決済日

旧宅の売買決済日である。半休をとり妻を連れて指定されたふじみ野の銀行に出向く。不動産屋から予め連絡されていたスケジュールだと、まず買主のローン決済が行われ、売買代金がこちらに入金される。それから今度は川越の銀行に出向き、我々のローン完済の手続きをとるというもの。
私と妻はそれぞれ数枚の書類に署名捺印をする。買主に渡す領収書に署名捺印をする。買主に比べると書く書類の数は少ない。ふじみ野の銀行で1時間半くらい要する。最後に領収書と鍵を買主に渡す。これであの家は完全にわが手から離れた。
それから川越の銀行まで車を走らせる。ローンを設定したのは池袋の支店なのだが、さすがにそこまでは行く必要がないのだが、旧U系の支店ということで川越にということになった。ここでも数枚の書類に署名捺印。我が口座には一旦売買代金としてえらい金額が入金されている。それが右から左にすっと消える。そのようにして住宅ローンが完済されるわけだ。
この場合の金額はすべて単なる記号であり情報でしかない。およそ実態がない○○円という記号だ。もっと実態ある取引態様のほうがいろいろ実感するべきことがあるのだろうなどとわけのわからないことを頭の中で考えてみる。買主から現金を直裁的な現金をいただき、それを銀行に持参して「ほれ、これで借金帳消しやで」とばかりに窓口のお姉さんの前に現ナマ積み上げる。そんな夢想をしている間にあっさりとローン完済の手続きが終了する。
ローン、この重苦しく、おそらく一生背負っていかなくてはいけないだろうなと思っていた苦役と苦悩の人生、その象徴ともいうべきものがとりあえず吹き飛んでいく。いや、いった。実感というべき実感もほとんどないのではあるのだが、たぶんジワジワと感じ入る部分もでてくるのではないかと思う。家を売るということはこういうことでもあるわけなのだ。
後は定年までの短い職業人としての人生を慎ましく生きていく。そして少しづつでも貯えて、その後の人生の糧を残していかなくてはならないのだろう。いや、それ以前に妻と娘のためにおそらく必要になるだろう様々な費用に備えていくということなのだ。
とはいえ妻が退院して以来、生活設計を変更せざるを得ないだろうと考えて進めてきた一連のスケジュールがとりあえず今回の旧宅の売却である部分完結したという安堵感もある。妻の失業、障害年金の申請〜取得、転居と家の売却。とにかく駆け足で進めてきた。一つ一つ検証してみれば、手をつけるのが遅かったものもあるし、ものによっては時期尚早、先走りみたいなこともあったかもしれない。とにもかくにも走りながら考え、考えながら走ってきた。結果として正解という風になればいいとは思うのだが、どうだろうか。