プール事件の進展

16日に埼玉県警は地検に対してふじみ野市職員3名、プール管理受託企業の社長、社員など3名を書類送検したという。
<毎日>キャッシュ
http://72.14.235.104/search?q=cache:w1T3rHDTkxUJ:www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061116k0000e040055000c.html+%E3%81%B5%E3%81%98%E3%81%BF%E9%87%8E%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%80%80%E6%9B%B8%E9%A1%9E%E9%80%81%E6%A4%9C&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=19
これまでの非公式な情報ではなく正式に送検されたわけであり、今後は地検による立件手続きということになる。例によってふじみ野市議の各ブログでもこの件を報じたり、論評されている。
山川市議
http://sumizumi9.tea-nifty.com/yamakawa/2006/11/post_c065.html
http://sumizumi9.tea-nifty.com/yamakawa/2006/11/post_018d.html
民部市議
http://blog.livedoor.jp/mimbu_kayo/archives/50944447.html
鈴木市議
http://www.keitarou.info/klog/index.php?e=323
市が市長が今後どういう風に責任をとっていくか関係者の処分をどうしていくのか等に注目していく必要があるのだろう。山川市議のブログに市長の記者会見の一問一答が掲載されている。その中で例の事故調査報告書を遺族のもとに手渡そうとしたが秘書を通じて連絡を入れたところ断られたという。あの内容ではしょうがないだろうとも思った。先日の学習会での有田一彦さんが力説されていたが、あの報告書には被害者の立場についての記述が一切ないのだ。もともと原因究明自体を放棄した内容のうえに被害者の立場についての視点がまったくないだ。報告書では被害者に若干なりとも過失があったのかどうか、また一切被害者側に落ち度がないのであれば、それを明記することで被害者の名誉が傷つくことのないよう配慮するという記述がないというのだ。被害者にとっては何の供養にもならない報告書だったということだ。
同じ山川市議のブログの記者会見の記事の中で防護柵の針金留めが11年前から行われていたことの質問に対して教育長は「確認していない。失態と思う」と語るだけである。さらに針金に替わった時期についての認識を問われても「現在はわからない」と答える。いったいこの人たちはあの事件から三ヶ月間何をしてきたのだろうと思う。
事件が一自体の、およそどこでもありそうなプールでの水難事件ではなく、全国レベルでの事件として様々な反響を呼んだ影響だろうか、埼玉県警も通常一年以上かかる業務上過失致死事件を異例の早さで書類送検にまで結実させたということが毎日の17日朝刊の記事にもあったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061117-00000137-mailo-l11
そういえば朝日でも地方欄で10段使って報じていたっけ。なぜこれほどまでに大きな事件になったのだろう。そういえば、プール事故の学習会での有田さんが、冒頭この事件が他のプール事故と決定的に異なる点として全国的に報道された点を指摘されていたっけ。普通水難事故なんていうのは地方版に小さく報道される程度の事故=事件でしかないということなのだろう。
なぜこの事件だけが全国的になったか。簡単なことだ。それはこの事件が衆人の見守る中で起きたということ。皆が見ている中で吸水口に少女が飲み込まれたこと。それから少女の救出までの数時間がライブとしてテレビで報道されたこと。まさにこの1点に尽きるということなのだろう。普通プール等での事故は、子どもが行方不明になる。それが後になって水死体として見つかるみたいなことが一般的のようだ。そのへんが今回の事件と決定的に異なるということなのだろう。
さらにライブ中継されてしまったために、多くの者がなぜ防護柵がはずれるのか、はずれた状態であるのに吸水ポンプを止めるでもなく、またプールから人を出すこともしなかった管理体制についての疑問を抱いた。そこからは管理運営上の不備がもう続々と出てくる。毎日なんらかの形で例のずさんの連鎖の事実が報道されることになった。かくして全国区となってしまった事件=事故のために文部省も全国のプールの点検調査を行わせた。すると安全性に不備があるプールが続々とでてくる。このようにして一地方都市のプール水難事故が全国区の社会問題となってしまったということなのだろう。
さあそのうえで今後この事件がどう伸展していくのかどうか。事件性としては書類送検により今度は地検の捜査が開始される。起訴立件となれば司法の場で刑事事件としての処罰が下されることになるのだろう。これが第一点だ。
第二点とてしては、行政責任の問題がでてくる。これはやはり市の責任者や関係者の処罰や進退問題が俎上にのってくるということだろう。私自身は島田市長の辞任までいかなくては行政上の落とし前としては満足できないだろうとは思っている。
さらに第三点としては被害者への賠償問題だ。示談となるのか、民事事件となるのかどうか。もし刑事事件が業務上過失致死罪であり、事件の原因が不明確なまま結審となれば被害者側は原因究明を含めて民事訴訟を起こすことだってあるだろう。
そして第四点、実はこれが今後にあっては一番大切なことなんだが、プール事故の再発防止、安全対策の確立ということだ。今後の事件が全国的に報じられたためにわかったことが幾つもある。それは国レベルでのプールの管轄する役所が幾つかに分かれていること、さらにプールの安全管理に関する法的整備が一切なされていないという大元の問題だ。さらにそこから派生して今回の事件の舞台となった「流れるプール」には安全基準等が実は一切ないこともわかってきた。
プールの所轄については以下のサイトがうまくまとめている。
http://mozaic.lolipop.jp/archives/000596.html
そう文部省、国交省、厚生省が入り乱れているのだ。おまけに各省庁とも通知書等を出しても実際の監督については自治体に丸投げしているということなのだ。
自治労連が今回のプール事件で文部省、総務省に対して財政的・技術的対策を強く要請という記事が自治労連のサイトにあった。
http://www.jichiroren.jp/md/news/article.php?storyid=429
この中でも自治労連側がプールの安全に関する条例を設けている自治体が数県に限られる状況の中で、国からのより実効性のある手立てを求めてことに対して文部省の役人はこう述べるだけなのである。

