ふじみ野市プール事故調査報告について

17日に市議会全員協議会で公表され、18日にはふじみ野市のHP上でもアップされた。
これについては、全国紙でも大きく報道されている。

●「ずさんの連鎖」指摘 ふじみ野市報告書 - 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061017-00000039-mai-soci
●ずさんの連鎖が事故招く=構造、安全管理、対応不備−プール事故で市調査委・埼玉 - 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061017-00000061-jij-soci
●「ずさんの連鎖」が原因 埼玉のプール事故で最終報告書-朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1017/TKY200610170165.html
ふじみ野市のタウン情報、教育/行政・施策の掲示板より引用
http://www.fujimino.matrix.jp/ooi/cgi-bin/keiji0/wforum.cgi

さらに毎日新聞は18日にも以下の記事をあげている。
http://72.14.235.104/search?q=cache:8HVcCQH95m8J:www.mainichi-msn.co.jp/chihou/saitama/news/20061018ddlk11040457000c.html+%E3%81%9A%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E9%80%A3%E9%8E%96&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=19
報告書についてはふじみ野市の以下のサイトからダウンロードできる。
http://www.city.fujimino.saitama.jp/info/detail_181.html 
またいつものようにいろいろと参考にさせていただいたのは以下の市議会議員のブログ。

山川寿美江市議
http://sumizumi9.tea-nifty.com/yamakawa/2006/10/post_6f35.html
鈴木啓太郎市議
http://www.keitarou.info/klog/index.php?c=14- 
民部佳代市議
http://blog.livedoor.jp/mimbu_kayo/archives/50903286.html 
http://blog.livedoor.jp/mimbu_kayo/archives/50904288.html

またこの報告書についての評価については、今回のプール事件についての様々な分析、コメントでもっとも信頼を寄せている有田一彦氏のサイトが詳しい。
http://www.arita.com/ar/archives/2006/10/18/resOut.html
今週はずっと忙しくて、19日深夜にとりあえず報告書をダウンロードした。しかし資料編をいれて81頁になる報告書を家でプリントアウトするのものなんなんで、会社に圧縮転送。昨日、仕事の合間に高速プリンターで印刷(しかしいったい何をやっているんだか)。5時半過ぎに会社を出て、その日は夜から都内で打ち合わせがあるので、延々東上線の中でとりあえず目を通した。打ち合わせ後酒席もあり午前様で帰宅。それからようやく読み通した。
しかしほろ酔いの頭の片隅では、なんでこんなレポート読まなくちゃいけないのだろうという小人さんのささやきが。別に暇でもなんでもないし、仕事忙しいし、家のこと、妻のこと、子どものこと、もうやること沢山あるのに。好きな本も読めない、DVDも観れないっていうのに、などとぶつぶつ。
でもこのレポートをダウンロードした一般市民ってどのくらいいるんだろう。ふじみ野市ではそういうのって解析できるんだろうか。自分も含めてだけど、こういう全国区的な大事件おきてしまった以上、今回のプール事件の事実関係、原因、責任、今後の対策等について、そこそこ関心をもっている普通の市民がいること、そして行政に対してきちんとウォッチングしていくことは必要なのだとは思う。
さてと報告書についてである。内容についてのトータルな分析は素人である私の仕事ではないだろう。そのため印象批評、あるいは思いついた疑問点等を列挙することくらいしかできない。そのうえで一読した感想は、とにかく「〜とのことである」「〜とのことであった」という伝聞調の記述が多いこと。推定、推認の記述が多いというものだ。たぶんに役人からのヒアリングによって構成されているからなのだろうが、なにか報告書をまとめあげた人の(たぶん役人さんなのだろうが)責任をとるまいとるまいとする意識が働いてでもいるのかなとも推認(!)してしまう。きちんと調べているのであれば、断定調でまとめてもおかしくないはずだと思うのだが。
この報告書を読む前に有田氏のサイトでの氏の感想等を読んでいたためか、ある種の先入観をもってしまった部分もあるかもしれないけれど、この報告書は有田氏が指摘するとおりに原因追求についての部分がとにかく欠落しているとは思った。もっとも報告書の最初で、多くの関係書類を警察に任意提出しているため、「マスコミ報道等により断片的に明らかにされてきた事実関係と市から提出された整合性のある資料から認められる事実とを問題ごとに整理し、事故原因に関する報告としてまとめた」とあるように、報道追認のはなから不完全なものであることを委員会自体が認めているふしすらあるわけだ。
それをまたある種の居直りのように「報告書の作成の主眼が正確かつ詳細な事実認定に基づく原因関係者の責任追及にあるのではなく、二度とこのような痛ましい事故が起こらないような再発防止策の提言にあり」と宣言している。素人考えではあるが、詳細な事実認定に基づく原因及び責任の追及なしには再発防止策など作りえまいと思うのだが。
もっともこの報告書をまとめた事故調査委員会には助役、総合政策部長、教育委員会教育次長という三人の市幹部職員が委員として参加している。9人中の3分の1が責任追及を受ける立場の市の幹部職員であるということが、この報告書の性格をある程度規定してしまったのではないかとは思う。
以下には読んで疑問に思った箇所についていくつかを取り上げてみる。
まず大井プールの管理については、指定管理者による管理ではなく市の直接的な管理であるという記述がある。

