ふじみ野プール事故で有罪判決

<朝日 5月26日夕刊一面>
ふじみ野プール事故、元市課長らに猶予付き禁固刑
2008年05月27日12時20分
埼玉県ふじみ野市の市営プールで06年7月、小学2年の戸丸瑛梨香さん(当時7)が吸水口に吸い込まれて死亡した事故で、安全管理を怠ったとして業務上過失致死罪に問われた同市教委元体育課長、高見輝雄被告(61)=退職=と同課元管理係長河原孝史被告(47)に対し、さいたま地裁は27日、禁固1年6カ月執行猶予3年(求刑禁固1年6カ月)、禁固1年執行猶予3年(同1年)の有罪判決を言い渡した。
伝田喜久裁判長は「ほぼ全面的に業者任せにして自らの職責を怠った。全く無責任で厳しい非難に値する」と指摘。「瑛梨香さんは楽しい夏休みを過ごしていたのに、わずか7歳で無限の可能性を奪われ、感じた恐怖は想像を絶する」と述べた。
判決は、プールの吸水口の安全管理が長年ずさんだったことにふれ、「2人は歴代プール担当職員の無責任の連鎖を断ち切らなければならなかった」と指摘した。
弁護側の「事故時の担当者の責任だけを問うことは、再発防止の観点からも不十分で、業者の過失も大きい」との主張については、「プールの安全管理の責任は年度の担当者ごとに独立して評価すべきだ。業務委託することで、市は業者に安全に管理させるという二重の責任を負うことになり、2人の責任はむしろ重い」と結論づけた。
判決によると、両被告は06年7月、埼玉県ふじみ野市の市営プールで、吸水口のさくをビスで固定し、遊泳者の安全を守る義務があるのに怠り、瑛梨香さんを死亡させた。
事故をめぐっては、同市から管理を委託された業者の社長ら3人を埼玉県警が同致死容疑で書類送検さいたま地検は07年6月、「プールそのものに欠陥があった」として不起訴(起訴猶予)処分にしたが、遺族の審査申し立てを受けたさいたま検察審査会が今年4月、「市や業者の担当者の誰か一人でも果たすべき役割をしていれば、事故は防げた可能性がある」として起訴相当と議決。地検が再捜査している。

数日前になるか、朝日の夕刊に一面に載っていた。ある意味、相当に風化した事件ではあるとおもう。それでも一面で取り上げられるのは、この事件が様々な意味で象徴的な意味を帯びている部分があるからだ。
まずただの首都圏郊外の市民プールでの事故が全国的になったのは、吸水口に吸い込まれて亡くなった少女の救出がライブで全国放送されたからだ。もしこの事故がライブでワイドショーなどで取り上げられるようなものでなかったら、たぶん新聞の地方版に小さく取り上げられる、よくある夏の水難事故の一つで片付けられてしまっていただろう。それに近いことをふじみ野市の市議さんがブログで書いていたような記憶がある。少女の死に哀悼しつつも、少し過剰反応し過ぎではないかみたいな記述だったように覚えている。
またこの事故が全国に大々的に報道されたために、プールの安全管理という問題が大きくクローズアップされた。市民プールの所轄官庁が実は文科省国土交通省の間のグレイゾーンにあることなどもはじめてわかった。事件後一斉に全国の学校や市民プールの点検が行われ、約1600箇所で安全性に問題のある箇所がみつかった。ただの水難事故ではなく、プールでの事故は安全管理やプールの構造を含めて、様々に問題があったことが初めてわかったのである。そう水難事故はそれこそ夏の風物詩のごとくにいわれている部分もあったのだが、実はきわめて明確な人災であったことが理解されたのだ。
そのへんのことが同じ朝日の15面で解説されている。

埼玉県ふじみ野市の市営プールで06年7月、家族と遊びにきていた戸丸瑛梨香さん(当時7)が吸水口に引き込まれ死亡した事故で、当時の市の管理担当職員に27日、有罪判決が言い渡された。プールのずさんな管理態勢が明らかになった事故を機に管理する自治体や企業をはじめ、国の姿勢も変わった。
