野毛〜ダウンビートなど

 区役所を出てからJRで二駅の桜町まで足を運び、久々野毛の町をぶらつく。7時過ぎに友人と約束があるのでほんのひとときだ。この町には16くらいから来ている。紅葉坂の図書館や勤労青少年センターの学習室に来て一人で受験勉強をしていたのだが、まあすぐに飽きては野毛のジャズ喫茶に入り浸っていた。ダウンビートやちぐさ、ファーストなんかにだ。ある意味早熟というか、マセたガキだったのだろう。

 一番、通ったのはダウンビートだ。10代はもっぱらコーヒー一杯で粘りに粘った。コーヒーを飲むとき、カップにほんの少し残す癖を家人に指摘されるのだが、これはこの頃ジャズ喫茶に居続けるためにはじめて癖になったものだ。ちょっとでも残っていれば、それで居続けられる。カップが空だとお代わりするか、席を出なくてはいけない。そんなことだったか。

 ダウンビートは勤めてからもずっと通い続けた。40になるかならないか、結婚してすぐだったと思うが、いつものようにダウンビートに行くと入口の脇に店主が亡くなったという張り紙があり、遅い時間だったが通夜の葬儀場にいったことをよく覚えている。それが最後だったから、おおよそ24年通い続けたことになる。

 20代、30代、ダウンビートに行く前には腹ごしらえにその近くの中華に寄ることが多かった。テレビとかでも紹介されけっこう有名な店になる三陽だ。そこでビール、餃子、ラーメン。それからダウンビートで閉店まで飲んだくれる。そんな風にして無為な日々を送ってきた。そして埼玉に引っ越してすでに14年の月日が流れた。

 ダウンビートの店構え、店内のレイアウト、雰囲気は以前のままである。初代店主が亡くなったあと、客の一人が権利を買って何年か店を続け、今はまた別の方が経営をしている。3代目という方だ。少しだけお話しをさせてもらったが、まだ若い感じの店主は落ち着いた雰囲気で、老舗ジャズ喫茶を続けること、そしてその先には老朽化した建物からの移転も視野に入れていると話をされていた。

 当然、ジャズの話、ダウンビートの昔の話とかを少しだけした。亡くなった兄の影響で小学生の頃からジャズを聴き始めたこと、兄の遺品の中にあったガトー・バリビエリのことなどなど。それで遺品の一つだったCDをかけてもらった。店主もバリビエリの暑苦しいテナーが大好きだと言った。これは同感であるl。

チャプター・スリー

チャプター・スリー

 

  ウィスキーソーダを一杯、ジャックダニエルの濃い目のロックを一杯飲んで、後ろ髪引かれる思いで店を出た。兄の件がひと段落したらまた来たいと思う。その時はボトルでも入れて思い切り飲んだくれるとしよう。遠い遠いディープ埼玉の住民なので、もちろん帰れる時間までの間となるけど。