鴨志田穣死去

朝日新聞 2007年3月20日
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200703200383.html
植木等の死亡記事を検索していてこの記事にいきあたった。鴨ちゃん死んじゃったんだね。元夫人の西原理恵子の漫画に頻繁に出てくる鴨ちゃんが、アルコール依存症で入退院を繰り返していることは、西原の「毎日かあさん」等を読むことで見知っていた。でも腎臓癌だったとは。そういえば、「毎日かあさん」に出てくる鴨ちゃんの画は次第に半端じゃないやつれた姿として描かれてはいたけれど。
42歳。早すぎる、早すぎる死だと思う。彼の作品はというと「アジア・パー伝」1作のみ買って読んだ。でも面白みのない、文章修行中みたいな文だった。正直西原の漫画がなければつらい本だった。西原曰く「彼の文章は彼の話ほどに面白いことはなかった」そうな。まあ西原がいなければ世に出ることはなかった人ではあったとは思う。それは例えばゲッツ板谷とかと同じようにだ。
彼の一生は、小説家としてでもなく、カメラマンとしてでもなく、戦場ジャーナリストとしでもなく、西原理恵子の元亭主にして、彼女の漫画に登場するきわめてユニークなキャラクター鴨ちゃんのモデルとして記憶されるのだろうと思う。それはなかなかにつらい人生なのかもしれない。でも、市井に埋もれて生きているときからすでに忘れられた存在であるような普通の人々からすれば、そんなにも悪い人生ではなかったのかもしれない。彼の後半生がアルコール依存症や癌との闘病であったことはもちろん不幸なことだ。でも、西原理恵子という稀代の才能の持ち主と一緒に暮らして、一男一女をもうけた人生でもあったわけだ。
彼の絶筆になった文章は西原との出会いを描いたものだ。それは彼女との初めての出会いを細部にわたって思い出し、もう一度記録にとどめようとしたきわめてストレートな文章だ。行間には西原への憧憬ともいうべきものがにじみ出ている。この人は最後の最後まで西原を愛し続けていたんだなと思う。
http://homepage2.nifty.com/jyurousya/index.html?main=kamo13.html
http://homepage2.nifty.com/jyurousya/index.html?main=kamo14.html
西原とは昨年末によりを戻して同居していたという。末期癌で桜の花が咲くまでは持たないと医師に宣告されていた鴨志田を彼女が引き取った形のようだ。葬儀でも喪主を務めた。彼女の喪主としての挨拶を引用する。

(西原喪主挨拶)
彼はふたつの病と闘いました。ひとつはアルコール中毒で、もうひとつは癌です。
アルコール中毒は致死率8割という難しい病気で、
完治することは難しいのに、彼は、わたしを含め、周囲のひとに意志が弱いひとだと見放され、
十年間もたったひとりで闘わなければなりませんでした。
怖かったと思います。苦しかったと思います。
たったひとりで闘って病を克服して帰ってきたのに今度は癌に……
彼と最後の日々をすごした3ヵ月間、彼は一度も愚痴や不満をいいませんでした。
仕事が楽しい。生活できることがうれしい。生きていることが幸せだといっていました。
とてもいい男でした。彼のことで嫌な思いをしたひとは、どうか忘れてください。
ほんとうは彼は意志の強い男です。いい男です……

西原もまた鴨志田穣という人物を愛していたんだなと思う。42歳。早すぎる、早すぎる人生だ。(合掌)