青梅市立美術館~「創立100周年記念青梅信用金庫所蔵美術展」

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特別展「創立100周年記念 青梅信用金庫所蔵美術展」 - 東京都青梅市公式ホームページ

 青梅信用金庫青梅市に本店を置き東京多摩地域から埼玉県南西部で事業展開を行っている信用金庫である。この信用金庫が日本画の有数のコレクションを有していることは一部では有名らしい。コレクションの収集は昭和30年代に地元在住の大家川合玉堂の作品収集から開始され、その後も竹内栖鳳横山大観前田青邨川端龍子平山郁夫加山又造など日本の近現代美術史を形成した画家たちの作品を体系的に収集しているという。

 このコレクションは本展で定期的に展示されたり、多くの美術館の企画展に貸し出されているが、まとまった形で展示されることはあまりなく、これまでには2012年に一度青梅市制60周年特別展が開かれているのみという。今回の企画展は9年ぶりの大型展示企画展で展示点数は46点。特に収集の発端となった川合玉堂作品は12点にのぼる。

 地方都市の市立美術館でこれだけの点数による企画展はなかなかできる者ではないと思う。青梅市立美術館は以前、玉堂美術館の帰りに寄ったことがあった。所蔵している玉堂の4曲の『赤壁』が観れるかと思っていったのだが、そのときは宮本十久一の回顧展が行われていた。

 地方都市の公設・公益美術館が名画を収蔵する条件には、その地の企業や所縁のある篤志家からのコレクションの寄贈や寄託があると思う。三重県美術館はイオンだし、山形美術館は吉野石膏などが有名だ。そういう点で青梅市立美術館にとって青梅信用金庫のコレクションは重要な存在なんだと思う。

 今回の企画展は6部構成となっている。

1.秋の音図会

2.山を描く 富士を中心に

3.青梅ゆかりの画家 川合玉堂

4.水辺の風景

5.花の競艶

6.逸品の数々



 やはり気になったのは川合玉堂の作品。

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『小春』(川合玉堂

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『五月晴』(川合玉堂

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『渓山帰樵』(川合玉堂

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『松上八哥鳥』(川合玉堂

 近景と遠景の描き分け、近景の強調など、川合玉堂はけっこう浮世絵版画の構図を研究したのかなと適当に思っている。特に広重の雰囲気に似ているとはあえていわなけど、風景の写し取り方や空気間などにそんなものを感じる。

 

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新月銀波図』(川合玉堂

 墨の濃淡による樹木の表現、揺れるような葦の表現など美しい絵で心に残る作品だと思う。ほぼ同じ構図で月がやや中央よりにある絵がたしか玉堂美術館で展示してあったように記憶している。

 

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『杜鵑』(横山大観

 「杜鵑」(ほととぎす)はどこにいるのか。山の左側の点が飛び行く杜鵑なのだ。低く垂れこめた雲の間に連なる山々、孤高に飛ぶ鳥。これも心に残る作品だ。やはり大観はもっていくなと改めて思ったりする。

 

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『水郷』(竹内栖鳳

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『菊三茎』(川端龍子

 川端龍子の美しい絵である。龍子は大掛かりな大作はもちろん素晴らしいのだが、こうした作品でも美しさと緊張感の同居させている。ちなみ入場の際に記念品としてマスクケースを進呈いただいたのだが、その絵柄がこの絵だった。

 マスクケースはこんな感じで内側に青梅信用金庫のロゴが入っているがたいへんお洒落。多分、青梅信用金庫が作ったものだろうけど小粋というか良い趣味で、企業のイメージアップに貢献しているかもしれない。青梅に住んでいたら口座作ったかもしれない。

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『ささやき』(伊東深水

 肩を寄せ合いひそひそ話を交わす若い女性。深水は同じ図柄で日本髪に結った若い芸妓によるものも描いている。名都美術館所蔵で高崎タワー美術館で観ている。日本画の芸妓のそれは鏑木清方上村松園の雰囲気もあるが、この洋髪の絵のはモダン風味があり伊東深水のオリジナリティが高いように思う。