文科省
 条例化は、現行制度でなんら支障がない。自治体が自ら安全対策を講じるべきで、国が強制するようなことでいいのかと思う。
 大臣が「通知を出しているのにそれを守らない自治体が問題だ」と発言したが、来シーズンの通知は書き方に工夫し、誰がどういうことをすればいいのか、明らかにできるようなものにする

現行の制度でプールの安全が守られるのかどうか。プールが子どもたちの命を奪うことのないようにするために本当に今の制度の有り様だけでよいのか、通知書の工夫程度でよいのかどうか、どうにも問題といか無策という印象である。
一方で現在の制度からいうと隙間的存在とでもいうのだろうか、どこの所轄からもれてしまう全国の民間プールでは、今回のふじみ野プール事件をどう受けとめているのだろう。幾つかサイトをくぐっていたら、日本スイミングクラブ協会が商業スポーツ施設経営者宛に出した声明書というのを見つけた。プールの危険性はそのまま自らの商売に跳ね返ってくるだけになかなかに切実かつ問題点が整理された文書だと思った。
http://www.sc-net.or.jp/fujimino2.html
そのうえでやや漠然とだが思っていることなのだが、プールは設計施工から管理運営にいたるまで、どれ一つとして疎かにできないものだ。それは利用者の安全に密接に結びついてくる。さらにいえば危険にさらされるのは、利用者の中でもなかなか自身で身を守ることができない子どもたちだということだ。そうであれば、今回の事件を契機としてプールの監督官庁を整理し、関連の法整備を進めること、それが一番重要なことなのではないかと思う。施行の際の安全基準が守られなかったり、安全管理が成されない場合の罰則規定を盛り込んだ法整備がたぶん一番必要だとなんとなくだが考えている。その際はの監督官庁はどこか、学校以外の民間プールにしろ娯楽性の高い遊園地なんかのプールにしろ、基本的には国民の体育振興の一環なんだから、文部省でいいようにも思う。
なんか最近のやらせタウン・ミーティングとかを見ているとこの省庁になにかをさせるのは気が重い。さらにいえば、新たな利権の温床を与えれることになるんじゃないかとかいろいろマイナス面もある。でも自治体になんでもかんでもおまかせしてもどうなんだろうという気もするのだ。
出来ればふじみ野市にも今回の事件を契機として究極的なプールの安全管理指針を策定・明確化させてもらいたいとは一市民としても考えるところだ。でも、ひょっとするとこれからの数十年間、この地には市民プールは消滅するかもしれないという、そんな可能性もあるわけだ。指針やマニュアルがあっても実際のプールがなくては、・・・・・・。それではふじみ野市が県に働きかけて条例策定を推進させる。なんか考えるだけで現実性がどんどん失われていく。
やっぱりね、プール問題は国が全面に出て法整備等を進めるべきなんだと思うよ。自治体からすれば、年に数ヶ月だけ運営する箱モノには金、ソフトをつぎ込めないというところもあるんじゃないかとも。
また外国ではプールの安全基準についてどんな取り組みがされているのか。あんまりつっこんで調べてはいないが、偶然アメリカでの事情についての記述されたサイトを見つけた。
http://www.ms-jitsumu.com/sub62-01-46.html
民間と官とが協力しあっている部分も感じられた。なんでもかんでも官頼み、その官もまた国と自治体とで責任の押し付け合いみたいなどこかの国とはだいぶん違った様相があるようにも思えた。そういう意味では日本スイミングクラブ協会のような民間団体はもう少しつっこんだ内容、あるいは具体的な安全管理指針を練り上げてもいいのかもしれないとも思った。商売に密接にからんでいるのだから、それなりのノウハウ蓄積させているところもあるのだろう。理想的には官民あげて現在の未整備なプールの安全管理をソフト面、ハード面ともに整備していくことが必要なんだろうということだ。
最後に書類送検があった日に寄せた被害者の両親の手記をそのまま引用しておく。

