偕楽園で梅を観る

 美術館の後、せっかくなので近接する偕楽園に行っていることにした。そうちょうど梅が見ごろなのである。

www.ibarakiguide.jp

 偕楽園から道路を隔てた駐車場はかなり混んではいたけど、3時過ぎということでなんとか入ることができた。そして歩道橋を渡って偕楽園へ。

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 ここは去年9月にも来ているのだが、もう夕方だったのでガラガラだった。

 そして梅林に行くにはかなり急な坂道を行かなくてはならない。

 これは去年取ったものだけど、こんな注意書きも。

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 車椅子の場合は二人以上いないと登るのが困難なんである。去年は割と余裕だったんだが、今年はけっこうきつかった。途中でゼイゼイ、バクバクみたいな感じだった。わずか半年くらいなんだけど、けっこう体力落ちているのかもしれない。まあ62歳だし、とりあえず登りきったことを良しとすべきか。

 そして梅林はというと、けっこう遅い時間だったけどかなりの人手。梅というと埼玉だと越生の梅林あたりが有名だけど、まあ広さ的にはさほど変わりはない感じ。ただし遊歩道の整備された感じとかはさすが名所水戸という感じで、偕楽園のほうが良い風。

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 なんだかんだで2時間近くぶらぶらとして過ごす。まあカミさんには美術館よりもこっちの方が楽し気だった模様。

茨城県近代美術館へ行く

 前日の日光から一転、水戸に来た。去年も一度来た茨城県近代美術館に来るためだ。目玉ともいうべき蔵出しの企画展をやっている。

茨城県近代美術館名品展ザ・ベストーモネ、ルノワール、大観から靉嘔まで」

http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/images/exhibition/kikaku/201901/press_thebest.pdf

次回企画展 | 展覧会 | 茨城県近代美術館 | The Museum of Modern Art, Ibaraki

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 ここはモネやクールベの作品も収蔵しているが、なんといってもご当地の大家である横山大観の作品を多数コレクションしている。さらに日本美術院の北茨城五浦への移転に伴い、横山大観菱田春草、下村観山、木村武山等がこの地で研鑽に励んだということもあり、この4名の作品も多数コレクションされている。

 この4人が肩を並べて絵の修行をしているところが写真としても残っている。近代日本画黎明期の記録という意味では興味深いものがあると思う。

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  一番手前が木村武山、その横でカメラの方を向いているのが菱田春草、さらに横山大観、一番奥が下村観山である。その向こうの部屋は岡倉天心が起居する間だという。 

 こんな風にして画業に励んでいたのかと思うと興味深いし、なによりこの写真きちんと遠近感のある見事なショットともいえる。

 そして今回の企画展の目玉といえるのが横山大観の「流籠」。

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流籠(横山大観

 他館からの貸し出し希望が多数寄せられる作品とのことだが、かくも艶かしい作品を描いた横山大観のどことなくスノッブな部分を感じさせる。ある意味なんでも描くことができる天才画家でもあり、さらにいえば大衆受けする作品も自在に描くことができたということか。

 俗受けする美人画といってしまえば、それまでなんだが、人を惹きつける魅力溢れた作品だと思う。

 そして今回観た作品の中で、もっとも感銘を受けたのがこれ。

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「落葉」(菱田春草

 1911年に没した菱田春草がその2年前に描いた作品で、同題のものが5作品ある。一番有名な六曲一双の屛風画は永青文庫福井県立美術館にあるという。

 細密描写と空気遠近法による木立の表現などちょっとした感動を観る者に与える。近代日本画のある種の到達点、メルクマールとなる作品ではないかと思う。

空気遠近法は、大気が持つ性質を利用した空間表現法です。 例えば戸外の風景を眺めてみると、遠景に向かうほどに対象物は青味がかって見え、また同時に、遠景ほど輪郭線が不明瞭になり、対象物は霞(かす)んで見えます。

 37歳で早世した春草のことを惜しみ、横山大観は常日頃から自分よりも春草の方がはるかに上手いと口癖のように話していたという。

 同じような画題で下村観山の名作「木の間の秋」があり、「落葉」制作の2年前1907年という。春草は当然、観山の作品を観ているのだろう。2作とも傑作だと思うが、春草の作品の方が感情移入する部分が多々あるようにも思う。

 その他では同じ五浦日本美術院組の木村武山「安房劫火」も圧倒させるものがあった。

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  洋画ではシスレーピサロの定番的印象派作品が素晴らしかった。