 

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『吹雪明ける』(加山又造

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『飛翔』(加山又造

 大作『春秋波濤』や『千羽鶴』に通じる奇想というか、現代の琳派と称された加山又造のエッセンスが凝縮されているような絵だ。

 

 川合玉堂のコレクションの素晴らしさ、さらに大観、龍子、加山又造の作品。会期は11月7日までなのでもう1~2回を行ってみたいと思っている。

 

 会場を後にしたのは3時半頃。玉堂作品の心地よさもあり、ちょっと足を伸ばして御岳の玉堂美術館に足を伸ばしてみた。青梅市立美術館からは車で20分程度。5時閉館で4時半までに入ればなんとかなる。

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 ここでも玉堂作品につつまれて短い間だったがゆったりとした時間を過ごした。館内に入ったとたん、そして庭に入ったとたん、なにか時間が急にゆっくりとしてくるのを感じる。

 青梅から奥多摩での美術周遊は青梅市立美術館~玉堂美術館だ。

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府中市美術館「動物の絵 日本とヨーロッパ」展に行く

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府中市美術館

開館20周年記念 動物の絵 日本とヨーロッパ ふしぎ・かわいい・へそまがり 東京都府中市ホームページ

 昨日、府中市美術館「動物の絵 日本とヨーロッパ ふしぎ・かわいい・へそまがり」展の初日に行って来た。

 芸術の秋、各地の美術館で新しい企画展が始まっている。そのなかで割と近場、かつなんとなく一番魅力的な感じがしたのがこの企画展だ。

 これまで府中市美術館は動物を題材にした日本絵画を中心とした企画展を二度開催している。2007年「動物絵画の100年 1751-1850」、2015年「動物絵画250年」。その後も「かわいい江戸絵画」、「ファンタスティック江戸絵画の夢と空想」、「リアル 最大の奇抜」、「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」といった企画展を成功させている。そうした展覧会の延長上で今回は大規模な動物画をメインにした日本画と西洋画の企画展を開館20周年記念として開催することになったというものだ。

 成功を収めた企画展の延長上で動物画の「かわいい」を展開していくということで展示作品も188点を大規模になっている。西洋画は主にランス美術館からの貸し出しで21点、その他内外から出品されている。ただし前後期で大きな展示替えがあるようで、前期展示約62点、後期展示72点、通期展示51点となっている。

開催期間:2021年9月18日(土)~11月28日(日)

前期展示:  9月18日(土)~10月24日(日)

好奇展示:10月26日(火)~11月28日(日)

 また図録も講談社から出版される一般書として書店等でも入手可能となっている。図録は基本展覧会会場で販売されるのが普通で、出版社で制作出版しても通常ルートで販売するのはけっこうハードルが高い。その中で今回、一般書として販売されるのは、講談社も一定程度売れると判断したことだろうか。

 200点近い展示品ということで、美術館としてもかなり力が入った企画展になっている。動物画もふしぎ=奇想(伊藤若冲)、かわいい=円山応挙の「狗子図」、へそまがり=徳川家光のヘタウマなどがそれぞれ目玉になっている。

 まず「ふしぎ」は伊藤若冲のこの絵からはじまる。

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『象と鯨図屏風』(伊藤若冲)  MIHO MUSEUM

 六曲一双の若冲の屏風絵だ。この絵を観るのは二度目。2019年に東京都美術館で開かれた「奇想の系譜展」でも観ている。その時の解説では、陸の王者と海の王者の対比や互いにエールを交換しているような図柄とある。さらに若冲が14歳の頃、一頭の象が京都を訪れ天皇上皇にお目見えしたという記録から、少年若冲もその象を見たのではという想像から、若冲の記憶と象への愛情を想像するようなことが書かれていた(おそらく辻惟雄のもの)。