Ⅰ 市の直接的な管理
 市による直接的な管理は、市職員の自らの手による直接の全部管理と、管理業務を細分化し、細分化したものの中で民間事業者が担当した方が適切であると考えられる事務について委託事業として外注し、一部管理を委託するものがある。
(中略)
 ふじみ野市は、今回事故の起きた大井プールについては、Ⅱの指定管理者は指定せず、Ⅰの市の直接的な管理方法を選択し、その管理業務の一部を太陽管財株式会社に業務委託していた。(15P)

 ほんとうにそうか!?管理業務の一部を委託していたというが、この報告書に全編貫かれているのは、業務を全面的に委託していたので、責任は受託企業にあること、さらに受託企業である太陽管財が市の承諾なしに京明コンサルタントに業務を丸投げしていたことがずさんなプール管理につながったという論調だ。

2 危険箇所のチェックリスト
教育委員会(体育課)は、大井プールを管理するに当たり開業前に独自に点検作業を行ってはいなかった。これは、前提条件として、プール管理業務は委託であるので、業務を受託した業者が必要な点検作業を行い、市教育委員会(体育課)は履行の確認をすることで十分であるとの認識から作業を行っていなかったとのことである。(P26)

これでどこが管理業務の一部を委託していたということなのだろう。そういえば以前山川市議のブログにもこんな記事があり、大井プールの管理運営についての疑問点を提示されていた。http://sumizumi9.tea-nifty.com/yamakawa/2006/08/post_f889.html#trackback
なぜふじみ野市は大井プールの管理を一部管理と取り繕っていたのだろうか。指定管理となると市議会の議決や市との管理協定締結などを行わなくてはならなくなる。そうなれば業務の丸投げなど簡単には出来えなくなりそうだし、なにかこのへんに深い闇のような部分がありそうな気もしてならない。
この太陽管財から京明プランニングへの業務の丸投げについては、以下の一言、二言でかたずけられている始末だ。

市は、株式会社京明プランニングへの無断再委託について見抜けなかったとのことである。(P26)
(中略)
教育委員会は、このような無断丸投げと悪質な隠ぺい工作を見抜くことはできなかったとのことである。(P27)
(中略)
受託業者が契約を誠実に守ろうとしない不適格な業者であったことは明白であり、それを見抜けなかったというのは問題である。

おいおいという感じだ。こんな風に「見抜けなかったとのこと」「見抜けなかったというのは問題」とするだけでおしまいかというのが率直な感想だ。この報告はおよそすべてにわたって「なぜ」「どうして」という視点あるいはそれに答える視点が徹底的に欠如している。ようはなぜ見抜けなかったのかが問われるべきなのである。もしただ見抜けなかったという事実の指摘だけですんでしまうのであれば、そんな無能な役人たちに市の業務をまかせるわけにはいかないという話になる。だいたいにおいて、過去10年のうち8回も委託業務を行っている太陽管財がいつから業務の丸投げを行っているのかもこの報告書には記述がない。
しかし、民間企業に努める私のような者からすると、8回も業務を受託している太陽管財の業務再委託(丸投げ)を市がまったく関知していなかったとは、考えにくいところでもある。もっと根深い癒着関係があったうえでのことと勘ぐりたくもなるところだ。
次にこの報告のある意味ではキモの部分でもある「第2章大井プールの問題点の整理」なのだが、これがけっこう噴飯ものなのである。問いがそのまま答えとなったりなど堂々巡りを繰り返している印象だ。

