失業認定

妻の8回目の失業認定である。毎月月初に妻を連れてハローワークに通う。手続き自体は10分足らずの儀式である。それでもばかにならないくらいの手当が支給されるのである。川越のハローワークは駅からかなり離れている。車を使わない場合は、川越駅からバスである。妻は以前は一人で行ってみると口癖にように言っていたが、これはいくらなんでも無理なことでもある。妻もそれがわかってきたのだろう、あるいは私への甘えとかもあるのだろう、最近はまったくそれを口にしない。当然のごとく私の運転で行くことになっている。
毎月毎月のことなので、わたし的にはかなり会社に気がひける部分もないではないのだが、いたし方なしと私も諦めているし、会社もそうなのだろうと思いたい。まあ、これ以上の出世も期待できるわけもなしである。会社と介護や子育ての両立が今の通勤時間5分にも繋がっているのだ。こっちも金かけて会社近くに越してきたのだし、必要最低限の迷惑しかかけていないという思いもある。以前もそうだし、今も同様に一番労働時間が長い。上から言われれば、とりあえず一つ返事でいろんな報告書類や資料を用意してあげるし、最良、最善の方向性を具申したりとか、けっこう便利に使われていると自他共に認めている部分もある。なんとか定年まで勤め上げられればそれで良し、願わくば年金もらえるまで働ければと思うだけである。
それにしても失業認定。気分的にはそろそろ終わるのかなと思い、担当者に聞いてみる。するとまだまだかなり期間は残っているのである。あと150日前後あるのだとか。恐るべし障害者の給付日数である。これは障害者の場合、再就職がそれだけ難しいということからそういうことになっているのだろう。妻の場合、45歳以上65歳未満の就職困難者(障害者等)で被保険期間1年以上で360日。丸々一年間支給されるということなわけだ。健常者からすると優遇され過ぎといわれるかもしれないなとも思う。でも、これは妻が20数年間ずっと仕事を頑張り続けた証なのだとも思うわけだ。妻はその結果、仕事帰りに倒れて障害者になり、体の自由、行動の自由を失い、仕事自体をも失ったのだ。360日支給はその失ったものに対する小さな代償なのだと思いたい。いやそうとでも考えなければ妻が可哀想過ぎるとも思う。
だから少なくとも今年は、妻がしたいこと、やりたいこと、欲しいというものをできるだけ与えてやりたいとも思う部分もある。妻の頑張りのある種の対価が出ているのだからと。そんなに余裕もないのだけど、気持ち的には、気持ち的にはあるのですよ。