子どもの入学式

 まあ紆余曲折あったが大学に無事入学ということで、子どもの入学式に行ってきた。
 大学は都内で割りとこじんまりとした学校である。当然、親が障碍者だろうが駐車場などの用意はない。なので周辺の駐車場を探さなくてはならない。そういうこともあって3月の中頃だったか、一度事前に来て大学周辺の駐車場を確認済み。学校から徒歩5分くらいのところに比較的車を止め易く、車椅子を降ろしたりが容易な場所を探しておいた。
 まあただでさえ出かけたがり屋の妻が子どもの入学式に行かない訳もなく、まあ親的にはこういうの多分最後だろうなという思いもある。とはいえきっと、多分、卒業式とかも行くのじゃないかという予感がない訳でもない。所詮親バカである。俗人である。
 所帯をもったのも遅いし、子どもを作ったのも遅い。確か41の時だったか。それから共稼ぎで保育園に預けての子育てだった。小学生にあがってすぐに、妻が脳梗塞で倒れた。半年以上の入院とリハビリの結果も片麻痺、左上肢機能、左下肢機能全廃という大きな障害を負った。おまけに高次脳機能障害による注意障害とか諸々。子育て、介護、仕事、家事とかけっこう背負ってきたものは重かった。
 子どもに苦労かけた部分もある。まあ普通に考えてもいきなり母親が病気になり半身不随の車椅子。おまけに注意障害でとんちんかんな行動も多い。そういうのを受け止めるにはまだ早過ぎただろう。まあ一人っ子だし、そういう部分で負い目に思ってしまったところもある。ほとんど片親的状況になったけど、家事とかを負担させることはしなかったりとかけっこう甘やかして育ててしまった。その結果だろう、今ではあまり家事手伝い的なことはしない。いろいろ落ち度のある、躾の行き届いていない子どもが出来上がってしまったと、若干忸怩たる思いもあったりもする。
 とはいえまあまあ普通の私立高校に行き、三年間部活だけはきちんとやり遂げた。受験勉強もほとんどやらなかったが、とりあえず中堅どころの学校になんとか引っかかった。メデタシめでたしである。同時に、病気の妻にとっても子どもの晴れ姿を晴れがましく思う部分も多々ある。片麻痺という障害を負ったことで、母親らしいことも中々できなかった。辛かっただろうとも思う。それでもまあきちんと育ってくれたという思いとか。まああんまり堅苦しく子どものことを話し合ったりはしないから、このへんは想像だけども。
 ということでの入学式である。学長の挨拶とかも学者さんらしいきわめて真っ当なものだった。学部長は哲学専攻の人らしく、父兄への学部紹介なのに、ほとんど講義のようになってしまい、デカルト方法序説とかを長々講義され、その果てはサリンジャーの『ライ麦畑』にまで及ぶ。さすがにちょっと長いなとも思ったが、ある意味こういうストレートな学問の話もなかなか新鮮だったりもした。
 子どもはまあ4年間の社会に出るまでのモラトリアムを手に入れた。沢山楽しいこと、面白いことがあると思う。なにをやっても悔いはきっと残るだろうが、月並みだが悔いなく過ごしてほしい。専攻するのは芸術だとか。まあ無味乾燥な法律だの経済だのや限定された英文学だの国文なんかよりはるかに面白いと思う。好きな音楽を勉強するでもいい、映画、芝居、絵画、なんでもありだ。代われるものなら親が代わりたいくらいだ。好きなことを学問として勉強する対象にするというのはいいことだと思う。
 まあとにかく4年間に幸あることを。