シスレー展へ行く

公益財団法人練馬区文化振興協会(練馬区立練馬文化センター/練馬区立大泉学園ゆめりあホール/練馬区立石神井公園ふるさと文化館・分室/練馬区立美術館)
 以前から気になっていたアルフレッド・シスレーの企画展に行く。こうした大型企画展を区立美術館で開くことができるということがある意味驚きである。そしてまた近くにそうした立派な美術館があり、気軽に印象派の巨匠の一人であるシスレー(あえてそう呼ぶ)の作品を観ることができる練馬区民は幸福であると思う。

twitterより
スレー展。国立西洋、ブリジストン、ポーラ、東京富士、いろいろな美術館から借りてるみたい。そういやこれ観たことあるなという絵の数点。シスレーはもっとも印象派を体現した画家かも。

 図録によるとシスレーの作品は日本国内に約40点収蔵されているという。そのうち20点を借用したのが今回の企画展だという。この20点という展示が今回の企画展が寛いで観ることができる理由でもあるかもしれない。新国立や東美などで催される企画展はだいたいにおいて50点以上の荘厳な展示である場合が多いが、正直疲れちゃう部分もあったりするわけ。東美のマルモッタンのモネ展なんかもそんな感じだった。それからすると20点というのは本当にリラックスできる。
 アルフレッド・シスレー印象派の風景画家として生涯に800点以上もの作品を残したといわれる。多作家といっていいだろう。そういうのもあって、割と手軽に入手できるのかもしれない。それが国内に40点収蔵ということにもつながっているのかもしれない。
 とはいえシスレーが多作であるからとか、いつも同じような風景画ばかり描いていたからとか、モネに比べて作品に年代的な変化ないとか、その他諸々で低い評価があるようだが、私なぞは逆に印象派の王道みたいな感じで、けっこう気に入っていたりもする。まあ絵の高評価、低評価の基準があくまで好き嫌いに依拠しているから、どっちといわれればやっぱりモネが好きだけど、だいたいにおいてはルノワールよりもシスレーが好きだったりもする。まあ自分の中では、印象派の王道はピサロシスレーみたいな感じでとらえている。
 シスレーの低い評価については、以前読んだ本の中でなるほどと思えたものがあるので引用する。

〜、このころから彼らの心のなかに、印象派の手法と理論に対する反省が芽生えていたという事実も無視できない。その反省は、ゾラたちからの批評に応えようとした結果でもある。
 モネはフランス各地を旅したあとセーヌ下流のジベルニーに定住し、積み藁やルーアン大聖堂や睡蓮の連作に専念する。ルノワールはイタリアに旅行して15〜16世紀ルネサンスの古典美術を探究する。ピサロはポントワーズからさらに田舎のエラニーにひきこもり、農民たちの働く姿を描く。こうした彼らのの行動は印象派の理論と手法に対する反省に根ざしている。しかし、シスレーは、たぶんシスレーだけが、印象主義の目標の妥当性を信じ、その原理に忠実にしたがった。つまり、自分の目が見た光と影が織りなす自然の情景を、原色とそれに近い色彩で画面に定着することが「絵画の本道」である、という信念を疑わなかったのだ。
 しかし、このことがのちに、近代美術史上のシスレーの位置をいささか低いものにさせる結果をもたらした。セーヌ川からは離れるが、その理由を簡単に整理しておこう。
 シスレー芸術に対するこうした評価は、いわゆる「モダニズム」の立場に立ってなされている。美術史におけるモダニズムはフォーマリズム(形式主義)に基礎をおき、描かれた内容(風景画ならば、描かれた場所や情景など)よりも形式(色彩や形態や筆触の特徴など)を重視する。それは最終的に抽象絵画にいたる道を目指すものだから、描かれた内容に固執している作品は近代美術史の流れのなかではまだ発展途上にあるとみなされる。
 印象派画家ののなかで晩年のモネの作品が、第二次世界大戦後にジャクソン・ポロックのようなニューヨークの抽象表現主義の画家たちによって高く評価されたのは、色彩のオーケストラのようなモネの画面が絵画の形式そのもののように見えたからである。フォーマリズムの立場からすれば、シスレーピサロの風景画は発展途上の段階にあるわけだ。
「セーヌで生まれた印象派の名画」島田紀夫著 P24