 これに対して今回、府中美術館の学芸員の解説は、この絵を一種の涅槃図ではないかとしている。象が鼻を上げるポーズは、古くから涅槃図に描かれる象のパターンで悲しみ表す図像であるとし、また涅槃図の中には鯨が描かれたものもあることから、時代的には仏の教えのもとで生きる動物の代表として描かれているのではと解釈されている。

 さしずめ像と鯨の間にたゆたう海は涅槃に入る仏陀のようとでもいうのかもしれない。まあこの絵を涅槃図とするのは少々無理というか、あまり賛成はしないが面白い解釈ではあると思う。

 その他、奇想的な動物図で興味を覚えたものを幾つか。

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竜虎図』(永瀬雲山)  個人像

 これはもう虎がすべてである。竜はまあ普通だが、虎の顔、目つきがほとんどギャグ漫画のキャラクターである。いくら実際の虎を見たことがないから、多くの想像的な虎図を参考にしたといっても、これはもうあんまりだとはおもう。しかしこの目つきである。

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『猿の座禅図』(岸勝)  個人蔵

 擬人化させた猿に座禅を組ませた図である。人も動物も同じ命、猿もまた悟りを開くのか。ユーモラスではあるが哲学的でもある。

 

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『雀の学校』(桂ゆき)  下関市立美術館蔵

 いきなり現代の抽象絵画の人、桂ゆきである。こういうワープがこの企画展の楽しさというか醍醐味である。

 

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『小屋の前の犬、タヒチ』(ポール・ゴーギャン) ポーラ美術館蔵

 今回の企画展のためランス美術館からゴーギャン木版画10点が出品されている。多分、その絡みで国内のゴーギャンの動物が描かれた作品ということでこの絵に白羽の矢があたったということか。

 ポーラ美術館にはもう両手くらいは行っているので、この絵もおなじみといえばおなじみだ。西洋絵画で犬は忠誠とかの象徴として描かれる。もちろんこの絵でもゴーギャンは単なる具象として犬を描いているということはないんだろうけど、あまりこの絵に判じ物みたいなことで推理してもしょうがないような気がする。この絵の犬と馬は、ある意味ただの犬と馬でしかないようにも思う。ゴーギャンだってそんなに力を入れている訳でもないと思う。

 その他、ミレーやルノワールの絵も出品されている。いずれも吉野石膏コレクションで山形美術館に寄託されているもの。そしてその二点とも確か以前三菱一号館で開かれた「吉野石膏コレクション展」で観ている。

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『庭で犬を膝にのせて読書する少女』(ルノワール) 吉野石膏コレクション

 そのルノワールの隣にボナールの作品が1点。これはランス美術館のものだが、印象派風に筆致で描かれていて構図や色合いなど、小品ながらけっこう気に入った。今回の企画展で1枚持って行っていいといわれたら、まちがいなくこの1点を選ぶ。そのくらいに気に入った。

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『犬を連れた女性』(ピエール・ボナール) ランス美術館蔵

 

 そして多分、一番高い絵はこれかなと適当に思ったのがピカソの作品。バラ色時代のいい作品だと思う。ピカソの作品、それも大型の作品が出品されると、企画展の他の作品がかすむというか、けっこうピカソがもっていってしまうみたいなことが多い。それほどピカソ作品はインパクトがあり、やはり天才とうならさせる。しかしこの作品のインパクトはやや薄い。動物が主役となると他のかわいい絵、奇想、風変りな絵、ようはインパクトが半端ない絵が多数あるからだ。

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『仔羊を連れたポール、画家の息子、二歳)(ピカソ) ひろしま美術館蔵

 

 もしピカソギリシア新古典主義時代の作品があっても、この絵で対抗できるかもしれない。まさか小倉遊亀のこの作品が出てくるとは。

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『径』(小倉遊亀) 東京藝術大学

 この絵は以前、平塚市立美術館で開催された小倉遊亀の回顧展で観た。構図、母子と犬の親密さ、色合いなどが気にいっている。多分、小倉遊亀の作品の中でも五指に入るくらいに好きな作品だ。この絵の着想を得たのは小倉が中国の石窟寺院を訪れたときだという。とはいってもこの絵のどこかに仏教画を想起するものがあるのかどうか。凡人の自分にはちょっとそういう想像がつかない。しいていえば、横から切り取られた平面的な図像に、洞窟仏教絵画的なものが連想されるかどうか。

