあるにはある。
単なる自己満足かもしれないけど、とにかくしのいで行く、それが総てだった。だから、疲れただのなんので、絶望的な所作にいたるなんてことは想像すらしたこともない。
今回の事件の記事を読んでも、気持ち分からないではないが、もっと違う選択肢がいくらでもあっただろうにとか、なんでそんな状況に陥る前に違う逃げ道を探さなかったのだろうと思ってしまう。
とはいえ、そんな偉そうなことを言っていられるのも、まだまだ私の場合には余裕があるからなのかもしれない。とりあえず私がいちおう健康でいられるから。ただそれだけのことなのである。
もし私が病気で長期入院とかになったら、収入は途切れるは、妻の世話だの、子どもの面倒だのはどうなってしまうか。それを思うと、実は私も綱渡りをしているだけなのかもしれない。そしていったん綱から落ちたら、たぶん・・・・・。
様々な意味で身につまされる、本当に嫌な事件である。