<遺族のコメント全文> 

 夏の暑い日差しの中で、楽しくプールで泳いでいた瑛梨香を失ってから、3ケ月半がたちました。外の風が冷たくなり、季節が変わっていく事を肌で感じても、瑛梨香を失った悲しみは深く、決して癒えるものではありません。
 「月日が解決する」という事はなく、私たち家族は日々の生活を取り戻していかなくてはいけないという現実と、瑛梨香を失った悲しみの狭間で新たな苦しみを抱えています。毎日、涙をこらえながら会社や学校へ行き、買い物へ行かなくてはならないのです。ずっと瑛梨香の前に居てあげたいのに…。
 小さな箱の中に入っている瑛梨香をそっと抱きしめても、元気だった頃の瑛梨香の重さや温かさはないのです。やわらかくて、かわいいほっぺにキスをして、「瑛梨香はたからものだよ」と言って抱きしめてあげられないのです。
 瑛梨香は「大きくなったらなにになる?」と聞くと、いろいろな答えが返ってきました。ピアノの先生・学校の先生・幼稚園の先生・お習字の先生。そして最後には必ず「ママになりたい」とにっこりと答えてくれました。
 そんな瑛梨香の夢と希望にあふれた将来を、無責任な大人達によって奪われたのです。自分の子どもや孫があのプール事故の被害者だったら、と自分に置き換えて考えてみて下さい。私たちの幸せな日々を奪った、ふじみ野市の関係者・プール管理関係者は、「書類送検」という事でありますが、親としては決して納得のいく物ではありません。
 今後、二度とこのような事故を起こさない為にも、関係者に対しては厳重な処罰を望みます。そして、法の整備をきちんとしていただき、今後プールの管理・運営が安全に行われる事を望みます。
 また「私たちの大切な瑛梨香の命」が、たくさんの子どもたちの命を救うきっかけになった。と感じることができますよう、確固たる防止策を講じて頂きますよう、お願い致します。
 最後になりましたが、この3ケ月半たくさんの方々より励ましを頂きましたこと、心より感謝申し上げます。

                                          平成18年11月16日

                                               戸丸 勝博
 
                                                  裕子

 改めて思う。被害者の少女はたまたまあの日、あの時刻に吸水口に飲まれることになってしまった。でも、飲み込まれるのが私の娘である可能性もあったわけだ。ふじみ野在住の、あるいは近在のあのプールを一度でも利用したことのある、あるいは利用する可能性のあった子どもがいる家庭は、誰しもが被害者に成りえたのだ。それを思うと胸が痛む。この事件をどんなことがあっても風化させてはならないとつくづく思う。
自分がこの事件に妙にこだわり続けるのは、単に地元で起きた事件だからではない。自分にも被害者と同世代の娘がいるからというのが一番の理由なのだと思う。さらにいえばずっと思い続けていたことなのだが、実は私の裏覚えの記憶の中で、どこかのプールで吸水口だか排水口だかの防護柵の四隅を針金留めしているところがあったのを覚えている。それがじょじょにだけれど、一度だけ利用したあのプールであったという実感が強くなってきた。あの時にも実はなんだよこれ、あぶないんじゃないかと素朴に思ったことがあったのだ。あのプールで針金留めを目視して、なんかしらの違和感を覚えた市民は実はけっこういるのではないかと実は思う。
私が感じた違和感、一過性のすぐに忘れ去ってしまった危ないな〜という思い、それが一番最悪な形で現実化してしまった。繰り返していう。あの被害にあった女の子が別の日のうちの娘であってもおかしくなかったのだ。あのプールは強烈な時限爆弾を忍ばせていた。それがあの日に爆発して、一人の少女を飲み込んだのだ。
ふじみ野市はけっして癒されることのないだろう、被害者の家族に対して誠意ある賠償責任を果たすべきだろう。さらにいえば、もし徹底した安全管理が成される前提であのプールを再開するなり、もしくは別の場所にプールを施行開設するのであれば、被害にあった娘さんの名を冠する名称をつけて、未来永劫子どもたちを危険にさらすことのないよう誓うべきだと思う。もっともこれは被害者側から却下されるかもしれないけれど。
さらに思う。遺族の手記にあるように「被害者の命」が、将来に渡ってたくさんの子どもたちの命を救うきっかけとなるよう、関係団体、自治体、国は協同してプールに関する包括的な法整備を進めるべきだと思う。もし官僚の腰が思いのであれば、議員立法で立ち上げてもいいではないか。どの党でもいい、どの議員さんでもいい、悲惨なプール事故の被害者遺族の思いに答えるべき立ち上がるところはないものなのだろうか。
来年の夏、その次の夏、そしてさらに次の夏、プールでの水難事故で子どもが一人も死なないようになる。そのことが被害にあった娘さんへの一番の供養になるのだと思う。