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「グラット=コックの丘からの眺め」(ピサロ

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「葦の川辺ー夕日」(シスレー

 この「葦の川辺」は一度観ている。確か2015年に練馬区立美術館で開催された「シスレー展」に出品されていた。

tomzt.hatenablog.com

 印象派の王道を行くような絵だと思う。画家の目に映った光と影による自然の情景、その一瞬をキャンバスに映したとるのが印象派の理念と目的である。この絵はまさにその王道を行くような、印象派の総てが体現されている。印象派の絵って具体的にどういうものですかと問われたならば、モネでもピサロでもなく、シスレーアルフレッド・シスレーのこの絵を見せればいい。

 ザッツ・印象派、これはそういうものだと思う。

日光へ来た

 久々、日光へ来ている。

 健保の宿の中では部屋を取りやすいので、通算すると多分一番来ているところなのだが、ここのところけっこうご無沙汰でもある。

 いつもだと日光での観光はせず、笠間へ行ったり、宇都宮へ行ったりと、美術館巡りをすることが多い。さらにいえば、宿で夕食の後カラオケをしたりということも。交通費を考えなければ、上げ膳据え膳で軽く飲んで、カラオケまでしてという点では随分と安上がりなのだ。まあ庶民の細やかな贅沢のようなものか。

 たまには日光での観光をと思い、頻度からすると江戸村とかに行くことも多いので、今回は鬼怒川の東武ワールドウクェアに行ってみた。世界的建築物のミニチュア版が多数陳列してあるテーマパーク。建築好きだとけっこう楽しめる場所かなと思いつつ、たまに訪れる。

 まあここに来るといつも眺めてはちょっとした感傷に耽るのはここかもしれない。

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 まだ20世紀の頃、一度だけ訪れたニューヨーク旅行の際は、車で前を通っただけだったけど、この建物がたった数時間で完全に崩落したのは、今でもまだ信じられないことでもある。

 そしていつか、いつか行ってみたいバルセロナのこの未完の巨大建造物。

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 多分、実物を見るのは果たせないかもしれないなとも思う。まあそういうものだ。

ザ・デストロイヤー死去

 Twitterのタイムラインを眺めていたらニュースが流れてきた。

digital.asahi.com

 懐かしいオールドネームである。多くの人にとってはTVの「噂のチャンネル」で和田アキ子せんだみつおと絡む覆面コメディアンとして記憶することが多いのだろう。

 いっぱしのプロレス小僧だった自分にとっては気になるレスラー、ヒールの一人として記憶に残っている。さらにいえば彼の伝記をどこかで読んだ記憶がある。当時プロレス雑誌ではスターレスラーの生い立ちをストリー化していた。それには元々大学の花形フットボール・プレイヤーからレスラーに転身したディック・ベイヤーは、ベビーフェースとしてデビューしたが、個性に乏しく、飛び技としてのドロップ・キック以外にファンを印象付けることができなかったことなどが書かれていた。

 そしてベイヤーは自らドライバーを用いて前歯を叩き折り、悪党面に変身し、さらには覆面を被りヒールとして再デビューしたという。まあこの辺のほとんどはプロレス的なストーリーだとは思うが、けっこうよく覚えていた。

 それからのデストロイヤーは中西部から西海岸に転身して、覆面レスラーとして初めてWWAの世界タイトルをものにしている。WWAも懐かしいプロレス団体だ。マッチメークをジュリアス・ストロンボーが担っていたとか、ベアキャット・ライトが黒人初の世界チャンピオンになったり、あの流血鬼フレッド・ブラッシーがヒールになったり、ベビーフェースになったりを繰り返したりとかいろいろ楽しい団体だった。

 小学生の高学年から中学生にかけて、東スポを毎日のように駅のキヨスクに買いに行くのを日課にしてたのだが、東スポは割とWWAの記事を一面に掲げることが多かったように記憶している。

 そしてデストロイヤーは来日して力道山や馬場と抗争を繰り広げる。確か1969年に馬場とインターナショナル選手権をかけて60分フルタイムの試合を行い、馬場が1-0で勝った試合を今でもけっこう覚えている。デストロイヤーがとにかくタフなレスラーという印象だった。

 デストロイヤーの伝記に戻れば、彼の出た名門シラキュース大学のことなんかも、デストロイヤーなくしては覚えることはなかっただろうと思う。それがニューヨーク州にあることから、デストロイヤーことディック・ベイヤーはけっこう都会派なのかと思った時期もある。あとで調べてみるとニューヨーク州といってもシラキュースは北西にあり、ほとんどカナダとの国境沿いという場所だった。