 しかし動物が描かれているからといって、この絵を借りてくるか。なんかこうなんでもあり感を強く思ったりもするが、久々この絵に再会できて実は嬉しい。

 

 そしてピカソも驚く徳川家光である。

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『木菟図』(徳川家光) 下関市立歴史博物館寄託

 三代将軍徳川家光である。代々将軍は絵についても嗜んでいたらしいが、はっきりいってうまくない。このヘタウマ感はナイーブ派というよりもアウトサイダー・アートである。家光の絵は一部でけっこうウケているようで、府中市美術館でも何度か取り上げているらしい。

 しかしこういう絵があればピカソの大作のインパクトも霧散化されてしまうとは思った。

 

 そして今回の企画展の一方の主役、「かわいい」ですべてをもっていくのが円山応挙の「狗子図」である。

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『雪中狗子図』(円山応挙) 個人蔵 

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『雪中三狗子図』(円山応挙) 個人蔵 

 個人的には応挙のかわいいよりも、宗達のよくみると不気味の方が好きである。

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『狗子図』(俵屋宗達) 個人蔵

 かわいい絵柄ではあるのだが、顔の表情が虚ろというか不気味系である。こういう絵、現代のマンガでもあったような気がする。

 

 ぶっちゃけ動物ならなんでもいいのか、動物が描かれているといってもこの絵はないだろう的な突っ込みをいれたいものもあるかもしれない。でもそれも含めて今回の企画展の魅力といってもいいかもしれない。出品意図、展示意図もぶっちゃけ少々ゆるい。でも、そのゆるさが割と心地よい。そういう企画展だ。

 真面目に考えれば、動物画なんだし、もう少し近代日本画の部分にスポット当てる必要もあっただろうと思ったりもする。とにかく動物画なのに竹内栖鳳が1点もないのだから。同様に動物画が売りでもあった山口華楊もないし上村松篁や西村五雲なども。

 西洋絵画という点でも例えば今休館中の西洋美術館でセガンティーニの羊、レジェのニワトリとか面白かったかも。大原美術館セガンティーニがあってもいいかも。

 まあこういうのは挙げていけばキリがないし、取り合えず知っている絵をひけらかすようで無粋なことだとは思う。公立美術館の企画展で入場料1000円と格安でかつ200点近い作品を集めていることは素晴らしいと思うし、とにかく楽しい企画展になっている。

 少し残念だったのは、撮影禁止はいいとしても、館内でのスマホの使用が禁止されていること。フェリックス・ブラックモンの版画が1点展示してあり、その名前に聞き覚えがあった。たしかマリー・ブラックモンの夫だったかと確認のため検索しようとしたら、すぐに監視員の方に注意された。念のため、この人マリー・ブラックモンのご主人でしたっけと聞いてみたけど、判りませんと。まあ監視員の方にそれ求めてもしかたないのだけど、検索くらい出来てもいいのではと思ったりした。

 帰って確認するとフェリックス・ブラックモンは19世紀後半から20世紀にかけて活躍した版画家、陶芸家。奥さんのマリー・ブラックモンはカサット、ベルト・モリゾエヴァ・ゴンザレスとともに女流印象派画家として活躍した人でした。この人についてはアーティゾンで絵と解説を読んだ記憶があって、そのことが片隅に残っていた。

 この企画展は今秋開催される各地の企画展の中でもかなりレベルが高いものだと思う。自分は多分最低でももう一度後期展示を観に行くことにするつもりでいるけど、前期展示ももう一度くらい足を運ぶかもしれない。

豊田市美術館「モンドリアン展」

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Toyota Municipal Museum of Art 豊田市美術館

