取次の苦境

  今日の朝日、文化・文芸欄に出版取次が苦境に陥っている状況をレポートした記事が載っていた。記事ネタがなかったのか、あるいは文化・文芸にとっても出版流通を支える取次の厳しい経営状況は問題だということか。

 

出版不況の中、全国の書店に本を届ける取次会社が苦境に陥っている。業界最大手が昨年度決算で19年ぶりの赤字となるなど、流通構造の変化に対応が追いついていない。日本の出版文化を支えてきた流通網がほころび始めている。  

   これは先週送られてきた『新文化』にも日販、トーハンの決算が報じられていた。

https://www.shinbunka.co.jp/kessan/kessan-2019.htm

 それによれば日販は19年ぶりの赤字決算となり、親会社に帰属する純利益は2億900万円円の損失となっている。書籍や雑誌の減収、物流経費の上昇、さらにはグループ書店の赤字店舗の減損損失なども影響されているという。債務超過が続く文教堂チェーンを抱えていることも日販には大きな足枷となっているのではないかと思う。

 これに対してトーハンも2年連続の減収減益決算となっている。やはり雑誌売上が大きく落ち込んでいること、運賃の上昇(15億値上)などの影響によるものとされている。ただし、自己資本比率は36.1%と財務基盤は日販よりも良いという状況は変わりないようだ。しかし、今年末には新本社建設が始まるなどもあり、売上の低迷とともに楽観はできない状況のようだ。

 朝日の記事に戻る。取次の苦境の背景は雑誌の落ち込みとして、

 不振の背景は、ピーク時の半分以下となった雑誌の売上減だ。日本の出版流通は、大量の雑誌を発売日に合わせて一斉に全国の書店に届ける際、「ついでに」送ることで書籍の配送コストを吸収する仕組みで機能していた。売れ残れば返品できる慣例があり、その割合が約4割にのぼる現状もこうした仕組みがささえてきた。

 さらに近年は、人手不足で配送ドライバーの賃金が上がり、業績悪化に追い打ちをかけている。 

   書籍売上が雑誌を上回ったのは2016年だった

 このとき多くの業界人が衝撃を受けたはずだ。業界の隅っこに生息する自分のような人間にもことの重大さは理解できた。この業界は雑誌の売上で食ってきたのだから。書籍はあくまで「おまけ」、朝日の記事でいう「ついで」だったのである。その「おまけ」がメインである雑誌の売上を上回ってしまったのだ。それだけ雑誌の売上が垂直落下のごとくに急減したのだ。

 理由はわかっている。インターネットの普及により、無料情報が氾濫するなか、わざわざ有料の活字情報を求める人間がどれだけいるのか。そして広告もまた雑誌からネット広告に移る。雑誌の売上が激減するのは自明のことだった。みんながみな、それを判っていながら何もしないでいた、そういうことだったのではないか。

 これは大変なことになる、しかも取次の経営が成立しなくなる。直感的に思ったことが3年後の今、現実化している。

 日販、トーハン両社とも経営の立て直しに、雑誌配送に伴って出版社から支払われる「運賃協力金」の引き上げを要請している。日販は150以上の出版社が前向きに検討しているとの回答だったといい、トーハンは内容は非公表だが、235社から回答を得たという。

 さらに 、出版社に書籍の値上げを求めていて、読者の負担増につながる事態も予想される。たあ、出版社側からは「寡占状態にあぐらをかいて、新たな収益源を見つけてこなかった。今頃泣きつかれても困る」(大手出版社幹部)と不満もくすぶる。

   寡占状態は雑誌配送の効率のためでもあり、何も好んで寡占だった訳でもない。しかも取次の株主には大手出版社が名を連ねており、取次の独自経営の束縛してきたのも実は出版社なのである。

 「新たな収益源」、トーハンはこれまでのプロダクトアウトからマーケットイン型の流通を目指すという。同様に日販も在庫型から通過型に流通を転換させることを狙っていると何かお記事で読んだ記憶がある。プロダクトアウトはメーカーからの供給された商品を市場(書店)に撒く従来型の流通だ。それに対してマーケットインは要は書店からの注文品を調達することに主眼をおいている。通過型物流は右から左に小品を動かす。自ら在庫を持たない形だ。

 そうした効率的な流通は出版社にとっては、これまでの取り敢えず取次に入れてしまえば、書店に配本してくれる、換金してくれる流通からの脱却でもあるのだ。「新たな収益源」とは出版物を扱わない形で創出される可能性もあるのだ。取次が本気で生き残りをかけた取り組みを始めたとき、泣きをみるのはどこになるのか。憂鬱なニュースっでもある。