 そういえばディック・ベイヤーがデビュー当時主戦場としていたのは五大湖周辺の他、カナダ地区だったとその伝記にはあったように思う。

 懐かしさもあってか、ウィキペディアの記述とかも読んでいると懐かしいオールドネームのオンパレードでつい楽しくなってしまう。

ja.wikipedia.org

 デズトロイヤーがフレッド・ブラッシーを破り、WWA世界チャンピオンになったとか、さらにカーボーイ・ドン・エリスやディック・ザ・ブルーザーと抗争し、バーン・ガニアビル・ロビンソン、マッド・ドッグ・バション、ペドロ・モラレス、イワン・コロフ等とも闘っている。ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤーはアメリカの超一流のプロレスラーだったのだと思う。

 ご冥福を祈る。

西洋美術館へ行く

 今年初めての上野西洋美術館である。ここ数年、美術館の初詣はここみたいな感じで、最初に訪れるのは西洋美術館だった。自分のもっとも好きな西洋絵画のコレクションが最も充実している場所という意味で、ここがベースになると勝手に思っている部分がなきにしもなのだ。

 それが今年に限ってはなぜか東京冨士美術館が最初になってしまい、2月に上野を訪れた際にも長期休館だったということで3月まで訪れることができずにきてしまった。

 今回、特別展をやっているのはこの美術館の設計者でもあるル・コルビジェの企画展である。「ル・コルビジェ 絵画から建築へ-ピュリスムの時代」。

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 通常、企画展は本館地下で行うのだが、今回の展示は本館をまるまる使っている。以前、「スケーエンの芸術村展」は新館の一部を使ってやったことがあるのだが、本館での展示というのは始めて。まず入ってすぐの1Fにはコルビジェが設計した建築物の模型が展示してある。そのまま階段を上ると、いつもなら常設展時されている14世紀から18世紀の絵画のスペースがすべて、コルビジェやオザンファンなど関連する作品の展示となっていた。

 さてと、まずコルビジェについてだが正直、抽象絵画という括りでしか理解していない。実際のところ彼の描いた平面的な静物画は自分には理解不能な部分が多い。しいていえばエモーショナルな部分がなく、無機質的な感じが強いので、作品に入っていけない部分が多々ある。ようは観る者の情動を排除するような感じがある。

 コルビジェやオザンファンが唱導した「ピュリスム」についても正直ほとんど理解できていない。

キュビスムをさらにおし進め,機械にイメージを求めた普遍的で純粋な造形言語の創造を目ざした。

キュビスムをさらに純化し、装飾性・感情性を排した表現形態を追求した。

キュビスムをさらにおし進め,機械にイメージを求めた普遍的で純粋な造形言語の創造を目ざした。

・明確な線および形,簡潔な画面構成を強調し,造形言語の純化を企てた。

・装飾に堕したとキュビスムを批判し,機械にイメージを求めて明確・簡潔な抽象造形を目ざす〈ピュリスムpurisme〉を唱える。

 だいたい定義、説明されるのはこんな感じである。ようはキュビズムを批判的に展開して、その装飾性、エモーショナルな部分を剥ぎ取り純化させた芸術運動。その結果として無機質な機械のイメージに近い作品を作り出した。

 彼らのキュビズムへの批判的アプローチにも関わらず、キュビズムの側から運動に呼応したのはフェルナン・レジェだという。今回の企画展の中でもレジェの作品は多数展示されている。当時のレジェは機械的イメージとその分割構成による作品を多数描いており、そのへんで親和性があったともいわれている。

 しかし、コルビジェやオザンファンは当初のキュビズムへの批判的アプローチから、じょじょにキュビズムを評価する側に回る。結果としてピュリスムキュビズムの一派生ジャンルのようになっていくとも。

 また当初、運動に共鳴したレジェはじょじょに機械的イメージからより自然的な形態にアプローチを変えていくとも。

 まあ、このへんは一夜漬け的な感じなのであまり、ちょっとした個人メモとしてだけ。

 新館の方はいつもの回廊にミレーやフュースリ、ブーグロー、それから印象派ピサロルノワールセザンヌ等、さらにはモネの部屋、さらにはゴーギャン、ドニ、ボナール、シニャック、最後は現代絵画の部屋でピカソ、キース・ヴァン・ドンゲンなどなどとおなじみのスペースでほっとしたという感じである。

あの素晴らしい歌をもう一度2019

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www.anosuba.net

 懐かしいライブに行ってきた。基本的には中高年相手の同窓会ライブである。よくある夢グループのコンサートのフォーク版みたいなものだ。出演者もだいたい自分と同じから70前後、観客もだいたい同じくらいだ。