文部科学省によると、事故直後の06年8月、全国に約3万3千ある公営や学校のプールのうち、約1600ヵ所で吸排水口のさくの固定が不十分だったり、吸い込みを防止する金具が取り付けられていなかったりした。だが、昨年8月には全施設で改善が完了したという。
国も事故直後、学校や都市公園など設置場所で異なっていたプールの安全基準の見直しに着手。文科省国土交通省が中心となり、07年3月、国内のプールの統一的基準となる「プールの安全標準指針」を作った。指針には事故の原因となった吸排水口の整備を主に盛り込んだ。
民間でも、ライフセーバーらがプールの安全管理に特化したNPO「日本プール安全振興協会」を07年4月に立ち上げた。ライフセーバーでもある北條龍司理事長(45)は「プール事故は、当たり前のことをすればほとんど防げる。基本的な運営方法を全国に広めたい」と話す。
自治体と業者の関係も変わりつつある。全国でプールの管理委託を受けている東京都内のある業者は「設備の確認方法や監視の仕方など、事故後に自治体のチェックが厳しくなった」。(津坂直樹)

これが多分この事件を契機にして行われた様々な動きの中で一番重要なことだと思う。学校や公営のプールには様々な不備があった。そのため年に1人2人と将来ある子どもたちが犠牲になってきた。でもそれはただの水難事故として片付けられてきた。それがふじみ野のこの事件によって流れが変わった。プールの安全管理は厳しくなり、自治体や所轄官庁の意識も変わってきたのだ。
なにかで読んだだけなのでウラ全然とれていないのだが、あの事故以来、2006年以来プールで子どもが亡くなる痛ましい事件は起きていないのではないかという話もある。もし事実だとすれば、まさしくプール関係者の意識が変わったということだと思う。
亡くなった娘さんのこと、残されたご家族の悲しみを思うと、一年半近くを経過しても、なんとも言葉が見つからない。たまたま偶然あの時、あのプールを訪れていて事故に遭われ、亡くなられた娘さんの死に、たった一つとても大切な意味を見出すとすれば、娘さんの死をきっかけにしてプールの安全管理の流れが変わったということだ。そして同じような悲劇が激減しているということだ。
そんなことになんの意味があるか。かけがえの無い娘さんの生、その愛くるしい笑顔が戻ってくることがないと・・・・。
もはやふじみ野から引っ越してしまい、地域的なこだわりとかもないのかもしれない。でも私にとってはこの事件は忘れることができない。私のこだわりは以前に書いたとおりだ。それは今でも変わらない。
プール事件の進展 - トムジィの日常雑記
なんども書くけれど、亡くなった娘さんが私の娘であった可能性もあるのだ。あの時、あのプールを利用可能な場所に住み、同じ年頃の子どもを持っていた親御さんは、みんなあの悲劇に遭遇する可能性があった。それは確率というよりは蓋然性の問題なのかもしれない。ただそれを思うととき、どうしてもこのプール事故には拘り続けざるを得ないのだ。
それでは判決でなにがわかったのか。あのプール事故の原因は、根源的な責任の所在は。あのプールがもっていた構造的な欠陥、排水口には吸い込み防止金具がついているのに、吸水口にはついていないというという、およそ不完全な設計。いつから防護柵の針金止めが始まったのか。管理委託業者、太陽管財及び京明プランニングと市との関係性。かって防護柵の針金止めを指摘した業者サンアメニティがその年(2000年)だけで契約を終え、それ以前と同様以後も連綿と太陽管財が委託契約を続けてきたのはなぜなのか。
請負金額の低減化のロジック - トムジィの日常雑記
 あの事件の後、ふじみ野市で独自に行われた事故調査報告でも一部提起された疑問。
http://www.city.fujimino.saitama.jp/profile/policy/jikocho.html