ギュスターブ・モロー展を観る

 パナソニック留美術館で開催中の「ギュスターブ・モロー展ーサロメと宿命の女たちー」を観た。

 この美術館は初めて。ジョルジュ・ルオーの作品を収集していることで知られている。これまでにもルオー単体の回顧展やルオーとマティスなど興味をひく企画展を行なっており、いつか行ってみたいと思っていた。

 そして今回のモロー展だが、モローとルオーは師弟関係にあり、そのへんから企画されたのかもしれない。よく引きこもりの画家と言われるモローは、晩年になってから国立美術学校で教師をしていた。そのときにルオーやマティスが講義を受けていたのはつとに有名である。

 今回の目玉はというと、モローの代表作である「出現」がパリ、ギュスターブ・モロー美術館からやってくる。「出現」はルーブルに水彩画が収蔵されているが、油彩画の方は今回やってきた、ある意味本家ともいえる作品だ。

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「出現」

 イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネの首を、王に舞いを披露した褒美として貰い受けるという新約聖書の物語からインスパイアされた作品。モローはその物語から踊るサロメの前にヨハネの首の幻影が現れるという衝撃的な光景を描き出した。その首はサロメにだけ見える幻であり、それはサロメの後ろにいる人物たちの視線からもわかる。

 この作品は当時大きな話題を呼び、オスカー・ワイルドはこの絵に刺激されて戯曲「サロメ」を書いた。その後、芝居や映画で何度となく演じられる魔性の女サロメは、この作品から始まったというのだ。

 正直、今回の回顧展はこの一作だけといってもいいかもしれない。これ以外にも多数の作品が展示されているのだが、「出現」のインパクトがすべてにおいて勝るような気がする。しばし作品の前で釘付けになってしまった。それはサロメの「運命の女」というワイルド的解釈によるものではない。ただただ画面構成からくる衝撃である。構図宙に浮かぶヨハネの首とそれを左下から指差すサロメ、ほぼ黄金比ともいうべきバランスをとっている。さらには後年、書き加えられた細密描写の線描などもオリエンタリズムを彷彿とさせる。

 とにかく稀代の画力のなせる緊張感溢れる画面構成という感じだ。この一作を観るために多くの者が集うのではないかと思う。

 実際、雨の日曜日の午後、しかも3時過ぎというのに入場制限がかかるほどの混雑だった。この美術館はかなりパナソニックのビルの中にあり、かなり狭い。その中にモロー美術館から貸し出された作品が展示されているのだが、せっかく大々的な回顧展なので内外の作品をもう少し集めてもよかったかなと思わないでもない。

 例えば西洋美術館には「牢獄のサロメ」「ピエタ」といった小品ながら素晴らしい作品がある。いずれも「出現」との関連で展示されることでより理解が深まる作品だと思う。そのへんがちょっとだけ残念だったかと思う。

 しかしモローの代表作、そのオリジナルを観ることができたのはある種の行幸といえるかと思う。この作品は本当に素晴らしかった。

印象派への旅 バレル・コレクション

 文化村ミュージアムで開催されている「印象派への旅 バレル・コレクション」を観た。印象派中心の企画展ということで前から観たいと思っていたのだが、チェックすると6月30日までということで急遽行くことにした。パナソニック留美術館でやっているギュスターブ・モロー展も6月23日までと会期が迫っているので、ハシゴするつもりだ。

 休みに都内で美術館巡りというともれなくカミさんが着いてくる。さらに今回は子どもも一緒ということで車で都内へ繰り出す。駐車場は文化村の隣にある東急本店の駐車場に入れる。

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https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_burrell/#point

 バレル・コレクションとは19世紀後半から20世紀にかけてスコットランドグラスゴーで海運王の名を馳せた実業家ウィリアム・バレルの美術品コレクションを集めたものだ。印象派を中心にイギリスやオランダの絵画を集めた膨大なコレクションをバレルは故郷グラスゴーに寄贈した。1944年のことだ。そのコレクションはグラスゴーの博物館群に保存されていたが、1983年に専用美術館バレル・コレクションとして開館した。

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バレル・コレクション

 バレルは寄贈の条件として英国からの不出をあげたということで、この貴重なコレクションはこれまで海外に出ることはなかったのだという。2016年に美術館バレル・コレクションが改築のために一時休館(2020年オープン予定)中のため、海外への貸し出しが行われることになり、はるばる日本にやってきた。まあ、貸し出し料金はドガゴッホセザンヌクールベルノワールなど多岐に渡るだけに、相応の金額となる。美術館としてもこの貸し出し料は無視できないだろう。バレルの遺志よりも運営資金調達ということなのだろうか。

