転院

 所沢リハビリテーションセンター病院に転院した。
 午前中、9:00〜10:00までの間に病院に入るよう指示されていたので、朝から大忙し。五時起きして六時半に家を出たのだが、都内に向かう道路は大渋滞。国際医療センターに着くまでにおよそ二時間以上もかかった。搬出業者には八時半頃に患者搬出をお願いしていたので、車中から病院に電話して場合によっては業者だけで搬出作業を行う旨連絡する。
 医療センターに着いたのは結局8時40分頃。病院の玄関で、搬出業者に丁度出会う。妻はすでに車の中。娘も学校を休ませて連れてきていたので、彼女を同乗させて先に出発させた。それから病棟に向かい幾つかのサマリーを受け取り、病室内の荷物を整理してあわてて後を追った。病室の状況なんだが、結局病院は何もしてくれないのだな。どれがタオルケットなど、どれが病院のものでどれが私物なのかが判別しない。自分で持ち込んだものはある程度把握できるが、弟のカミさんが持ち込んでいるものが今ひとつわからない。結局、タオルケットとパジャマを忘れてきてしまったようだ。でも着替えたパジャマはどこに置いてあったんだろう。見渡した限りではどこにもなかったようだったが。やっぱり付け届けをサボった罰なんかな。
 行きとは逆に所沢への道程はスムーズに道路が流れていて一時間弱で所沢リハセンに到着。慌しく入院手続きをすませた。この病院では担当看護師がつくことになっていた。そのS看護師からいろいろと説明を受けた。理知的なタイプで仕事できそうな感じの女性。彼女から病院内の説明や妻の病状診断の簡単なテストなどを受ける。高次脳機能障害の診断テストを目の前で見ることになった。妻には記憶障害があることもわかった。
文脈のない五つの単語を看護師が何回か言い、数分してからその言葉を患者に言わせるという内容なのだが、妻は四つまではなんとか思い出せるのだが、五つ目の言葉がでてこない。そばで見ている自分もちょっとショックだったが、妻は割りとひょうひょうと焦ることもない。これも障害の影響か。
 慌しい午前の後、午後は主治医のK医師のから簡単な診察の後に私だけ病状説明を受ける。医師の傍らに担当看護師がついていて、看護師も意見も述べる。そのへんがちょっと目新しいものがあった。医師の病状診断、治療訓練計画は率直かつ担当直入だった。以前、MRIを見ながらも指摘があったことだが、やはり右側脳梗塞巣が大きく様々な障害が出ているようだ。これまで国際医療センターの医師からははっきりと明示されていなかったが、知的機能が低下しているようで、高次脳機能障害として注意力障害、記憶障害、遂行機能障害等が見られるとの指摘だった。
 こちらのリハビリでの希望としては日常的な身の回りのことを一人で行えるまでに回復すること、最終的な目標としては独立歩行を問診表の希望欄に明記していたのだが、K医師はストレートに「経験上、これだけの大きな梗塞巣がある場合、独立歩行は難しい」との絶望的な宣告も受けた。そのうえで治療訓練計画説明書を書いていただき、それに署名した。内容としては以下のようなものだった。
・病名:脳梗塞
・機能障害名:全般的知能機能低下、左片麻痺
・治療計画:①身の回り動作、起居動作訓練、②知能評価
・訓練計画:①車椅子、②家屋、③環境調節、④食事、⑤心理、⑥言語、⑦装具
 正直、妻の病状が予想以上に深刻なものであること、歩行訓練が除外されたことにショックを受けた部分もあった。左半身麻痺はともかく、日常会話については普通であったから、少々とんちんかんな会話があったとしても発病〜入院という環境変化からくるものと楽観的に考えていたのだが。また、介護保険についてはすぐに申請するようにいわれた他、いずれ身体障害者手帳の申請も行うことになるとのこと。入院期間は2〜3ヶ月。
 妻の発症以来、いずれ妻が自宅に帰ってくること、自宅での介護が始まることもすぐに想定した。ただこちらの希望的観測としてなんとか身の回りのことを自力で行なって欲しい、出来れば杖や装具を用いても歩行できるようになって欲しいという思いがあった。そのうえで妻の勤めている会社への復職は難しいとしても何らかの社会復帰が可能になればという思いもあったのだが、そういう将来の可能性がだいぶん狭まってしまったんだな痛感した。
 左片麻痺の他に様々な認知障害を抱えてしまった彼女の将来、それを家族が支えていかなければならない。家族といっても娘はまだ小さい。すべては私が担うことになるのだ。我が家の先々のことに暗雲が垂れ込めちゃったということなんだろうな。妻が自宅に帰ってくる時、はたして妻を一人で家に置いておけるのかどうか。こんな事態を想定することなく作った我が家は二階にリビング、キッチン、風呂があり寝室一階という作りで身障者におよそ優しくない造りだ。そもそも収入の半減、医療、介護での出費、妻との共有でそれぞれが持っている自宅のローンなどなど。いったい生活を維持していくことが可能なんだろうか。
 毎日私が勤めに出て、娘は学校へ行く。残された妻が一人で家事はともかくとして、最低限の自分のことを行って行くという生活の図面が描けるかどうか。今はとにかく理性的には、妻の病状を含めた現実を受け止めて行くということしきゃないんだろうとは思う。先々のことはその時に考えよう。いろいろと予測可能範囲としての想像力、想定範囲は広げておく必要はあるだろう。でも、先のことをくよくよ考えていてもたぶん何もいいことはないだろう。妻が少しでも良くなること願い、彼女を励ましていく。自分と娘の生活をきちんとしていく、そんな些細なことからとにかく始めていくしきゃないのだから。
 看護師との面談の中で妻の体重が60キロ強あることを初めて知った。妻はそれまで体重に関しては私に隠してきていたけど、私がいる前でしれっと言ったのも障害の影響だろうか。身長155センチで60キロ強はやはり太りすぎ。このへんが発病の原因なのかもしれないな。食事療法として減塩メニューがとられること、間食の厳禁も言い渡された。医療センターでは間食は自由にできたから(結局放っておかれたんだな)、このへんもいろいろ違ってきた。妻は「少しはいいでしょ、ケーキが食べたい」と盛んに言っているが、厳しく「ケーキは当分駄目」と話した。体軽くしなくちゃリハビリもうまくいかないだろうし、食生活から改善していかなくては再発の危険もあるだろう。病状からくる知能低下から妻が様々な反発行動に出なければいいのだが、とこれも心配の種だ。
 この病院ではセキュリティのこともあり、面会時間もけっこう厳密に守られている。だから医療センターのように夜八時過ぎの面会とかっていうのはなかなか難しくなってくるだろう。自宅から近くはなったが、会社帰りに娘を迎えにいってから面会にいくとなるとけっこうシビアだなとも思った。