日誌的ななにか12月ー②

12月15日(金)

 通信教育のビデオ講義の全体講評。レポートを提出したのちこのビデオによる全体講評を見ないと採点されない。以前、視聴を忘れたために不可になった科目があった。ビデオはだいたい10~20分だが、今回レポート提出したのが5科目なので5本のビデオを見る必要がある。けっこうこれって苦痛だったりするけど、まあ致し方なし。午前中にまとめて視聴する。あとは点数がどうか、不可科目(今まで一度もない)があるかどうか。

12月17日(日)

 12月6日が兄の命日だ。早いものでもう3年の月日が経つ。自分は基本無宗教なので法事の類は一切やらない。父も祖母もそうだったし兄も。多分、自分が死んでも一切そういうことはしないように事前に子どもには言っている。本当は葬儀もなくてもいいとも思うが、これについては一番ささやかな家族葬でいいと思っている。

 しかし歳月は驚くほど速く過ぎていく。とくに歳を重ねると本当にそれを実感する。

 兄が死んでから、12月には必ず墓参りに行くようになった。父や祖母の命日やその月命日に墓参りなどしたこともないが、なんとなく兄の墓参りには3年連続で出かけている。やはり自分にとって一番の近しい肉親だったからだろうか。いろいろ迷惑かけられっぱなしだったが、それでも兄は兄だ。

 墓参りの際には傾斜のある公園墓地の入り口で必ず写真を撮る(9月はちょっと忘れたか)。ある種の定点観測だ。

 

 毎回、妻や子どもの健康と幸福を、暖かく見守ってほしいと墓の前で手を合わせる。いずれ自分も入るだろう墓の前でだ。

 今回、なぜだか香炉に赤い点がいくつもついていて、拭いてもなかなか取れない。なにか塗料のような感じである。墓参りを終えた後で、管理室に行きそのことを話すと、すぐに墓の前で現場確認となった。係の人の話では、最近の供花には花や葉を塗料を使って染めることがあり、その塗料が付着したのではないかという。出来るだけ取るようにするが、キレイになるかどうかは判らないという。完全にとはいかなくても、できる限りお願いしますとして帰ることにした。後日、キレイにとれたと連絡があり一安心した。

12月18日(月)

 お茶の水にある健保のクリニックへ。先週受けた心臓CTの結果を循環器医に聞き行く。もっともCTを撮ったクリニックであらかた結果については問題なしと診断されているので、これはまあある種の儀式みたいなもの。とりあえず結果を見て、循環器医より「よかったですね、問題はありません」とのこと。今後、循環器医に定期的に診てもらう必要もないようで、4~5年に一度CT検査を受けるのが望ましいということで終了。

12月19日(火)

 夕方、デイから帰ってきた妻を糖尿病のクリニックまで送る。月に1~2度、薬をもらいにいくのが定例化している。しかし本当に外出の用事が自分の通院か妻の通院の送迎ばかりになっている。

 糖尿病クリニックはやたら混むので、妻をクリニックに残して、近所のホームセンターに灯油を買いに行く。寒さが本格化してくると、だいたい10日に一度くらいは灯油を買うことになる。灯油は18リットルのポリタンクを二つ常備していて、一つがなくなるたびに買いに行くようにしている。これが3月上旬までのルーチンになる。

12月20日(水)

 友人と年内最後の酒飲み会。友人も今年の春にリタイアしている。今回は赤羽の安い飲み屋に行くということで2時に待ち合わせする。目的の店は昼間でも店の前に列ができるほどの人気店で、1時間半までという時間制限がある。きっちり1時間半で追い出され、その後その近くのやはり安い飲み屋に入って6時過ぎまで飲んで駅で友人と別れた。2時過ぎに飲み始めて6時過ぎにお開き。これがまあ有り体にいって老人の飲み会というやつだ。

 けっこう酒飲んだはずだが帰りの電車でも寝ることもなく無事帰宅。安くて薄いチューハイ、レモンサワーとかではベロベロに酔うことはないみたいだ。数少ない友人と来年もまた楽しく酒杯を重ねることができればと思う。

12月21日(木)

 先週だったか急に「新世界」が聴きたくなったのだが、家のCD棚に見当たらない。何枚かあったはずなのに。ということで友人から借りてきたのがこれ。といっても、もともとは自分がボックスセットをプレゼントしたやる。10枚セットの5枚目に「新世界」が収録されている。1940年録音なのでさすがに古い、そしてカラヤン特有の軽さ、軽快さを通り越した早いテンポ。このへんはフルヴェンと異なるカラヤンの若さ、新機軸というところだろうか。

 カラヤンは1933年にナチス党に入党している。まさにナチスの時期のカラヤンというところか。もっとも仕事をするためにやむなくという部分もあるのだろう。クロード・ルルーシュのオムニバス的要素のある映画『愛と哀しみのボレロ』でカラヤンをモデルにした才能ある指揮者を演じていたのは、ポーランドの俳優ダニエル・オルブリフスキーだったか。