 日本では昨年から福岡県立美術館愛媛県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアムと続き、さらに静岡市美術館、広島県立美術館へと持ち回りで開催が予定されている。

 さてとその作品なのだが、全体として小品が多いという感じがする。印象派といいながらモネは1点もない。ピサロシスレーはそれぞれ1点ずつだ。印象派よりもどちらかといえば、バルビゾン派自然主義やその派生、さらにほぼ同時期の同じ自然主義の影響化にあるオランダやイギリス絵画が中心という印象が強い。

 まず冒頭、コレクションのなかでも目玉ともいうべきゴッホの一品が展示されている。

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アレクサンダー・リードの肖像

 バレルの収集に寄与したグラスゴーの画商である。一時期、ゴッホの弟テオが務めていた画廊で見習いをしていたことがあり、ゴッホ兄弟とは親交があったという。ゴッホが積極的に点描を取り入れた時期の作品でもある。

 これまで注意して観なかったのだが、この絵をもやや遠目から観ると視覚混合により味わい深いものとなる。デトロイト美術館所蔵のゴッホの自画像なども同じ表現となっているので、同じ鑑賞をするべきだったかなどと思い出してみた。

 次に展示されているのがカミーユ・コローの「耳飾り」という作品。

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耳飾り

 衣服がはだけた胸元とどことなくエキゾチックな顔立ち。コローにしては妙に官能的な趣がある作品だ。バルビゾン派に先立つ自然主義の作風であるコローにしては、妙にミステリアスで何か意図ある象徴性を帯びた作品のようにも感じる。

 そしてゴッホと同じく目玉的作品でもあるドガの「リハーサル」。

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リハーサル

 構図、画面構成などが秀逸と解説されているが、何かいつものドガ、いつもの踊り子たちという感じだ。なんていうのだろう、ドガの踊り子たちを見つめる視線が、どことなく冷たいもののように感じられてしまうからか、自分にはドガのこの手の絵に感情移入できないところがある。

 そしてこの企画展でもっとも気に入ったのはこのクールベの作品である。

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マルモワゼル・オーブ・ドゥ・ラ・オルド

 これがクールべ?とつい思ってしまうような作品だ。写実性よりもなにか新古典主義の作品という感じさえする。シャセリオーやブグローのような趣がある。

 その他ではブーダンの作品が数点展示されていた。その中にはいつもの浜辺の景色や船を描いた海景画あり、さらにそれらとは異なる洗濯女たちを描いた作品などもあり、ブーダンの意外な一面をみたような気がした。同じモチーフをゴッホが取り上げているだけに、多分ゴッホブーダンの絵を観ているんだろうと想像して楽しくなった。

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トゥルーヴィルの海岸の皇后ウジェニー

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ドゥーヴィル、波止場

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トゥーク川土手の洗濯女

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トゥーク川の橋のたもとの洗濯女

 

Fly me to the moon 2

 「Fly me to the moon」のことをもう少し思いつくままに。


Fly me to the moon By Astrud Gilberto

 この曲は兄が持っていたシングル・レコードで聴いたのだが、確かA面が「アルアンダ」でB面がこの曲だったと記憶している。A面ももちろん聴いたけど、小学生だった自分はなぜかB面のこの曲に心が動かされた。

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 それからは折に触れて聴いていて、中学生になると歌詞を訳したりもした。簡単な歌詞だったから中学英語でもなんとかなった。元々のタイトルは曲の中にもあるけど「Other words」ということらしい。直訳すれば「他の言葉でいえば」とか「言い換えれば」とかになる。中学生の頃はそんな風に理解してたけど、もう少し理解が進めば「つまり」とか「要するに」、「早い話」とかそういう風になる。

 最後の「In other words:I love you」は「だから、好きなの」くらいの雰囲気かもしれない。

Fly me to the moon
Let me play among the stars
Let me see what spring is like
On a-Jupiter and Mars

In other words: hold my hand
In other words: baby, kiss me

Fill my heart with song
And let me sing for ever more
You are all I long for
All I worship and adore

In other words: please, be true
In other words: I love you

  この歌は50年代に作られた3拍子のスタンダード・ナンバーでペギー・リーなんかが取り上げていたそうな。それをジョニー・マティスが演奏した時に今のタイトルとなり、さらに1962年、ジョー・ハーネルが4拍子のボサノバ調にアレンジした。時代的にはちょうどボサノバがアメリカに上陸した頃になる。

 そして1964年、フランク・シナトラが取り上げて大ヒットした。ちょうどアポロ計画で月に人類が行くという夢が急激に現実化していた頃である。そうした風潮にキャッチャーなタイトルのこの曲を取り上げたところがシナトラらしいといえばその通りということになる。

