一年が経った

妻が発症してちょうど一年がたった。振り返るほどの余裕もないまま、ある意味では様々な事柄に追われるようにして、本当に駆け足で走ってきた一年だった。月並みだけれど、あっという間に過ぎた一年。朝、妻に朝食を食べさせている時にそんな話をした。
「君が倒れてからちょうど一年だよ」
すると傍らで食事をしていた娘が間髪いれずに口をはさんでくる。
「ねえ、あの時パパが作った麻婆豆腐を食べていたんだよね。そうしたら電話がかかってきて、それから病院に行ったんだよね」
娘にも一年前のこの日の夜の体験は強烈な記憶として残っているのだろう。それは私にも同じことでもある。一年前のこの日のことはたぶんいつまでも鮮明に残るだろう。2005年11月15日、この日を境にして我が家の生活はすべて、ある意味では根本のところからものすごく変質してしまった。直接的には発症し、入院して手術を受けた妻。片麻痺となってリハビリを余儀なくされた妻の看病やら介助といったもろもろ。またそれまで原則として仕事、家事、育児など家庭に関わるすべてのことを分担してやってきた。それらが総て自分のもとにのしかかってきた。
そういう現象面みたいなところとは別のところで、なんていうのだろう。妻が障害者となってしまったことによる心理的な影響とでもいうのだろうか。ある意味ずっと健康でまあまあ普通の親子三人の生活を送ってきた。そういうまあまあ普通の生活、その前提としての健常性のバランスが失われてしまった。もう我が家族は、ようするにうちは普通ではなくなってしまったという実感。周囲の皆さんと同様の普通さ、そういうレベル、クラス、グラフ上のメモリ、そういったものからこぼれ落ちてしまったような感覚。普通でなくなることによる心理的格差の受け入れ、容認。そんな感覚だろうか。
別に妻の障害を恥じているわけでもないし、障害をもった妻の存在をつねに負担だと思っているわけでもない。でもなんていうのだろう、妻が元気な時にとくに意識することもなく感じていた普通意識を持つこともできなくなった。周囲もまた車椅子の妻がいる我が家族に対して何気に別種の眼差しを向ける。
うちの場合は妻が障害者であるということだし、ある家にとっては子どもが長患いをして入退院を繰り返しているとうことでもあったりする。ある家にとっては家人の年寄りが寝たきりとなってしまったり。健常性のネットからこぼれ落ちてゆく理由なぞいくらでもあるのだろう。でもそこから一旦こぼれ落ちてしまったら、もう普通ではなくなってしまうのだ。
ヘルパーという名の他者が日常的に自宅に入ってくる生活が別の意味での普通になる。外出の際には、どこへ行ってもまず最初にトイレを確認すること、車椅子用のトイレがあるかどうか、洋式トイレかどうかを常に確認することが普通になったりもする。車椅子もしくは杖歩行の妻のスピードとかを考慮して、時間ぎりぎりという形での移動はできなくなること。車椅子を押して人が多い場所へ出る時は、とにかく他者に対して頭を下げるのが普通になること、などなど。
妻にこの一年はどうだったと聞いてみると、「七ヶ月くらい入院していたから、とっても長かった」そうだ。家族の側からすると本当にあっという間の一年だったけれど、やっぱり当事者にとっては別の思いもあるのだろうな。発症とそれに続く入院生活、リハビリ訓練などなど。妻からすれば退院するまでの日々はもう一生続くのではないかとさえ思えるくらい長い日々だったのかもしれない。たぶん長い人生のなかでもとりわけ長く感じられる一年ということなんだろう。
こんな日記を続けることによって、当時の出来事やその時点での自分の感じたことなどを容易に振り返ることができる。気恥ずかしい部分も多々あるけれど、そうとうに追い込まれていたんだな〜などと幾分かは客観視もできる。仕事を終えてから、娘を学童に迎えに行き、その足で都内の病院へ向かうという生活を続けていたことなど今思うに本当に綱渡りみたいな生活だなというのが率直なところだ。
そのようにして一年が過ぎたわけだ。いろいろな思いがあるけれど、片麻痺の妻と私と娘、三人家族でのこれからずっと続いていく長い生活の中では、最初の一年、ちっぽけな一年でしかないということだ。