最後の失業認定

妻を連れてハローワークへ行く。今回が最後の失業認定日だ。45歳以上の障害者ということでほぼ1年間支給があったわけだけど、それも打ち止めになった。20年以上ずっと勤めてきて、結果として片麻痺になってしまった妻へのご苦労さん手当というような意味合いのものだった。それもお終い。
来年からは我が家の経済もけっこうシビアになっていくのだなあと思いつつ、よりにもよって現在のような恐慌前夜みたいなご時勢の時にな〜などとも考える。会社がとりあえず存続して仕事が続けられることを祈るしかないのであるけど、悪い知らせはいきなりやってくるからね。とりあえずしのいでいくしかないわけだ。
去年の12月から毎月、基本的に第2週の火曜日、毎回毎回妻を連れてよく通ったものだね。朝8時過ぎに車に妻を載せてハローワークへ行く。失業認定の事務手続きはだいたい10分から15分程度。それから用事がある時は市役所に行ったりもする。なにもなければ妻が買い物をしたいといつも言うのでそれにつきあい、その後は昼食をファミレスでとる。それから家に戻り私は勤めに向かう。ほぼ一年間これを繰り返した。
病気でやんわり頭もやられている妻にとっては、自身の就職相談にもさほど関心もなく、私との毎月1回のお出かけ=デートみたいな風に思っている部分もあるようだった。私のほうはというと、仕事との兼ね合いでいえば毎月のことなので、なんとなく肩身の狭い部分も多々あったし、失業認定日自体を動かせないので、仕事の調整とかもけっこうしんどかったかな。
失業認定=就職相談にあたるのだけど、ほとんどが事務手続きだけだった。たまに窓口担当者によっては求人を紹介してくれる。その時には30分くらいかかる。車椅子可という仕事自体がほとんどないのだが、たまにあることはある。でもほとんどが最寄駅からもバスみたいな工業団地系が多くて、通勤部分で難しいものばかりだったかな。通勤の部分がクリアできるくらいなら、妻は元の会社を辞めなかっただろうとも思う。けっこう条件の良い会社だったから。とはいえ片麻痺で注意障害をもつ身では健常者と同じように業務をこなすのは難しいだろう。
出来れば外で仕事なりなんなりで、人を触れ合う、社会と触れ合うことは必要だとは思うが、それも妻の場合は難しいのかもしれない。妻が雇用保険がきれた今日からは完全に専業主婦になったということかな。まあ週に何回かは食事の用意をしてくれることもあるので、それはそれで良かったのかもしれない。
以前仕事をしている時には、仕事に煮詰まるといつも「仕事をやめたい」「専業やろうかな」とよく口にした。妻は障害者になってやっと専業主婦になったわけなのだ。人生のアイロニーみたいなものなんだろうね、これって。ただし家事の大部分は今もそうだし、今後も当然ながら私がやることになる。それもまた受け入れざるを得ない現実である。妻曰く、「うちには主婦が二人いるのよ」ということらしい。
会社に行ってすぐ総務に行き、妻を扶養にする手続きを申請した。手続きはとにかく早め早めに。これが鉄則である。