 小雨降る九段下から武道館を行く人の群もなんというか、平均年齢高いなと思えてしまう。つい若ぶって地下鉄から地上に出るときに無理して階段を早足で登っていたのはご愛嬌。

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 出演者は登場順でいうとこんな感じだった。

きたやまおさむ杉田二郎

戦争を知らない子どもたち

海援隊

「母に送るバラード」

贈る言葉

尾崎亜美

「春の予感」

「マイ・ピュア・レディ」

太田裕美

木綿のハンカチーフ

「君と歩いた青春」

宇崎竜童

「サクセス」

さよならの向こう側

トワエモア

「空よ」

「ある日とつぜん」

「虹と雪のバラード」

白鳥恵美子・森山良子

PPMメドレー」

森山良子

「この広い野原いっぱい」

「乾杯の歌」

「聖者が町にやってくる」

いずみやしげる・宇崎竜童

TOKIO

いずみやしげる

「黒い鞄」

「春夏秋冬」

イルカ・太田裕美尾崎亜美

春一番

上條恒彦小室等

「どこかで誰かが」

高田漣

「自転車に乗って」

イルカ

なごり雪

「人生フルコース」

杉田二郎

「風」

「男どうし」

六文銭

「キング・サーモンのいる島」

「雨が空から降れば」

面影橋

上條恒彦六文銭

「出発の歌」

アンコール〜全員

「あの素晴らし愛をもう一度」

  順番とかも含めてかなりあやふやだが、だいたいこんな感じだったか。休憩を含めると4時間近いロング・ライブだったが楽しい時間を過ごせた。森山良子が「聖者が町にやってくる」をジャズヴァージョンで歌い、スキャットで様々なミュージシャンのフレーズを真似てみせたのにはビックリ。それもコルトレーンソニー・ロリンズのサックスやミルト・ジャクソンライオネル・ハンプトンのヴァイブをやってみせるとか、かなりコアなところをついていたのが楽しかった。

 さらにいえば総じて女性陣は年齢を感じさせない人が多かった。特に上記の森山良子や白鳥恵美子は、昔と同じ歌声だったし、太田裕美尾崎亜美、イルカは昔を彷彿とさせた。

 病気でなければ、ここに山本潤子も加わっていたのだろうと思うと、少し淋しい思いもした。

 このライブ・イベント、昨年についで2回目らしい。武道館の器を満席にさせるコンテンツだけにひょっとすると来年もあるかもしれない。毎年、少しずつ違う面々が加わるようだが、出来れば五つの赤い風船斉藤哲夫あたりが入るといいと思う。そして当然のようにアリスとかもあるかもしれないだろうし。

 高齢者向け、団塊リタイア組向けのコンテンツといってしまえばそれまでだが、歌に様々な記憶、思い出が連なるのである。センチメンタルでなにが悪い。

 当然のごとく4時間、しばし涙ぐみながら一緒に歌っていた。

『絶版』『重版未定』本をオープンに

 『新文化』2月28日号一面に植村八潮氏が「『絶版』『重版未定』本をオープンに」という長文を寄稿していた。植村氏は元東京電機大学出版局長、長く出版社団体間で電子出版のプラットフォームに関わり、有力出版社が集い、産業革新機構も参加した官民共同会社出版デジタル機構の初代社長を務めた人物である。現在は専修大学で出版論についての講座をもつ大学教授である。

植村八潮 - Wikipedia

 今回の寄稿分は、結論的には「毎年5万点もの『入手不能作品』が生じている」ことへの問題提起と、その主たる理由は出版社による恣意的理由による重版をしないことによることとしている。曰く出版社が出版権を放棄し消滅した「絶版」と、出版権を保持したままの「品切・重版未定」、この二つにより本が重版されないまま放置されていく。

 絶版であれば、別の出版社が著者と交渉して再刊することは可能だ。しかし「品切・重版未定」は出版社が出版件を保持したままのため、他社からの再刊はできない。これは出版権は保持したまま、何かのタイミングでその本や著者にスポットライトがあたった場合は重版したいという、出版社にとって都合の良い、まさしく恣意的な仕組みなのだ。

 しかし、多くの場合その「何かのタイミング」はないため、ずっと「品切・重版未定」状態は続く。その間に出版社も代替わりをし、まったく畑違いのジャンルにシフトすることもあるかもしれないし、それ以前に倒産や廃業もある。また長い時間の経過の中で著者もまた逝去するなどして権利所在が不明になる場合もある。