事件を時系列に眺めていくときに感じられた様々な疑問は何一つ解き明かされぬままにきている。当時、関係者は言った。「捜査中で資料が押収されているため原因は不明である」「係争中のためコメントできない」「司法の場で真実が明らかになることを期待したい」などなど。
しかし司法の場で明らかになったのは、とりあえず担当職員に責任があったということだけだ。長年のずさんの連鎖、無責任の連鎖を2人の職員は断ち切るべきであったということ。それができなかったことが少女の死に繋がったこと。それはまさしく業務上過失致死罪にあたるというのが司法の判断なわけだ。しかしいつも思うことだが、司法の場が真実を明らかにするということは実はないのだと。裁判所は事件の関係性の中から違法性の判断を行い罰するだけなのだから。こんなことはある意味常識なんだけど、なんかこう「司法の場で明らかに」みたいなレトリックにひっかかってしまうんだよな。
本来的には原因追求、事実を掘り下げ明示していくのは、三権分立の建前からいえば司法ではないし、行政は自らの責任が問われているのだから資格はないし、ようは立法=議会のはずなんだ。まあ国レベルでということではなく、自治体レベルでは地方議会が100条委員会なりで掘り下げるべきことなのだが、その地方議会のレベルが、まあ住民のレベルの反映なのかもしれないけれど、驚くほど低い。まあそういうことなのだ。そうなると結局のところ第四の権力、マスコミに期待せざるを得ないということなのだ。ようはジャーナリストによる地道な努力なくして、この手の行政責任を追及する手立ては実はないのかもしれないのではという思いもあるのだが。
しかしいくら全国区的な事件性があったとはいえ、郊外の町ふじみ野での事件なのである。これはこのまま風化していってしまうのかもしれないなという思いも強い。
最後に有罪となった市の職員、禁固刑のため退職金が支払われない恐れがあるだとか。弁護側はその点を踏まえて禁固刑ではなく罰金刑を主張していた。そのためこの判決を厳しいものとコメントしている。場合によっては控訴することもありえるのだとか。
さらに二人の減刑を求める署名が7000にのぼるという話も聞いている。おそらく自治体職員を中心に署名活動が行われているのだろう。二人の職員にはもちろん気の毒な面がいくらでもあると思う。長年続けてきたずさんなプール管理によって引き起こされた事故の責任を、たまたま在任したために問われているのだから。でもね、こればっかりは仕方がないのだよ。それが官僚制ということなわけだから。
ただし、この事件の責任の所在はどこにあるか、それは実ははっきりしているのだ。それは市の上層部=執行部であり、最終的には市長=島田行雄氏にあるということだ。彼の責任の取り方、それは確か自ら課した六ヶ月間の減俸処分だけだったはず。でもね、あえていうよ。市の施設で、それも長年十分な安全管理が行われていなかったことが原因で、将来ある娘さんが亡くなられたのだ。そのうえ部下である職員が業務上過失致死で起訴され有罪判決を受けた。さあそのことに市のトップはなんの責任もないのか。職務を全うすることで責任を果たしていくみたいな詭弁でやり過ごせるのかどうか。
民間企業であってもこれだけ全国区的な問題になり、非が一方的に自らにあるとなると、相当な責任問題になると思う。トカゲのシッポ切りみたいなことや、言い逃れでは世間が納得しないと思う。島田氏がそこそこの人格者なのは知っているけれど、やはりこれはもう一度責任論を問う必要があるように思う。まあ共産党以外オール与党のふじみ野市にあって、彼の責任を問うことは議会ではありえなさそうだし。また共産党も労組がらみで有罪の職員に同情的らしいから、結局この事件、ことふじみ野という地域だけでいえば、問題終了ということなのかもしれない。
そして私はというと、ふじみ野から少し離れた地で、ぶつぶつと呟いているだけなんだが。ただけっしてこの事件忘れない、忘れたくないと思ってはいる。