日光へ行ってきた

先週の週末、久々日光に行ってきた。例によって健保の宿に一泊。ここは大浴場の他に家族風呂が用意してもらえるので妻を入浴させることができる。普通の大浴場だと妻と娘で入るのだが、さすがに娘では荷が重く、この頃はお泊りといっても以前ほど喜ばないことも多い。妻に言わせると娘にはあんまり手伝ってもらっていないということなのだが。まあ娘からするといろいろプレッシャーもあるのだろう。
今回は当日と翌日朝の入浴のいずれも私と二人でいくことにした。家にいる時とあんまり変わらないのと、少々しんどいけどまあこればっかりはいたしかたない。それでもこうした一泊の小旅行はとにもかくにも上げ膳据え膳なので楽ではある。ふだんの日だけでなく、土日の休みは三度三度の食事のこと考えていなくちゃいけないから休めない。外食するにしても家族で夕刻からお出かけもけっこう実は疲れたりもする。そういう意味じゃ宿での食事は楽ちん。願わくばこうした保養所で一週間くらいどこにも行かずにぼーっとしていたい。多分適わぬ夢なんだろう。
現実はというと初日は東照宮華厳の滝、竜頭の滝という、まあ定番というか、紋切り型というか、関東地方の小学生の修学旅行みたいな観光コースを巡った。東照宮は妻が病気になって二度目。今回も東照宮美術館の駐車場まで行きそこから車椅子押して拝観受付所まで行く。そこからは徒歩。妻も急な石段を登る。
最初の数段は慣れないせいかおぼつかない感じだが、それでもなんとか登っていく。数段後ろからフォローするようにしてついていくのだが、もしも妻がバランスを崩してこけたら、多分支えきることは難しいだろう。そうなったら共倒れである。それ以上に他に観光客にも迷惑をかけるかもしれない。それを考えるとこのうえないほど危険なことなのだが、健常な人でも石段踏み外すことだって実は考えられる。足取りがやや怪しいお年寄りも沢山いらっしゃる。結局は確率以前の問題に収斂されていくことなのかもしれない。
前回も思ったことだが、こういうところもとりあえず昇り降りできるようになったことを素直に喜んだほうがいいのだろう。以前どんな風かなと思い片足をまったく使わずに杖と右足だけで家の階段をためしに降りてみた。これが実はとても怖い。ふだん何気に降りている階段の傾斜ががけのようにさえ感じられた。それを思うと妻がふだん家の階段の昇り降りをゆっくりながら行っているのはとても勇気あることだとも思う。しかし今はまだ体力があるからなんとかなっている。でも結局のところ杖と片足だけでふんばっているのだ。左足は機能全廃でつっかえ棒としての機能も果たしていない。今はいい、でも5年後10年後は・・・・。そんなことも考えてしまう石段登りなわけ。
東照宮はいつも変わらず東照宮である。ここに来るといつも同じものを写真に撮っていることに気づく。想像の象、三猿、陽明門、眠り猫、神輿。最初に日光訪れたのは小学六年の修学旅行の時。その時撮った写真とだいたいアングルが同じだったりもする。40年近く前のモノクロ写真とほとんど同じような写真撮っていたりするわけだ。こういうのも三つ子の魂みたいなものなんだろうか。

華厳の滝は今回初めてエレベーターで滝壺脇の展望台に降りた。今まで何度もここを訪れてきたのにたかが滝壺みたいな感じでパスしてきたのだが。ほぼ100メートル下まで一気にエレベーターで降り長い地下通路を通り抜けると滝壺脇を眼前に作られた展望台にたどり着く。で、これはすごい。なかなかの絶景である。滝が迫ってくるような感覚。さらにすさまじい量の水しぶきでほとんど小雨の中にいるような感じである。この滝は見下ろす景色のほうが美しいとは思う。しかし間近で見上げるこの滝は圧倒的な迫力がある。こういうのも中々に楽しい。まあ二度目はないかもしれない。観光とはいえ100メートルの昇降で530円だからな。
今回は娘と二人で降りた。切符を買うときに係りの人が下におりてから展望台にいくまでにかなりの階段がありますというので妻は上で降りることになった。でも実際降りてみると展望台の階段はたいしたことはなかった。上にある無料の展望台の階段を妻は手摺につかまって昇り降りしていたのだから。その話を妻にすると少し悔しそうに「次は私も行く」と答えた。