『暗幕のゲルニカ』を読む

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暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

 

 

 随分と前に買ってそのままにしておいた原田マハの『暗幕のゲルニカ』を読んだ。一枚の名画を巡る数奇な物語、狂言回しとなる大画家の周辺の人々、MoMAの日本人女性キュレーター、実在するキュレーターなどなど、原田マハの美術小説を確立させた前作『楽園のキャンヴァス』と同系統の作品。小説のスケール、展開という点では前作を上回るものがあるかもしれない。

 物語はピカソが大作「ゲルニカ」を制作した1930年代後半の第二次世界大戦前夜と2001年同時多発テロに見舞われたニューヨークの現代とを交互に勧められる。戦争前夜の主人公はもちろんピカソと当時の愛人だったドラ・マール。現代の物語はMoMAの女性キュレーターで日本のヨーコ。彼女は同時多発テロで最愛のパートナーを亡くしている。

 この小説を書くきっかけになったのは2003年、イラク大量破壊兵器問題が起き、アメリカを中心とした連合軍がイラク空爆を決めた時期のことである。国連で当時のアメリ国務長官だったパウエルがイラク爆撃を決定の演説を行った。そのときパウエルが演説した国連安保理のロビーに飾ってあった「ゲルニカ」の複製タペストリーに暗幕が被せられるという事件があった。原田マハはこの小さな事件に反応し、これがこの小説のモチーフとなったという。

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 ピカソは当時のスペイン共和国に反旗を翻したフランコに加勢するため、ナチスドイツが行ったゲルニカへの無差別爆撃に抗議するために大作「ゲルニカ」を制作した。それは単にフランコナチスドイツというファシズムへの抗議だけでなく、憎悪が引き起こす戦争、あらゆる暴力に対する文化と芸術の力による闘いであるという根源的なテーマだった。

 この小説ではMoMAのキュレーター、大戦前夜のピカソ、そして彼の周辺でピカソとこの「ゲルニカ」を守るために奔走した人々の共通の思いとしてこの小説を通底するメインテーマとなっている。

 ということでこの小説はまずその前提としてピカソの大作「ゲルニカ」への理解が必要とされる。あの3.49m×7.77mの大作、抽象化された戦禍の惨劇を描いた作品、オリジナルはマドリッドのソフィア王妃美術センターにあり、この小説でも盛んに出てくるとおり門外不出の作品である。自分はというとその複製画を何度か目にしている。一つは鳴門にある大塚国際美術館の陶板複製画だ。原寸のこの複製画を多分10回くらい観ているのだが、もちろん最初に観たときには圧倒された。

 他にはこの作品の複製画としてロックフェラーがピカソの了解のもとに注文を出してタペストリー作家デュルバックに作らせたものだ。このタペストリーは3点制作され、1枚はロックフェラー財団が所有し、国連に貸し出されていたもので、例のパウエルの演説時に暗幕がかけられたものだ。もう一枚はフランスのウンターリンデン美術館にあるらしく、さらにもう一枚はなぜか高崎の群馬県近代美術館に所蔵されている。以前、ここから貸し出されたものを箱根のポーラ美術館で観た記憶がある。

 自分は正直にいうとこの「ゲルニカ」にさほどの思い入れがない。いやピカソ自体への思い入れといっていいかもしれない。もちろん「ゲルニカ」は世界史的にみても事件ともいうべき作品であり、「ゲルニカ」以降の戦争画はなんらかの形で影響を受けているのかもしれない。それこそ藤田の「アッツ島玉砕」なども影響されているのかもしれないし、当然丸木位里の原爆画もそうだろう。しかし戦争の悲惨さを描くという点ではもっとストレートな表現があってもいいかもしれないし、あの抽象性は普遍性を獲得しているのかどうかについては少しだけ留保をつけたい気分がどこかである。

 小説の話に戻るが、この作品は多分これまでに読んだ原田マハの作品の中でも優れた小説の一つだと思う。なんならベスト1に押してもいいかもしれない。ただし「ゲルニカ」への思い入れという点で少しだけ、マイナスとはあえていわない、留保したい気分がある。そういう小説だった。