年金事務所に行く (8月31日)

 午前中、妻の老齢年金の請求手続きで年金事務所に行く。場所を間違えてしまい約束から15分遅れとなってしまう。でもって、窓口でのやり取り請求書類を提出した結果、62歳どころか65歳になっても増額はない。現在の障害者年金はびた一文増えることもないのだとか。

 結局のところ、市役所で住民票を取り、わざわざ横浜まで行って戸籍謄本を取り、諸々準備をして出向かせておいて、支給される年金には変化はありません。ただし今後の年金支給については、老齢年金ではなく障害者年金を選択しますという確認書に署名させるという、ただただそれだけだった。

 窓口の人は口頭とプリントアウトされた計算書をもとに老齢年金の支給額はこのくらい、現在もらっている障害者年金はこのくらい、ですから障害者年金のほうが多いです。なにしろ一級だからという。

 なので年金額に増減もないことが分かっているのに、わざわざ戸籍謄本や住民票をとらせて出向かせる理由を尋ねると、万が一障害の等級が変わった場合に必要になるからの一点張りだった。

 でもね、障害が永久固定であることは年金事務所は把握しているはずである。というのは障害状態確認届はもう何年も届いていない。以前は書類が届くと、病院に行き医師や理学療法士に状態について書いてもらい、年金事務所に提出していた。いつも結論的には「障害は固定されており、改善の余地なし」という医師の診断書。そんなことは18年前の病気発症の翌年、半年近く入院したリハビリテーション病院の主治医に念押しされた時から判っていること。脳の半分以上に大きな梗塞巣がある妻の障害は、現代の医学では改善することはない訳で、まあずっと病気=障害と付き合って生きてきた。

 まあお役所仕事とはいえ、毎度、毎度蒸し返されるこういう手続きにはうんざりだ。

 念のため、老齢年金と障害者年金でどのくらい違うのか、今、見せてくれた計算書に手書きメモでもいいので、書いていただけないかというと、「それは規則ではできない」という。こちらが粘ると担当者はちょっと待ってくださいといい、後ろの方に。最近の役所のパターンはだいたいこれで、窓口の人間はだいたい派遣のスタッフかリタイア組の再雇用だ。そして後ろの方にノンキャリアの正規職員がいて、偉そうにふんぞり返っている。

 自分が現役の頃、よくハロワークなどに就業規則の改訂などで相談に行くと、だいたいこのパターンで窓口は60過ぎの年配のおじさんが担当していた。

 しばらくして、窓口の人は戻ってきてメモにしろ、計算書は渡せないということだった。そこで再度、ねばってみる。自分が60歳の時に62歳から年金が支給されるということで、年金事務所に年金の請求手続きにいった。まだ働いていたので62歳のときにも支給はされない。月収が28万を超えるとたしか支給されないとかそんなことだったか。まあ会社経営していたから、年金支給などあり得ないことだったけど、一度請求手続きすれば、仕事辞めれば自動的に支給が始まる。64で仕事を辞めたときには、その後は本当に自動的に支給された。

 その60歳のときに年金事務所に来た時には、窓口担当者は普通に計算書にメモを書いてくれて、62歳で仕事を辞めたら支給されるのはこれだけ、65歳になったらこれだけという風に書いてくれた。今でも、年金関係のファイルのなかに残している。

 その話を窓口に人に話したら、「お時間をちょっとください、本当はやってはいけないのですけど」と言いながら、計算書の裏に罫線を引きながら老齢年金でいくら、障害者年金でいくらと数字を明記してくれた。わずか数分のことだ。

 聞けば本業は社会保険労務士で、週に1~2回、年金事務所で窓口をやっているのだとか。年齢は73歳とか仰っていた。なのでちょっと持ち上げるという訳ではないがこんな風に話した。

「社労の先生でしたか。やっぱりプロの方は違いますね。たった数分できちんとわかりやすい数字を見せてくれる。まあしいていえば、〇〇さん(社労)はプロだから、ご自分は判っているけど、自分らのような判らない人間に説明するときに立て板に水的に説明される。それは判っている人間が判っている人間に話すときのやり方。こういう図とか数字を見せてくれて説明していただけると有難いです」

 長年、多少キレキャラでイキんで、その後は下出に持ち上げる。もしくは最初は下出で途中から凄むとか。この手の幾つかのパターンで仕事してきたから、幾つか引き出しはある(自慢できることじゃないな)。なので今回は最後は持ち上げ方式。担当の人もいやいや、それほどでも的に謙遜しながら、あまりこういうことは出来ませんのでと。

 しかし役所はいつからこう、書類、メモなどの記録を渡さなくなったのだろう。もともと役所は文書主義のはずなのに、利用者、ユーザー、住民、もっといえば主権者である国民に文書類、ようは証拠として残るものを渡さなくなった。文書もダメだし、それこそ交渉ごとの場合だと録音も取りやめさせる場合もある。だいたいの理由はプライバシー保護、ようは担当職員のプライバシーだという。公僕なのにおかしくないかと思わないでもない。

 穿った見方をすれば、文書、記録として残るものを渡さないは、安部政権の例の公文書の破棄だ改竄あたりから始まったか、加速したかもしれない。なにせ「記録も記憶も残さない国」のようだから。

 

 とりあえずこれでしばらくは妻のことにしろ、自分のことにしろ、年金事務所に来ることはないかもしれない。まあ自分に何かあれば、子どもが面倒な手続きで何度も足を運ぶことになるのかもしれないな。そういえば前回年金事務所に来たのは、兄が亡くなった後の残務手続きだったか。