そのもそも丈夫に固定されているはずの防護柵がなぜ外れたのか、外れていなければ事故はおきていない。さらに、防護策(ママ)が外れたとしても吸い込み防止金具が設置されていれば少なくとも今回の事故は起こらなかっただろう。更に言えば、どうしてこのような不完全な状態が長期間にわたって放置されてきたのだろうか。これらの点はいずれも、今後の事故防止の観点からすれば重要な検討事項である。(34P)

このように「なぜ」を連発に問題点を列挙していながら、その3行下でこの点を繰り返して、

防護柵が針金で固定されていたとしても、外れなければ事故は起きていない。なぜ外れたのか。針金による固定はどういう風になされたのか、4箇所固定してあったという針金が同時に全部外れるというのはどういう事態なのか、それは自然に外れたのか、何らかの人為的力が加わって外されたのか、外れたという針金は見つかったのか、針金はどういう状態になっていたか、これらの点については全く不明であり、今後の警察の捜査の結果を待つしかない。したがって、本報告書においては、この点についての記述はできない。(34P)

と、あっさりとシャッポを脱いでしまう。すべては不明、警察の捜査の結果待ちでは、なぜ9名もの委員が専任され5回もの時間をかけて審議を行ったのかと、この委員会の存在理由さえ疑問視せざるを得ないところ。さらに「なぜ針金による固定をしたのかについて検討するにとどめたい」としながら、その後の記述の中に「なぜ」を検討した記述がない。針金の記述があるのは以下の部分だけである。

本件プールは、この基準(平成14年埼玉県からの通知)の適合性からいえば、不合格となる。設置時若しくはその後の改修時点においても吸水口が二十構造となっていないことに加え、防護柵の固定用として当初ねじを使用していたが、いつごろからか針金を使用するようになった。(P35)

まず針金による固定についてであるが、これまでの報道等によれば、受託業者は、防護柵の清掃作業を実施する際、取り外し、清掃後に取り付けをした。その際何らかの理由により、ねじとねじ受けの孔が一致せず、やむを得ず針金によって固定されたようである。この点に関する問題点は二つある。一つ目は、防護柵は、本来外すべきものではなかったということ。二つ目は、本来ビスで固定をすべき箇所を継続して針金によって固定してしまったということ。(P36)

どうも検討した結果わかったのは、針金を「いつごろからか使用するようになった」、「何らかの理由により」、「やむをえず」、そして「継続して」という ことだけらしい。
またこの章では、このプールが有田一彦氏が指摘しているように、http://www.arita.com/ar/archives/2006/08/23/poolOut.html
元々構造上の欠陥を抱えた、いつ人を吸い込んでもおかしくない欠陥プールであったことをそのまま指摘している部分もある。

構造上の問題を検討するに当たっての疑問として、そもそもこのプールの設計・施行の段階において問題があったのではないか、という点がある。事故現場の見分によれば、吐出口には格子状の吸い込み防止金具がついているのに、吸水口の管入り口には防止金具をつけていない。文献によれば、本件プール建設以前から排水口での死亡事故が数多く発生していたとのことであるから、そもそも設計施工段階において問題があったのではないかと思えるのである。
しかしながら、本報告は技術的な鑑定や法的責任の所在を明らかにすることを目的とするものではなく、この点に関しては疑問を指摘するにとどめ、その検討は専門的技術者の議論に委ねることとしたい。(36P)

大井プールの致命的な構造的欠陥の問題をただ「疑問を指摘するにとどめ」てしまう委員会、報告書にもはや何の意味があるのだろうとさえ思ってしまった。市の責任の露呈を食い止めるために、また刑事捜査を理由にして原因追求を放棄してしまったとしか思えない。
この報告書が、3章で行っている「再発防止に向けてのふじみ野市に対する提言」ほど虚しいものはないだろうと思う。原因、責任の徹底究明なしに再発防止策などあり得ないというのが、一般常識だと私などは思うのだが、どうだろう。よって3章はまったく読むに値しないものだと私は考える。設備点検マニュアル、施設点検チェックシートなど小ざかしいばかりだ。そのための予算作りなど、現段階ではもっての他。まずは原因の徹底究明、関係責任者への処罰、そこから初めて再発防止策が生まれるのではないかと思う。