66歳になった、そしてポールは80歳に

 旅行から帰って来たのはかれこれ10時過ぎくらい。地元に戻ってきてから少しスーパーに寄って簡単な夜食を購入。妻は月曜にデイサービスで体重測定があるので、ダイエットするとか。旅行中さんざん飲めや歌えしてきたのにねえ。

 家に帰ると、玄関に荷物が二つ置いてある。いずれもAmazonの置き配で、一つは旅行前にポチった書籍が三冊。もう一つは子どもからの誕生祝い&結婚記念日のようだ。

 そう、今日で66歳になった。ちなみにポール・マッカートニーは80歳になった。27年前の誕生日の日に結婚したので誕生日と結婚記念日が一緒である。別に狙ってやったのではなくたまたまというか偶然のこと。

 しかし自分が66歳になるなんて思いもよらなかったな。そもそも若い頃に、自分の老後というか60歳になるなんていうこともにもリアリティを感じなかった。多分、ずっと一人だと思っていたし、不健康な生活をしていたから、60前にぽっくりいくのではないかと思っていた。

 まさか自分が所帯をもち、子どもを育て、仕事を務めあげるなんて。思いもよらなかった。ここでも何度も書いているが、大学を卒業してから6度会社を変えた。最初に勤めたのが大学内の書店で次が取次店。それから出版社を3社渡りあるき最後は出版社の倉庫に。いちおうそこではサラリーマン双六で上がってみたりして64歳で仕事を辞めた。

 会社を渡り歩いたとはいえ、同じ業界で40年勤めて無事に定年というか、まあ役員だったからいちおう退任ということだけど。そんなに長く仕事続けられるとも思ってもいなかったし、勤めあげるなんてね。

 今は超高齢化社会で、普通に会社にいると60歳定年、65歳までは再雇用で嘱託という身分で勤めるのが一般的だ。自分も65までは仕事続けようと思ったけれど、様々な事情で1年早くリタイアした。そうなると再就職先を探すかというが、この年代で新たに仕事を見つけるのは至難である。ハローワークにも何度か行ったが、自分のようなキャリアは再就職にあたってはジャマになるみたい。

 求人情報を探しても、交通誘導員や清掃といった仕事、後は最低時給のシルバー人材でのポスティングなどなど。別に仕事に貴賤はないし、そんな仕事は出来ないみたいな傲慢なつもりはない。でも、この歳でゼロから仕事を覚えてというのは、ちょっとハードルが高すぎるし、無用なストレスは抱えたくないという思いもあった。

 結果、年金もほそぼそと出るし、特に借金もなく、マッチ箱みたいな狭小でも持ち家だしということで、無職年金生活を選んだ。いや選ばざるを得なかったというところか。

 どこかで自分に40年働いてきたのだから、いい加減好きなことしてもいいだろうと納得させるような声が聞こえている。

 結婚10年目の年、今から17年前に妻が病気になった。脳梗塞片麻痺、一種一級の障害者である。子どもは小学2年生だ。そこから仕事、家事、介護、子育て、全部が一気に押し寄せてきた。今思うに、よく切り抜けられたものだと思う。友人からもよくやってきたよと言われることもある。いや自分でもそう思う。

 この雑記もその前後からずっと続けているのだが、多分妻が病気で倒れた頃に、とりあえず記録を残しておこうみたいなことがモチベーションになっていたように思う。実際そうした記録が、次に何をするかについてのけっこうヒントになっていたようにも思ったりもした。

妻がたおれる - トムジィの日常雑記

医師との面談(3回目) - トムジィの日常雑記

 妻が発症した当時はマンションから一軒家に引っ越したばかりだった。共稼ぎでそれぞれにローンを組みたしか支払いは17万くらいだったか。当時、妻は医書系出版社の経理をやっていたから、5つ上の自分よりも年収が良かった。それが全部アウトである。

 リーマンショックの年だったが、なんとか家を売り、会社の近くに中古の家、今住んでいるところに買い替えた。田舎に都落ちしたこともありローンはなくなった。会社まで徒歩5分、そういう職住近接でなんとか切り抜けてきた。毎日昼休みには家に帰り、洗濯物を干したりとかしていた気がする。途中役員になってからは、けっこうハードで、決算時期には土日も出社みたいなことも多かったが、それも通勤5分で乗り切ることができたのではないかと思う。

 そしていろいろあったが、子どもも2年前に大学を卒業して仕事をもち独立した。高校に入学したときに、学食がないこと、基本的に生徒は弁当持参ということが判り呆然としたことを覚えている。そして3年間、子どもの弁当作りで悪戦苦闘した。

弁当狂詩曲 - トムジィの日常雑記

 今思えば楽しい思い出・・・・・・、とんでもない。ただただ日々続く単調なルーチンワークだった。結果として子どもに感謝されることもなく、子ども曰く「冷凍食品が苦手になった」とな。そういうものだ。

 還暦を迎えた時、多分63歳まで生きらればいいかと思っていた節がある。それは父と祖父が63歳で亡くなっていたからだ。我が家の家系的にいうと、女性は祖母も離別した母も90くらいまで生きたので長命だが、男性は短命というように思っていた。なので63前後のときは少々緊張して生きていたような気がする。まあ結果として何事もなく63という年齢は過ぎていった。病気がちだった兄もなんだかんだで70まで生きた。

 そして66歳、無職年金生活の立派なジイさんである。いちおう通信教育の大学生ではあるが、多分これは続かないような予感がある。本を読んでもビデオ授業を視聴しても、右から左というか頭の中に留まらない。メモをとり、ノートをとっても、書いたそばらから忘れていくような始末だ。多分、多分だが3年次編入、即中退という結末になりそうだ。

 特に感慨もなくまた一つ歳をとる。冒頭に書いた、子どもが送ってきたのはエビスのちょっと高級なビールだ。週初めに一週間間違えたといって父の日のプレゼントで、高級な牛肉詰め合わせなるものも送ってきてくれた。明日か明後日、妻と焼肉パーティでもすることになる。