チャック・イェーガー死去

朝日の社会面訃報欄にあった。

 チャック・イェーガーというとやはりニュージャーナリズムの傑作、トム・ウルフの『ザ・ライト・スタッフ』ということになる。初の超音速飛行を行い世界中のパイロットの頂点に君臨したパイロットの中のパイロット”ライトスタッフ”、生きるレジェンドである。彼が飛行機事故ではなく地上で亡くなったということが、しかも97歳と長命であったことが、さらなるレジェンドを更新しているような気がする。彼はけっして失敗しないパイロットだったと。

 もうとっくの遠に手放したと思っていた『ザ・ライト・スタッフ』は本棚の中にあった。二段組み373頁の大作、1981年8月初版である。

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 チャック・イェーガーが生きた伝説としてパイロットの頂点にあったことをトム・ウルフはこんな風に記述している。少し長いが引用する。

 アメリカ国内を飛行機で旅行する人々の耳には、誰の耳にも、インターコムから流れてくる機長の声はすでにおなじみのはずだった。あの間延びした独特の口調には、何となく田舎っぽさが感じられる。独特の家庭的な落ち着きが伝わってくる。それが誇張されて、ときにはふざけているようにも思えるが、乗客にとっては頼もしいかぎなのだ。

**************中略*****************

 この独特の口調には、なんとなくアメリカ南部あるいは南西部的な響きがあるようにもきこけるが、その起源はアパラチア山脈地方にあるとはっきり指摘できる。ウェスト・ヴァージニアの山岳地帯にあるリンカーン郡の炭鉱地方がその発症の地なのだ。よく言うように「昼の光をパイプで取りこまなくてはならない」ほど山の奥深くの狭隘な窪地がその出生地だ。この山奥の窪地から発生した口調は、1940年代後半から50年代始めにかけて、山をおり、カルフォルニアの砂漠をわたり、そこから戦闘機パイロットのエリート層を経て全米の航空界のすみずみにまで浸透したのである。それは驚嘆に値する現象であった。「マイ・フェア・レディ」の逆をいく話だ。まず軍のパイロットが、ついで間もなく民間のパイロットたちが、出身地がメイン州であろうとマサリューセッツ州であろうと、ダコタ州あるいはオレゴン州だろうとどこだろうとひとしく、この昼なお暗い山奥の間延びのしたしゃべり方で、あるいはできるだけ自分の故郷の訛りはおし殺しそれに近づけて、話すようになった。これこそまさにパイロットのなかのパイロット、正しい資質(ザ・ライト・スタッフ)の最も正当な具現者チャック・イェーガーの口調なのだ。

P42~43

  『ザ・ライト・スタッフ』を、トム・ウルフを知ったのは多分その1~2年前。川本三郎の評論かなにかだったと記憶している。見てきたかのように書く、事実を再構成して小説のように描く、アメリカの新しいノンフィクションの手法=ニュージャナリズムをトルーマン・カポーティの『冷血』、ゲイ・タリーズ『汝の父を敬え』、ハーバースタムの『ベスト&ブライテスト』、ノーマン・メイラー『夜の軍隊』などを取り上げていた。さらにその潮流の影響として日本でも沢木耕太郎らがこの手法から、人物の内面にまで入り込んだ描写を行っていると書いていた。

 もともとノンフィクション、ルポ系の読み物が好きだったので、そこに取り上げられた作品で翻訳のあるものを読んでみた。もちろん沢木の作品も読んだ。そしてニュー・ジャーナリズムの旗手トム・ウルフの代表作『ザ・ライト・スタッフ』が刊行されることになる。その頃書店の棚担当者だった時分は、その新刊書を手にとり小躍りした。そして1冊だけ配本された新刊書は棚に出ることなく自分で購入した。それから数日して自分が事前発注したものが入荷した。

 そうしたニュー・ジャーナリズムの作品にもクセがあり、メイラーやカポーティのものは正直面白くはなかった。自分にとってはトム・ウルフハルバースタムのものが一番面白かった。さらにいえば沢木耕太郎の作品はどこか感傷的であり、ノンフィクションに必要な客観性に欠けていたようにも思う。当時それを自然主義文学と私小説の違いみたいな風に思っていた。

 本が出て2~3年後だったと思うが『ザ・ライト・スタッフ』は映画化された。原作をそのまま脚色したストーリーは、それまでパイロットの頂点とは航空機の限界を極めるテストパイロットだったのが、宇宙開発が進む中でじょじょに宇宙飛行士に変わられていく様を描いていた。当初、パイロットたちからコックピットの実験動物=猿と揶揄された宇宙飛行士たちが、飛行機乗りの頂点に立つ。マーキュリー、ジェミニ。アポロと宇宙計画が進歩していくにつれてだ。

 映画でチャック・イェーガーを演じたのは劇作家としても知られていたサム・シェパードだった。彼の演技、存在感は、映画の中でも際立っていたし、なによりカッコよかった。

 チャック・イェーガーは存在、名前は、自分の中ではトム・ウルフの『ザ・ライト・スタッフ』とつながり、映画のサム・シェパードとつながっている。懐かしい名前であり、その訃報を目にして、なんとなく80年代のことが頭によぎるような思いがした。また一つ20世紀が遠くなっていく。ご冥福を祈ります。

 

ライトスタッフ (字幕版)

ライトスタッフ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video