 昨今、TPPの関連で著作権保護期間は50年から70年に伸びた。これは主にはアメリカの大資本のアニメ・キャラクターの権利保護が理由といわれるが、これによりこれまで著者没後50年でパブリック・ドメイン化が進み、青空文庫などボランティアにより著作物の電子テキスト化が進んでいたが、これにも歯止めがかかることになった。とはいえ、著作権保護期間が伸びたとしても、「品切・重版未定」のままでは、著者や出版社の権利は守られているとはいえ、読者=消費者には何の便宜性がないのである。重版されなければ、入手は不可能なのだから。

 植村氏の提言は簡単にして直裁だ。「本が売れないなら、入手できないなら、権利者不明になるくらいなら、出版社と著者は何をすべきか-オープン作品とすればよりのだ」という。要するに出版権、著作権を保持したまま、誰にでも自由に利用を認めしまえばいいということだ。端的には電子テキスト化を自由にさせてしまえば、それはダウンロードして自由に電子端末で読むことが可能となる。もし、それをオンデマンドで商用出版する、あるいは別の出版社が再刊するとなれば、相応の使用料なり印税なりを払えばいいということだ。

 植村氏の主張は単純明快だが、伏魔殿のごとき出版社の恣意的権利関係にあっては暴論とでもいうべきことになるのだろう。出版社は出来るだけ自らの出版件を維持したい、でもさほど売れる見込みがない本をおいそれとは重版できない。絶版にするには惜しいが重版は出来ない。そこから出版社にとってはたいへん便利な「品切・重版未定」という運用が始まった。

 著者には「先生、今はちょっと重版難しい。でも近い時期に重版を予定していますので、お待ちください」とだけ伝えておく。そういうことが悪習慣のまま続いてきたのだと思う。

 植村氏の主張にさらに付け加えるならば、「絶版」でもなく「品切・重版未定」でもない、著作権フリーについていえば、そのルール化ということかもしれない。例えば品切状態が

通算して5年続いた場合は、著作権フリーとする。それは絶版による出版権の消滅でもなければ、著作権放棄によるパブリック・ドメインでもないということだ。

 以下、気になった部分をメモ代わりに引用する

 品切になっている本を出版社が重版してくれないことで困っている著者に植村は「

自分で他の出版社に売り込むとか、電子書籍化して青空文庫にあげたらどうですか」と提案する。

すると、「そんなことはできません。品切れしても、ちゃんと出版契約書に契約期間が書かれており、縛られているのです」と話す。

 もちろん、著者が要求するのに重版しないのは、契約以前の法の問題である。それについては文化庁の「著作権なるほど質問箱」に、次の解説がある。

 「出版権者は慣行に従い継続して出版する義務があります(第81条第2号)。なお、出版の義務違反の場合には著作権者は出版社に通知して出版権を消滅させることができます(第84条第1項)。また、「継続出版義務違反」の場合は3ヵ月異常の期間を定めて出版を催促する手続を経たうえで、それでも出版されない場合には出版社に通知して出版権を消滅させることができます」(第84条第2項)」。出版社が重版しない場合、その出版社の出版権は消滅するのだ。

 

 かって出版社は自社の出版権を維持するために、単行本を積極的に文庫化した。もちろん文庫というパッケージをもっている場合だが。現在はそれに代わるものとしてオンデマンド出版がある。いったん電子テキスト化し、校正を施したPDFファイルを作ってしまえば、読者の求めに応じて1冊ごとに小部数印刷が可能だ。しかし、この電子テキスト化にもそれ相応のコストが必要なためそう簡単になんでもオンデマンドが出来る訳でもないのだ。

 そうなると結局のところ、様々なIT技術があったとしても、結局のところ「売れない書籍」は品切のまま放置されてしまう。そして必用とする読者がそれを入手したくてもできない状態が続くのである。

 かといって出版社も、特に長い歳月を費やして刊行した専門書のような場合には、いったん品切になったからといって、おいそれと著作権フリーという訳にもいかないだろうという事情もわからないでもない。

 この問題は奥が深い。出版業は文化事業という側面ももちつつも、しょせんは営利事業である。出版社もそう簡単には自社の権利を全面的に放棄することは出来ないかもしれない。同様に著作権者もまた簡単に著作権放棄ということは難しいだろう。

 しかし出版物という知的財産がきちんと読者によって享受されるということを前提にした時に、単に権利だけを振り回して、読者のニーズ、欲求を阻害していいものかどうか。

 同じ文の中で永江朗氏の言葉が引用されているが、本は『所有』されるものから『体験』され『消費』される情報に変化しているという。それはまちがいなく紙の本というモノから電子テキスト化された情報となることである。出版社は自社で情報化させることが難しいのであれば、それをフリー作品として他社に委ねる寛容さをもつことも必要になるのではないかと思う。