『奇跡の人』

 自宅のTVでの映画鑑賞となると、けっこうリラックスした状態で観ていることが出来るため、ある意味だれる。それこそトイレにいきたきゃ一時停止、酒が飲みたくなれば一時停止、子どもがじゃましにくればやっぱり一時停止みたいなことにあいなる。眠くなれば(ここんとここれが一番多いな)、停止して翌日観ればよい。劇場で観るときのようなスクリーンに対峙することでの緊張感みたいなものは、もうほとんどないわけだ。若い頃、一年に100本、200本と観ていた頃は、それこそ毎回映画と対決・対峙するような真剣な気持ちで映画を観ていたもんだ(これはこれで若気の至り、あほらしいかも)。
 というわけでDVDでの映画鑑賞は、ほんとリラックスしている。かってえらく集中してのめり込んで観た名作の数々も、今では深夜に一人で観ていると大あくび連発みたいなことも多々あるわけなのだ。そんな中で今回の『奇跡の人』、これはもう一気に観たというか、集中が途切れることがなかった。
 題材が題材である。三重苦のヘレン・ケラー女史の幼少時代の話である。もうこれだけで涙なくしては観れない名作である。もともとウィリアム・ギブスンの戯曲を舞台そのままスクリーンに置き換えた作品である。舞台監督アーサー・ペンがそのまま監督になり、主演のサリバン女史を演じるのはアン・バンクロフト、幼いヘレン・ケラーパティ・デュークがそのままキャスティングされている。もう舞台をまんまスクリーンに移行した作品だ。だからこそなのだろう、きびきびとした演出、アン・バンクロフトパティ・デュークの緊迫した演技、そうしたものが観るものを画面に釘付けにする。
 サリバン女史がヘレンに食事のマナーをしつけるシーン、ほとんどワン・カットに近い長が回しは、演技と演技のぶつかり合いだ。多分舞台で毎日のように行っていた演技をそのまま表出したんだろうけど、これがすごい。本当に圧倒される。
 と、この映画の素晴らしさに諸手をあげてバンザイしたいところなんだが、一つだけ疑問がある。これは映画なんだろうか、ということ。映画的文法として優れた部分は・・・。別にこれは映画である必要があるのか、舞台で十分じゃないか、みたいなへ理屈がちょっとだけ頭に浮かんだ。とはいえ、これも映画なんだ。舞台をもろ映画化して、なおかつ舞台の緊迫感が減じることがない。多様な映画表現の中の一つなのかもしれないな、とも思いましたね。
 そういやこういうもろ舞台みたいな映画としては、名作『十二人の怒れる男』なんていうのもあったよな、などとも思いました。しかし、アン・バンクロフトの演技は鬼気迫るものがあるね。この映画で1962年度のアカデミー主演女優賞はうなずけます。パティ・デューク助演女優賞を受賞している。16歳の彼女は当時の最年少受賞者だったとか。確かにハマり役ではあるけど、この役はもうけもんみたいな部分あるな〜。
奇跡の人 [DVD]