女の子ものがたり

女の子ものがたり [DVD] 女の子ものがたり
プエラリアの成分とはどんなものか
西原理恵子の原作の映画化。劇場で公開している時から気になっていた作品。DVD化されていたのをようやくレンタルして観た。
面白かった。多少しんどい描写、ダレ場もあったけれどきちんと集中して観れた。全体としては、西原ワールドとは異なった雰囲気だったと思う。監督自身がどこかで語っていたんだっけ? 女の子版『スタンド・バイ・ミー』を目指したって。まさにそんな感じだったかな。
小学生時代の少女三人が生き生きとしてよかった。やっぱり子役に勝る名優はいないということかもしれないな。みんなうまいし泣かせる。役者が変わって高校生になるとまた雰囲気が変わってくるけど、大後寿々花、波瑠、高山侑子というハイ・ティーンの女優さんたちがけっこう雰囲気でていてこれもよかった。みんなうまいんだよな若いのに。なんていうのだろう、このくらいの年齢の女の子たちがもっている、性としての女になる以前の中性的な部分みたいなものがよく出ていたようにも思う。
波瑠と高山はティーン向雑誌のモデルさんということだ。しかしこうやって次から次と可愛くて、たぶん二十歳過ぎると確実に綺麗になるだろう、それでいて表現力がきちんとある、ようは才能がある子どもたちが出てくる。そういうことに素直に驚いてしまう。
ただしね西原ワールドを描くのであればという視点からすると、若干疑義を唱えたくなる部分もあるにはある。それはね、とにかく出てくる子どもがみんなかわいすぎる、綺麗過ぎるということかな。まだね主人公のなつみ役の大後寿々花とその子ども時代を演じた森迫永依はなんていうか普通っぽくて多感な感じがあってリアリティがあった。でも友だちのみさちゃん、きみちゃんは原作ではそれはそれは恐ろしく汚くて、貧乏で、不細工でというそういう女の子たちだったはず。それが全然汚くなくて、貧乏そうにも見えないし・・・・、そのへんがちょっとリアリティがなさ過ぎてと、まあちょっとした不満だな。
まあそのへんを展開していくと、深津絵里と西原ではちょっとシンクロしにくいし・・・・、まあそれぞれ大変魅力のある女性であることは間違いないけど。
DVDを観終わってから改めて原作漫画を久々通して読んでみた。やっぱり凄い世界だと思う。青春時代という、生きることにようやく仮免許とったばかりの不器用な子どもたちの世界が独特な筆致でよく描かれていた。そして子どもたちの生活の背景には現代では想像もできないような、貧困、無知、そこから生み出される粗野な猥雑さがある。西原はその総てを肯定的に描いている。しかし一方で実は彼女はそうした世界を唾棄すべきもの、けっして自身はそこには戻りたくない、自身が脱出した世界でもあるのだと思う。
少女時代の友だちとの交流、それに対する懐古と郷愁。一方で懸命の努力によってそこから這い上がって絵を描くことを生業にすることができた現在の自分という存在。
そのへんのもろもろが映画の中では、実はすっぽり抜け落ちているようにも思った。だから友だちへの懐かしき思いと彼女たちを捨てて都会にでてきた自分へのある種の嫌悪みたいな、なんかそういう短絡的な部分だけが強調されている。
映画のラストで主人公は帰郷する。友だちの一人は行方不明、一人は亡くなっている。そしてその娘とのささやかな交流があって、心が少しだけ和んでみたいな。でもそれは原作が持っている故郷とそこでの友だちへの思いへの複雑な感情とは違ったものになっている。
とはいえそれはそれでいいのじゃないか。原作は原作、映画は映画。それぞれに独立したものなんだから。映画は青臭く、泥臭く、そして真面目に、ある時代の地方都市の少女たちの世界の生活の断片をうまく切り抜いて見せてくれている。それでいいと思う。
原作のラストのネームはこんな風になっている。ほとんど詩のような世界だ。

お父さんはきげんのよい時、私によくこう言っていた。
「お前は何かちがうぞ」
「人とちがう人生を送れるやもしれん」
私はお母さんのくれた100万円とお父さんの20万円とその言葉をもって
街をでた。
もうかえらない。
それから私は東京に出て
絵の仕事をして少しだけ成功した。
みさちゃんは 私に、そしてみんなにいろいろお金をかりていなくなった。
みさちゃんは やっぱりしあわせになれなかった。
きいちゃんはそれから女の子が一人うまれて
だんなに何回も殴られてどうにか離婚して
神様と娘とで いっしょうけんめい生きている。
いつだって思い出せる。
あの工場と団地のある いろんな においのする原っぱ
私はみさちゃんときいちゃんが好きだ。
ともだちだ。
もうこんなともだちは 一生できないと思う。