掃除、ワックス、媒介契約

なにか三題話みたいだな。今日は不動産屋が今住んでいる家の売却のため媒介契約にくることになっている。それで昨日はけっこう遅い時間から久々に掃除をはじめた。目論見としてはだな、1Fの居室三部屋の掃除とワックスかけ、2Fリビングの掃除、ワックスまでを最悪でも夜8時頃までには終了させるつもりでいた。寝室と自分の部屋までは順調に掃除を終え、娘の部屋の掃除を始めようととして頓挫してしまった。
娘の部屋はなんていうか、のだめの部屋の一歩手前状態。様々な玩具類がところせましと無秩序に放置され、そこにお勉強道具もまざっていて、一種異様なカオス状態になっているわけ。ようは雑な娘なんだよね。整理整頓きっちりの綺麗好きな娘さんとは程遠い存在なんだな。それでも時々親がしかるとけっこう真面目に片付けやるのだけど、しばらくするとこういう無秩序状態になる。
それでとりあえずごみ袋を4〜5枚もってきて、プラごみと燃えるゴミを分けてスタートする。途中であまりのガラクタの多さに辟易して、怒り心頭娘を呼び、二人で再度ごみ捨て儀式を始める。私が溢れんばかりの玩具箱からおもちゃを一つづつ出して、「これは?」「いらない」「これは?」「いる」を繰り返す。そしていらないものはごみ袋に入れていく。途中で「いる」というごみも「いらないだろう、これは」とごみ袋行きになったり、一度ごみ袋に入れたものを敗者復活させたり。
しだいに作業は子どもの幼児期の玩具からの卒業的、なにか通過儀礼的儀式の様相を帯びえてくる。ぽぽちゃんだのメルちゃんだの、3〜5歳くらいの時に欲しがって欲しがって買ってもらった人形たちも、娘はもはやなんの愛着もないかのように「もういらない」と言い放つ。おいおいそれはないだろう、お前めちゃくちゃ欲しがって買ってもらったんだろうなどと思う部分もありつつ、これも成長っていうものなのかもとも思う。よくよく見てみるとぽぽちゃんは二体、めるちゃんは三体もある。だれだよこんなに買ってやったやつ!って、「私だよ」と無意味な心の中でのぼけつっこみである。
最初に用意したごみ袋ではたりずさらに追加追加し、ようやく9時過ぎになって作業終了。プラスティックごみが5袋。燃えるごみが3袋。部屋の中は綺麗にかたづく。それからとりあえず掃除機だけかけてこの日の作業は強制終了。娘は「パパ、お部屋綺麗になったね。今日は私この部屋で寝る」とにこにこしている。もう、こっちは疲れきって怒る気にもならず。夕食の支度も全然できていなかったので、家族三人で近所のラーメン屋に出かけてしまった。
翌日は実に6時起き。ウィークデイよりも早く起きている。朝食作って家族に食べさせる。リビングの片付けとかを始める。少しだけだらだらしてから、ようやく1Fの床の水拭、ようやくワックスかけを始める。それから2Fの掃除、水拭き、ワックスかけ。けっこう時間がかかる。ほぼ終了したのは昼近くになってから。やれやれだ。こうやって年二回は必ずワックスかけをしてきたのだよなと感慨じみた思いも。
この家に越してからはだいたい5月と12月。5月は子どもの担任が家庭訪問に来るのにあわせて。別に教師に綺麗な家を見得張って見せる必要なんてなんにもないのだけど、まあ掃除のためのモチベーションなんだよな。
1時頃に不動産屋がやってきて、事務的に媒介契約の手続きを行う。この不動産屋は買いの方もやってもらっているのと、けっこうチラシや雑誌等での広告も行っているので、ここに専任でやってもらおうと思っていた。前日、この家を建てた不動産屋に別件で電話したのだが、そのときに家の購入と売却の話をついしてしまったところ、当然のごとく媒介やりたいといいだした。まあ、この町で商いしている不動産屋だし、まして設計施工したところだが、この家とこの町の不動産事情には精通している。それでなんとなく押し切られるみたいにして、二社にそれぞれ一般での媒介契約を結ぶことにした。
そういうこともあり、1時にやってきた不動産屋としてはあまり面白い話ではないのだが、そこは一応紳士的に対応してくれた。契約途中も○○さんとは真っ向勝負で頑張らせてもらいますとのことだった。
そのあと4時過ぎに地元の不動産屋が同じように媒介契約にやってくる。この担当とは家の設計のときからいろいろ無理目の要求もしたし、精一杯価格的にも頑張ってくれたし、不動産屋としてはどちらかというとあまり押し出しはないけど、誠実さが伝わってくる方。いろいろと設計施工時の懐かしい話は、この町ふじみ野の最近の不動産事情なども話しあいながら契約書をかわした。
それにしてもここ最近、ふじみ野はかなり土地上がっているらしい。今この家を建てたとしたら、当時の値段は絶対に建たないという話だ。そんなことを聞いていると、設計からいろいろ注文つけて作った家だけに、本当にもったいないというか、手放すのが残念な思いでいっぱいだ。でもやっぱり仕方がないのだとも思う。子どもを転向させるのだって可哀想なことだ。でもやっぱり仕方がないのだ。妻が病気になったこと。そしてけっして以前の元気な妻には戻りえないという現実の中で我が三人家族は生きていかなくてはならないのだから。
いろいろと残念なことがあるにしても、とりあえず私に仕事があり収入があり、これまでの拙い蓄えで次に住む家もとにかくも用意できそうなのだ。まだまだいいほうじゃないかと、まあそんな風に思っていくしかあるまい。