「愛を読む人』

愛を読むひと (完全無修正版) 〔初回限定:美麗スリーブケース付〕 [DVD]
 「ジャー・ヘッド」の監督サム・メンデスの繋がりで、今度はその奥さんの映画でも観るかということでケイト・ウィンスレット主演のこの映画を観てみた。というのは嘘。昨年劇場公開された時から気になっていた映画である。それがレンタル開始されたというので早速借りてきた。
 ベルトハルト・シュリンクの長編小説『朗読者』の映画化作品である。『朗読者』は1995年に刊行され、世界的にベストセラーとなっている。日本でも新潮社から出版されてそこそこ話題になった。少年と21歳も年の離れた女性との恋愛、そこに戦争犯罪というドイツが抱えている問題をも盛り込んだ読み応えのある小説だ。
  刊行されてすぐにけっこう話題になっていた記憶がある。私もかなり早い段階で読んだ。小説らしい小説という印象をもった。かなり気に入ったようで、当時も何人かに面白い秀逸な小説があると紹介したり、実際に本を手渡して読んでみるようにと勧めたりしたことも覚えている。今回、この映画のことについてはその時、本を貸してあげた一人が映画化されたことを教えてくれた。「あの時勧めたもらった『朗読者』が映画化されるらしい。主演は確か『タイタニック』で出ていた女の子だったはず」みたいな感じで。
 映画についてはどうか。基本的には原作に忠実に脚色している。原作が持っていた静的な落ち着いたタッチをうまく消化して継承しているように思った。なかなか良い出来の映画である。オスカー主演女優賞をとったケイト・ウィンスレットの演技もなかなかに素晴らしい。好演していると思った。
 ただしだ、小説ではそれほどリアルに描写されていない15歳も年長の女性と少年とのセックス・シーンが何度も繰り返し描写される。そこそこのリアリズムの影響なのかもしれないのだが、なんとなく出来の良い原作の、あるいは映画の良さを半減させているような気がした。自分自身枯れてきたせいもあるのだろうけど、なんていうのだろうあんまり他人がまぐあうのをリアルに見ることになんつうか疲れてしまうのである。若い時なら物語とは関係なくても、単純に描写されるセックスシーンを食い入るように観ていたかもしれない。でもこの映画、この物語にあっては、もう少しセックスシーンを抑えてもよかったのではないかという気がしてはならない。
  15歳にして自分の母親とそれほど年齢の変わらない年上の女性に恋してしまい、それにより自分の人生を規定してしまい他者との関わりに希薄な孤独を背負ってしまった若者の悲劇。戦争犯罪の実体験を隠し持つ文盲の中年女性の孤独。そして現代ドイツにとっての原罪ともいうべきナチスドイツの戦争犯罪
 それらのプロットが重なり合った原作のもつ良質な部分が、過剰に繰り返し描写されるセックスシーンによって半減されていくような気がした。
 私はこの映画を明け方に観た。前夜酔いどれて帰宅した私はそのまま寝入ってしまい、4時半過ぎに目を覚ました。手持ち無沙汰もありリビング・ルームでこのDVDを一人で観はじめた。まあこういうシチュエーションだったからいい。でも例えばこの映画を夜の8時台に家族団欒の中で観れるかどうか。小学生の娘と一緒に観るのは少々気がひける。
 原作は良質な小説だ。いつかは娘にも勧めてみたいくらいだ。でもこの映画をこれから5年以内の中で娘に勧めたり、あるいは一緒に観ようと思うか。少々気が重い。いい映画であるのに残念である。
 以前「ブローク・バック・マウンテン」を観た時に思ったことと同質な思いだ。あの映画も複雑な愛情についての話だ。しかしそれよりもヒース・レジャージェイク・ギレンホールのセックスシーンのリアルさがセンセーショナルに喧伝された。正直なところ、男どうしのそこそこにリアルなまぐあいシーンには少々どころでない興ざめな気持ちを抱いた。
  あれに似たような思いを「愛を読む人」でも感じた。なにもそんなにリアルにまぐあうのをスクリーン上に展開しなくてもいいではないかと思う。男と女はほおっておいても寝るのである。セックスするのである。人間がいずれどこかで死ぬように、それは普通のことであり、ある種の真理であり、自明なことである。そんな明らかなことをわざわざそれが主題ではない映画の中でリアルに表現する必要があるのかどうか。
  いや映画はセンセーショナルなものであり、興行を成功させるためには、有名女優の裸や、まぐあうシーンが人々の興味を惹くのであると。そうかもしれない。でもね、「愛を読む人」はなにもケイト・ウィンスレットの裸が目玉の映画なのだろうか。
 映画には映画本来の省略文法があると私は思う。それは1920〜50年代までの社会倫理の規制によって作られてきたいわば負の映像表現かもしれない。しかしその厳かで、偽善、欺瞞に満ちた思わせぶりなスクリーン・プロセスにより、人々はある意味想像力をかきたてさせられたのだ。私はそういう映画の省略文法をけっこう全面的に評価する立場だ。かなりやばい内容の艶笑話が、普通にスクリーン上に展開された万人の笑いを誘うという名作が数多にある。
 例えばビリー・ワイルダーの「あなただけ今晩は」を娼婦が主人公の話だからといって、客とセックスを何度も描写したらどうなる。興ざめだろう。誰がジャック・レモンとシャーリーン・マクレーンの濃厚なまぐあいシーンを観たがるだろう。いや観たがる輩もけっこういるかも。
  「愛を読む人」がその過剰とも思えるセックスシーンで、もともと原作のもっていた良質な部分が半減する、あるいは伝わりにくくなるとしたら、それはそれで悲劇的ではないかと私は思う。良質な原作小説とそのエッセンスをけっこううまく描いている、基本的にはいい映画だと思うから、なんかその部分だけが妙に気になってしまうのである。