64歳になった

 ついにというか、いつのまにかというか、なんともまあというか、64歳になった。

ついでにいえばポール・マッカートニーは78になった。そういう日でもある。

 やや疲れ気味でもあったので仕事は休むことにした。誕生日に仕事休むというのも多分生まれて初めてのことかもしれない。

 しかし自分が64歳になるなんて。


When I'm Sixty Four (Remastered 2009)

 このアルバム、サージェント・ペッパーズを最初に聴いたのは多分15か16くらいだっただろうか。友達に借りたレコードを電車の中で袋に入れて立てかけておいたら、曲がってしまい、慌てて購入して返した。なので自分はいつもその曲がったレコードを聴いていた。赤版だったようにも記憶している。曲がっても一応聴けるには聴けたが、『ルーシ・イン・ザ・スカイ』でいつもひっかかっていたっけ。

 そして『When I'm sixty four』を聴いた時に、ずいぶんと古めかしいサウンドだなと思ったものだし、よもや自分がいつか64という年齢になるなんてことは思いもよらなかった。

 64という年齢についての思い入れはというと実はなにもない。しいていえば自分の父親も祖父も63で亡くなっている。母親は5歳の時に離別していてその後一度も会った記憶がない。いまどうされているのかも判らない。まあ存命なら遠に90を超えているので多分亡くなられているのだろうと思う。父の母、祖母はというと98まで生きた。ある意味大往生である。

 なので自分の家系でいえば、男性に限っていうと63という年齢はややもすると鬼門ということになる。もっとも兄は人工透析を受けており、糖尿病や高血圧とほぼ満身創痍な状態でも70歳で生きながらえている。なので父と祖父の63歳で亡くなったのは単純にそういう時代だったからということなんだろうとは思う。祖父は60年以上前、父も30数年前に亡くなっているのだから。

 でも心理的な部分では63歳になった時、いよいよ自分もその年齢になったと、ややもすれば脅迫神経的に強く意識したことを覚えている。さらにいえば、自分の人生は多分63までみたいな気持ちをどこかで持ち続けてきたようにも思う。なのでその歳を、父親の死んだ年齢を超えてしまったという感慨めいたものがない訳でもない。

 世間的には64歳という年齢はどういう風なんだろう。自分らは多分65になると年金が満額支給となる。超高齢化社会で定年や定年延長もどんどん伸びていくことが予想されるとはいえ、60歳定年、65歳まで雇用延長というのが一般的なところだろう。60歳になると定年嘱託みたいなことで給与はだいたい20万くらいになる。会社によってはもっと低い時給制のアルバイト扱いになるところもあるようだ。

 でもまだまだ十分に働ける年齢というのが一般的なのかもしれない。実際のところ今の60代というのは自分たちが子どもの頃に比べるとだいぶん若いという印象はある。平均寿命の伸び、これは一つには医学の進歩によるところなんだろうが、昔に比べてだいたい10~15くらい若くなっているんじゃないかという気もしないでもない。

 昭和40年頃の平均寿命は67~70くらいだったと記憶している。それが最近でいえば男でも81くらい、女性は87くらいまできているという。超高齢化社会というのがこういう数字からでも実感できる。

 自分が子どもの頃の64歳というと、もうたいがいお爺さん、お婆さんという印象がある。それからすると自分の今の年齢とか見た目とかというとそこまで爺さんかというとちょっと違うような気もしないでもない。まあ髪の毛は真っ白だけど剥げてもいないし、腰も曲がってはいない。目はかなり悪くなっているし歯もだいぶガタが来てはいるけど、いわゆる総入れ歯みたいなのとは違う。

 いや、自分がまだまだ若いとかそういうことをいっているのではない。ただなんとなく昔自分が思っていた高齢者というイメージとはだいぶずれた感じというか、違和感というかそういうものを思っている。

 仕事は、いちおう現役である。まあ経営者みたいなことをやっているので、続けようと思えばまだ4~5年は出来るのではと思う。眼前の課題は山積みで、一つオペレーション間違えればとんでもないことにもなりかねないような状況でもある。小さな会社なのだが正直なところ下が育っていない。もうそろそろ老いぼれは引退してくれ、これからは自分らが切り盛りするから的な感じの下がいない。まあ自分らがいなければそれなりにやってくれるだろうと思いたいところではあるのだが。

 さらに思う。仕事への拘りとか、いつまで続けたいかとか、そのへんのことでいえば、実はもうそんなに気力とかモチベーションがある訳ではない。出来れば、体が動くうちに好きなことをしたいとか夢想することもある。これで仕事を数年続けて、本当にリタイアした時には体も心もガタガタみたいなことだけは避けたいとか思ったりもする。

 定年したとたんに病魔に侵されあっさり亡くなった、そんな先輩を何人か知っている。それこそ馬車馬のように働いてきてようやく悠々自適かと思ったらとたんに入院、手術、そして再発、死去みたいな。

 本当をいうと9月に任期を1年残して仕事からさっぱり足を洗うみたいなイメージを持っている部分もある。出来ればそうしたい。カミさんの面倒をみつつ後は好きなことに時間を使いたいとか。ただし65までの9ヶ月くらいは年金も雀の涙である。あとはわずかな蓄えだけか。そうなると本当に体が動かなくなる頃には金もほとんどない状態みたいなことになっているかもしれない。

 なんだかんだとグダグダである。ウィークデイに絵を観て回りたい。出来ればゆっくり読書をしたい。まだ読んだことがないけど取り合えず積読状態の本が山ほどある。そして一日中音楽を聴いていたい。ジャズもクラシックもまだまだきちんと聴いたことがない曲が、演奏が沢山あるんだ。さらにいえば映画ももっと観ていたい。

 和田誠は晩年、部屋から一歩も出ずに映画を観続けていたと。たまに友人と映画の話だけをする。その相手は多分山田宏一あたりかと適当に想像している。そういう最後を送りたいとか自分も思う。来る日も来る日も、古い映画繰り返し繰り返し観続ける。そんな最後が幸福かもしれない。最後は映画の中に入っていく、そんな夢を見ながらあの世にいくとか。

 とりあえず64歳になった。孫はまだいない。勤め始めたばかりの子ども1人と、身体が不自由なカミさん。狭小だが一応持ち家がある。借金らしい借金はない。出来れば人の迷惑にならないように日々を送っていきたい。そしてここまで生きてきたのだから、ちっとは人のためになるようなことをしてみたいとか、そんなことを少しだけ思ってもいる。