退院日は6月2日

介護保険調査の前に看護師に退院の日取りを来週の金曜日にすることを伝えた。6月2日だ。会社は半休をとって2時頃に病院に向かう段取りになる。土曜、日曜と家族が一緒にいていつもの土日の外泊訓練と同じことを行い月曜からヘルパーに来てもらうということにしようと思った。もちろん5日の月曜だけは会社を休んでヘルパーとの顔合わせや細かい連絡とかもしなければならない。これからしばらくはこうやって半休、全休をとることが増えていくのだろうとも思った。
それにしてもようやっと決まった、いや決めた退院日だ。昨年の11月14日に発症して以来のことだからすでに半年を越える入院生活。最初はどうなることやら、およそ先の見えない状態のまま、とにかく障害者となった妻の現実を受けとめなくては、とだけ自分に言い聞かせてきた。それでも2月の再手術以来、飛躍的な回復ぶりで当初望むべくもなかった杖歩行も短い距離ならなんとかなるようになってきた。発症から一ヶ月くらいは、ひどい注意障害があり、落ち着きがなく、話をしていてもすぐに別のことを始める。テレビも一分と観ていれなかった。暑がって人前でもパジャマの胸をはだけようとしたり、などなど。
おまけに国リハに入院相談にやってきた時でさえ、担当の医師からはCTの写真を見ながら、まだ動かせる状態ではないのではとまで言われた。梗塞巣が右脳の三分の二に達するため、回復にあまり過度の期待をもたないようにとも言われた。入院時の治療計画でも身の回りの起居動作中心で、歩行訓練もなかった。そんな状態のまま国リハでの入院生活がはじまった。
12月12日の入院時に入院期間は三ヶ月といわれていたので、2月あたりからいつ退院の話が出るかとビクビクしていたのも覚えている。それから主治医から転院して頭蓋形成術をしてもう一度入院リハビリの話が出た時には、それこそ駄目もとでこちらからも相談してみたいと思っていたことだったので望外の喜びだった。
そして国際医療センターに転院して2月17日に手術。術後翌日から車椅子で病棟内を徘徊できるほどの回復ぶりで、3月1日に国リハに再転院。それからはOT、PTで機能回復も順調にすすんできた。本当に医療センターから戻ってきてからの回復ぶりは目覚しいものがあったとつくづく思う。
そうしてようやく退院の日をまもなく迎えることになるということだ。妻本人もたぶんこの日をずっと待ち望んできたのだろうと思う。40代半ばにして障害者になってしまた妻にとっては、発症以来のこの半年間は本当につらい日々だったろうと思う。家族にとっても病院通いを続けてきた日々は相当にしんどい毎日だった。私もそうだけれど、小さな娘には本当につらかったろうとも思う。
とにもかくにも妻は退院する。でも、ある意味では病院での安全、快適な生活から自宅での生活に変わるということはとてつもなく大変なことでもある。妻にとってはある意味では病院での様々な規制のない生活になるので楽といえば楽なのかもしれない。でも病院のような上膳据え膳ではなかなかいられなくなってくる。さらにいえば、家族にとってはこれからが本チャンの介護生活が始まるのだ。道程はハードなものになるのだろうと容易に想像がつく。でも、そんな風に当初想定する以上のことがいろいろと起きてくるのかもしれないのだとも思う。