上田哲が死んだ

http://www.asahi.com/obituaries/update/1219/TKY200812190321.html
社会党衆院議員の上田哲さん死去
社会党で衆参両院議員を通算25年間務めた上田哲(うえだ・てつ)さんが17日、肺炎で死去した。80歳だった。通夜、葬儀は近親者のみで執り行い、後日、お別れの会を開く予定。喪主は長女の山口久美子(やまぐち・くみこ)さん。
NHK記者として、ポリオ患者のための生ワクチン投与キャンペーンに携わった。日放労(NHK労組)委員長を経て、68年に参院全国区で社会党から初当選。参院議員を2期務めた後、衆院に転じ、旧東京2区から5期連続当選した。党教宣局長などを歴任し、党内きっての護憲派として知られた。86年、91年には党委員長選に立候補したが、いずれも落選した。
93年の衆院選に落選後、小選挙区比例代表並立制の導入に反対し、社会党を離党。「護憲新党あかつき」を結成したほか、95年には東京都知事選に無所属で立候補。その後も護憲勢力の結集を模索し、00年衆院選や04年参院選に立候補するなど、国政選挙への挑戦を続けた。

昨日の朝日朝刊に載っていた。顔写真入りで出ていた。議員生活25年、マスコミへの露出も多い人だったからそれなりの人だったということなんだろう。とはいえもはや完全に過去の人でもある。
晩年は記事にあるとおり95年の都知事選、00年の衆院選、04年の参院選と負け戦と知りつつ選挙に出続けた。護憲派オールド左翼の矜持みたいなものだったのだろうか。ある種の目立ちたがり屋、困ったおじさんになってしまっていたのかもしれない。
よくテレビの討論番組に出演していて、護憲派的立場から勢いのある弁舌をふるっていたのを覚えている。その総てに賛同するということはなかったけれど、若い時期、護憲とか民主主義とか、革新とかいう言葉に敏感に反応し、ある種の希望や苦い失望を抱いていた時期には、この人の弁舌には勇気づけられることも多かった。
冥福を祈ります。