9月1日に思ったこと

 関東大震災から101年目。

 世間的には最近続いている地震、とくに南海トラフ地震との関係もあり、それとのつながりで報じられることが多いようだ。

 もう一つは震災時に朝鮮人が大量に殺された事件について。歴史修正主義者はそれがなかったかのような言説を唱えている。もしくは朝鮮人が井戸に毒を投げたとか、震災に乗じてテロを画策した。それに対する過剰反応として一部の日本人が暴徒化したことによる偶発的事件、犠牲者の数も不明であり、それが過剰に報じられたと事件自体を過少化しようと試みる。

 しかし暴徒と化した人々が朝鮮人社会主義者を虐殺したことは明らかな歴史的事実である。それは多くの証言によっても裏付けされている。多くの作家や画家もその事実を記録している。さらにいえば大災害時の人々の不安に生み出したデマの類だけでなく、明らかに意図的に流言飛語をとばした者たちもいる。そして軍隊の一部が震災を利用して、社会主義者大杉栄を家族とともに虐殺したことなども事実である。それらはけっして偶発的なことではない。

 震災に乗じて過剰な反応をするのは庶民だけでなく、まちがいなく権力の側の暴力装置である。ショック・ドクトリンとは最近の言葉ではあるが、そうした視点から関東大震災の発生時からその後の数十年の政府の行った政策などを研究するようなことも必要かもしれない。

 

 個人的には大正12年は、38年前に亡くなった父親が生まれた年でもある。誕生日は8月27日だったと戸籍謄本に残されている。なのでもし父が生きていれば101歳になるというのが個人的な思いでもある。

 祖母が生きているときに、関東大震災の時には生まれたばかりの父をだっこして逃げ回ったことなどを聞いたことがある。乳飲み子を抱えてあの震災を体験したというのは、多分たいへんなことだったのだろう。そのころ住んでいたのは横浜でもわりと高台のあたりで、火の手が回ることはなかったとか、出入りの植木屋がいろいろと助けてくれたとか、そんな話もあったような記憶がある。

 そして2020年に兄が亡くなったときに、4歳のときに離別してずっと会ったことのなかった母親の戸籍も取り寄せてみた。それは除籍謄本で2017年に亡くなっていた。ずっと所在不明のままだった母親はその時点に、ほんの数年前に生きていたことを知った。4歳で離別し60数年してからその死を知った。

 その母親もまた生きていれば101歳ということになる。自分にとって関東大震災は父母の生まれた年として記憶されている。去年も生きていれば100歳かと思ったりもした。歴史的な出来事もそのようにして個人的感慨として記憶される。そういうものなのだろう。