横浜へいってきたこと

先週の話である。健保が夏だけ契約している施設だとかで三浦のマホロバマインズなるリゾートホテルに二泊した。10、11日のことだ。
横浜生まれの横浜育ちに者からすれば三浦の宿に泊まるなんていうのは、なんか違うという感覚がある。三浦なんていうのは日帰りの場所なのである。それこそ中学とか高校くらいの頃は三浦海岸なぞ自転車で行くようなところ。そこに泊まるなんて。
とはいえすでに埼玉に越してから12年以上が過ぎている。娘にいたっては埼玉生まれの埼玉育ちである。しかも鶴ヶ島なんぞというディープ埼玉に住んでいる。そういうザ・埼玉人が神奈川の突端三浦に家族で行くとなると、しかも1名は車椅子ということになれば、当然のごとくそれは小旅行ということになり、当然のごとくお泊りになる。もはや横浜は、神奈川は遠く離れた異国の地なのである。
いちおう三浦に泊まるのだから海水浴とかも想定したのだが、梅雨はまだ明けていないし天気予報も今ひとつなのである。だもんで一番天気がもちそうな初日に横浜見物でもするかということになった。生まれ故郷を観光するというのもなんとなく複雑な気もする。しかし今の横浜はなんというか、私が育ったところとはまったく別の場所のような気もする。端的にいえばあのみなとみらい地区とかも大昔は造船所や操車場があった場所である。あんな近未来的な空間ではなかったしな。
とはいえ横浜はわれわれ埼玉県民からすればもはや観光名所なのである。しかも横浜では一大イベントの真っ最中である。

http://event.yokohama150.org/about/index.html
よくはわからんが開港150年記念のイベントということらしい。ほんでもって山下公園からみなとみらいまでの間に赤レンガ地区なる建物やら大きなイベント会場を設けているようなのである。
とりあえず山下公園の駐車場に車を止めて山下公園から赤レンガ地区へと歩いてみた。車椅子でもさほど苦にはならない。イベント会場では入場料2400円に若干ひるむ。いちおう記念だからと入ろうと思ったのだが、妻が身障手帳を車に忘れてきてしまったことが判明。根性で車まで戻るかどうかと思ったが、結局入場自体をパスすることにした。下調べしていたパビリオン系になんとなく興味を引かなかったせいもある。
方針転換して普通に横浜観光を楽しむことにした。まず大桟橋へ行ってみる。大桟橋はいつの間にこんな奇妙なオブジェというかアートな公園になってしまったのか。なんでも鯨をイメージをしているということらしいのだが。
<異形のアート大桟橋>

これで桟橋としての本来の機能を有しているのかどうか。でも昔々、車で突端まで行ったりした大桟橋のこの変わりようにはちょっと言葉も出ない。
それから山下公園に戻りニューグランドの前を曲がって中華街へ行ってみる。お約束のコースである。中華街は今も昔も中華街である。でもずいぶんと小奇麗に整備されてもいる。チャイナタウンとしての胡散臭さとか、ちょっと路地に入るとアンダーグランド的な如何わしさみたいなものがたぶん、うん十年前にはあった。でも今や見事に観光都市ナイズされてしまっている。おまけになんだあの、よしもとおもしろ水族館なぞというゲームセンターは。
ついでということもなく、ちょっと豪華に昼食をと思いそこそこの店に入る。家族三人で5000円程度の昼食だからさほど期待はしていなかったが、まあ普通の中華みたいな感じで食した。娘にうまいかと聞くと、「うん、美味しいよ、バーミアンにそっくり」
その返事になんつうか返す言葉もない。でもある種いい得て妙なのである。そうなのだ、実は中華街の飯なぞはもう何十年も前からさほど美味いものでは実はなくなっている。私が20代の頃でも超高級店を除けば、メインストリートに面した店はたいてい味が落ちていた。よくメインストリートではなく路地系の店に人知れず実は美味い店があるとか、そんな伝説めいた話もあったが、本当かどうかすでに疑わしかった。
中華街が観光地化して、休日は人、人、でごった返すようになった頃から、急速に味は落ちていったのではないかとそんな気がする。それほど足げしく通ったわけではないけれど、なんとなく、なんとなくそんな気がする。美味い中華というと、まだ4〜5歳だったのだが、よく出前してもらった小さな店の天津麺や炒飯はなんかとてつもなく美味かったような記憶がある。路地裏の小さな店だったと記憶している。
今や美味い中華はどこで食べれるのだろう。たぶん料理の唯一の法則としていえば値段が高ければ、まず間違いはなかろうと思う。娘が美味い中華を食べたいといえば、とりあえず銀座アスターへ行けばよろしいと思う。まあそんなものだろう。そういえば淡路島の南淡路ロイヤルホテルの四川料理はたいへん美味かったな。今や私の中では中華といえば淡路と即答するようは感じである。
中華街からそのまま元町に向かう。ついでに私の生まれ育った場所を探してみるのだが、なかなか見つからない。最後にそこを訪れたのはたぶん二十代だったからほぼ30年ぶりのことになる。その30年前でさえ、すでに家とかはまったくなくなっていて、駐車場になっていた記憶がある。それにしても道路が、こんなに狭かったかと思うほど狭い。なんていうかほぼ4メートル道路である。子ども時代に我が家から道路を見渡すと、なにやらやたらと広かったような印象があるのに。
妻の車椅子を押しながらずいぶんとうろうろするのだが、結局うまく見つけられなかったような気がする。たぶんこのあたりだろうと推測したのだが、そこは相変わらずあまり整備されていない駐車場があり、うらぶれたアパートがありという場所だった。かって父が経営していたクリーニング店があり、その裏にはそこそこの家があり、庭の奥には離れの小さな家があって、そこには祖母が住んでいた。子ども心にはそこそこ広いという印象だったのだが、しょせん幼児の空間認識なのである。
つくづく思ったことだが、横浜市中区山下町という場所は、私が若い頃には元町と中華街の狭間という感覚でいたのだが、今やそこはたいていの場合中華街に吸収されている。どうあっても中華街の一部なのである。チャイナタウンは拡張、膨張を続けているということだ。それも古き良き時代のそれとは別の形で。