 まあこのへんはウィキペディアに詳しく書いてある。

 その後もスタンダード・ナンバーとして多くの人に取り上げられている。最近の人でいえばダイアン・クラールとかも演ってるし、聞けば日本でも松田聖子宇多田ヒカルも取り上げているのだとか。

 しかし、自分にとってはこの曲はアストラッド・ジルベルト一択である。かれこれ50年近くずっと聴いてきた。そして多分これからもずっと聴いていきたい。あの気だるいウィスパー・ボイスを死ぬまで聴いていたい。

フリートウッド・マックのライブとか

 フリートウッド・マックに新しいメンバーが加わったことを知ったのは去年の4月くらいだったか。そのへんの情報はだいたいツィッターで知ることになる。

  なんとトム・ペティのハートブレイカーズでずっとトムの相方だったマイク・キャンベルの加入である。さらにクラウデッド・ハウスのニール・フィンもボーカル&ギターということで加入し、ツアーも行うことが決まったというのだ。

 これは去年9月の情報だったんだけど、自分が読んだのは今年の1月のことだったか。マイク・キャンベルはわかるんだけど、クラウデッド・ハウスってなんだったっけと記憶をたどると1曲大ヒットしたのがあったっけ。そう、「Don't Dream It's over」だ。


Crowded House - Don't Dream It's Over (Live At Sydney Opera House)

 この曲は確かマイリー・サイラスアリアナ・グランデがカバーしてるのを子どもに教えてもらった。まあそれはまた別の話ではあるが、名曲中の名曲といえると思う。

 このオーストラリア出身のニール・フィンの加入というのはどうなんだろうと思いつつ、リンジー・バッキンガムの脱退がはっきりした以上、その穴を埋めるべき男性ヴォーカルが必要だったということなんだろう。

 そして話は戻るがマイク・キャンベルである。トム・ペティが亡くなったのが2017年10月、もうかれこれ2年の月日が経つのだ。トム・ペティという盟友を失った稀代のギタリストはどうなるんだろうと、少しは気にしてはいたのだが、まさかフリートウッド・マックへの加入というのは驚きだった。まあスティーヴィー・ニックスがよくトム・ペティと共演していたし、ハートブレイカーズのライブにも参加していたので、そういうところからニックスが声をかけたのかと勝手に想像してみた。

 そしてその後のツアーとかはどうなっているんだろうと、少しネットをググってみるともうけっこうツアーは進行しているようなのである。

 そこでYoutubeでライブ映像はないか検索すると昨年12月サンジェイゴでのがアップされていた。


FLEETWOOD MAC- (FULL CONCERT) SAN DIEGO - VIEJAS ARENA 12-8-2018

 このセットリストが本当に泣かせる。

SETLIST:
The Chain
Little Lies
Dreams
Second Hand News
Say You Love Me
Black Magic Woman
Everywhere
Rhiannon
Tell Me All the Things You Do
World Turning
Gypsy
Oh Well
Don't Dream It's Over @Cover (Crowded house)
Landslide
Hold Me
Monday Morning You
Make Loving Fun
Gold Dust Woman
Go Your Own Way
Free Fallin' @Cover(PETTY)
Don't Stop 

 

  アンコールではトム・ペティのメモリアルカバーとしてFree Fallin'がトム・ペティスティーヴィー・ニックスの様々な写真とともに演奏される。しかし21曲を休むことなく演奏しきるのは見事としかいいようがない。オリジナルメンバーの年齢は調べるとこんな風だ。

ミック・フリートウッド 1947年生まれ 71歳

スティーヴィー・ニックス1948年生まれ 71歳

クリスティン・マクヴィー1943年生まれ 75歳

ジョン・マクヴィー   1945年生まれ 73歳

 クリスティン・マクヴィーが一番年上で75歳は意外だ。スリムで昔の体型を維持しているだけにちょっと驚きである。スティーヴィー・ニックスは一時の激太り時期に比べればだいぶ痩せてはいるけれど、やっぱり太めのおばちゃん風である。それに比べるとクリスティンは本当に節制しているんだろうと想像する。

 とはいえスティーヴィー・ニックスは70〜80年代のアイドル的存在だった訳なので、ある意味ヤク中激太りであろうが絶対ついていくみたいな存在でもある。ちなみに薬は完全に絶ったみたいらしく、このライブパフォーマンスを観ていてもそれは感じられる。

 出来ればこのメンバーで来日して欲しいところだが、年齢的にいえば難しいかもしれない。でも、万が一来日ツアーとなったら多分絶対行くと思う。ポールではないが2万までは許容かと思う。

Fly me to the moon

 アストラッド・ジルベルトの「Fly me to the moon」が無性に聴きたくなってこのCDを購入した。

Jazz Round Midnight

Jazz Round Midnight

 

 

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Jazz 'round midnight

 ヴァーブに残されたアストラッド・ジルベルトの音源のオムニバス盤である。その2曲目が探していた「Fly me to the moon」である。この曲は兄がシングル盤を持っていて、多分小学生の時に小さなレコード・プレイヤーで何度も繰り返し聴いた。

 ボサノバは多分、セルジオ・メンデスを同時期に聴いていて、次にゲッツとジルベルトの「イパネマの娘」あたりだったか。兄が好きだったこともあり、そのまま「美味しい水」やこの曲を聴いた。いきなりのスキャットから入るこの曲は子ども心にも大人の雰囲気、お洒落な曲調、美しいストリングスと自分の琴線に触れるものがあったのだと思う。

 その後にジョビンやCTIイージー・リスニング・ジャズとかを聴きだしたのは多分中学生だったから、もっと以前にソフィストケイトというか洗練された都会風のイージー・リスニング・ミュージックの洗礼を受けていたということになる。このへんは兄に感謝しないといけないのだろうなと思う。自分の音楽趣味の相当の部分は兄の影響によるところが大きい。ビートルズしかり、ジャズしかりである。

 「Fly me to the moon」のアレンジ指揮はクラウス・オーガーマン、今聴けば一発でわかるけれど、もちろん当時は知る由もなかった。オーガーマンはのちにジョビンのアルバムで知った。


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 さらに次の曲「Non-stop to Brazil」のアレンジ指揮はドン・セベスキーである。ヴァーブからCTIに続くツートップ・アレンジャーだ。これにデオダード加わればスリー・トップか。


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 このオムニバス盤のオリジナル・プロデューサーはもちろんクリード・テイラーである。ジルベルト、オーガーマン、セベスキー、テイラー、役者がすべて揃ったアルバムである。一生聴いていていたい愛聴盤になりそうである。

Windows10へのアップグレード

 ウィンドウズ10への無償アップグレードは確か2016年で終了したはずだった。当初2015年から1年間ということで、あの頃のことを思い出すと、子どもがなんか急にパソコンの画面が変わったと大騒ぎしたりとか諸々あった。我が家のPCも自分の使ってるデスクトップやリビングのもその時に無償アップグレードした。

 会社のPCは専用ソフトのサポートのこともあり、その時点ではアップグレードはせずそのままウィンドウズ7で使ってきた。来年1月のサポート切れを前にして、いよいよ10に移行するか買い替えるかみたいな選択を迫られてきてもいた。実際、弥生会計とかもマイクロソフトのサポート切れと同時に旧OSでのサポート止めるし、様々な決済関係とかにも影響してくる。

 なので、選択肢としてはウィンドウズ10の単体を買ってアップグレードするか、新しいマシンを購入するかみたいなことを考えてはいたのだが、対象機種が10台くらいは優にあるのでいずれにしろそこそこの出費は必要になる。ちなみに専用ソフトだけの端末としてはまだまだXPマシーンもけっこうな台数現役なんだが、ネットつないでないのでこれはこれで何も問題はないんだけど。

 そんなこんなで、ウィンドウズ10の購入でどのくらいとか、新規マシンでどのくらいとか少しずつ調べているときに、試しにウィンドウズ10のことも調べてみると、なんかまだ無償アップグレードができるような感じなのである。

 試しにグーグル先生で「Window10 アップグレード」とかで検索をかけると、けっこう参考になるサイトが出てくる。

 そしてたどり着いたのがこのマイクロソフトのサイト。

 インストールのツールをダウンロードすると、PCをアップグレードするのかウィンドウズ10をメディアにダウンロードするのかをきいてくる。ウィンドウズ7の入っているPCをアップグレードと選択するとそのままPCの検証からアップグレードが始まる。だいたい1時間くらいだっただろうか。

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 こういう画面が出て、何度か再起動を繰り返すと無事にアップグレード終了となる。ちなみにUSBメモリーにも落としてみたが普通にうまくいった。

 多分、ウィンドウズ7の正規ユーザーであることや初めてのアップグレードであることが必須なんだろうけど、けっこう簡単にできてしまった。しかしこのマイクロソフトの地味なサイトがいつなくなってしまうかと思うと、早めのアップグレードが必要かもしれないなと思った。しかし、10の最新バージョンが普通に入手できるのってもっと当たり前に普及されていていいと思うのだけれどどうなんだろう。