 京都からの帰り、豊田市立美術館に寄ってみた。

 ピエト・モンドリアンもといピート・モンドリアンの回顧展は東京でもSOMPO美術館で3月から6月にかけて開催されていたのだけれど見逃してしまった。豊田で開かれているというのでなんとか行きたいと思っていた。都内で開催されていた企画展を見逃して地方で観たというのは、以前マグリットを京都まで追いかけて以来だろうか。

 ピート・モンドリアンに関心をもったのは2014年に六本木の国立新美術館で開かれたチューリッヒ美術館展でだったと思う。その時には確かパウル・クレーの作品の後にまさに抽象画としてカンディンスキー、レジェらとともに展示してあった。この作品だったと思う。

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『赤、青、黄のあるコンポジション

 面白いなとは思った。正直、理解は不能だけどキレイだし、デザイン的だとは思った。その後、『ブロードウェイ・ブギウギ』などを画集等で観て、リズムや音楽的などと通り一辺倒に理解していた。

 そのうえで今回の大きな回顧展である。キャリア初期の具象的な風景画からヤン・トーロップの影響で点描に挑戦。その後、キュビスムに傾倒し、次第に抽象性を帯びた多面性から線による分割に、そのいきついた先が原色の面を直線によって分割させたコンポジションという作品群ということになるらしい。

 しかし解説等を読んでも正直今一つわからない。ただキャリア初期の具象的な風景画からの様々な試行の足跡を観るにつけ、苦労したというか試行錯誤を続けていったのだということはわかる。それにしても彼の具象的な風景画はえらく凡庸でもある。これはあまり売れなかっただろうなと適当に想像してしまう。

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『乳牛のいる牧草地』

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砂丘Ⅲ』

 そしてキュビスムへ。

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『女性の肖像』             『コンポジション木々2』

 そしてそして・・・・・。

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 さらにそしてそして代表作登場。

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『大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション

 結論的にいうと、結局凡人の自分にはまったくわかりません。凡人的な適当な考えをいえば、売れない画家が自分の表現手段を様々に模索し、出来ればそれで売れるようになりたいと、点描、キュビスムなど様々な表現方法にチャレンジ。その先でたどりついたのが幾何学的な色面による抽象絵画。そうしたらこれが当たって、最後はアメリカに渡って抽象絵画の巨匠として取り扱われ、めでたしめでたしみたいなことではないかと、そんな風に思っています。

 画力は多分ある人なんでしょうが、いかんせん具象的な風景画はこれはあきませんという感じだ。その良さを誰かプロに解説してもらったとしても、やっぱり凡庸という印象は拭いきれないかも。

 『コンポジション』を中心とした抽象画については、キレイで面白いしデザイン的。そういう意味では先進性があったと思う。今の商業アートの潮流の中では逆にクラシックな感じで評価され続けていくのだろうとは思う。

京都国立近代美術館

 上村松園京都市京セラ美術館の後、多少時間があったのではす向かいの京都国立近代美術館にも寄ってみる。まあ次いでといっては失礼なくらいコレクション充実しているMOMAKである。ここに来るのも2回目くらいか。

 閉館まで1時間と少し、受付で企画展と常設展どちらにしますときかれ、欲張りな自分は当然両方と答える。京都にはたまにしかこれないし、わずかな時間でもと思うのは人情というものではないか。

 とはいえ時間の都合もありコレクション展はA西洋近代美術作品選とB明治・大正時代の日本画だけにする。まず西洋近代美術作品、ブーダン『アントウェルベン、スヘルデ川の船』、シスレー『ブージヴァルのセーヌ川』、シニャック『サン=トロペ、岬』、マルケ『港のクルーズ船』の4点に圧倒。いずれも寄託作品らしいが、なかなかの良作。ブーダンは相変わらずのブーダン。特にマルケの作品は良作だと思った。

 明治・大正の日本画も、さすが京都だけに大家の作品が目白押し。山本春幸、竹内栖鳳、福田平八郎、富岡鉄斎、富田渓仙、川合玉堂、大観、春草などなど。ぱっと見するにはもったいない作品ばかり。

 

 名画、良作に後ろ髪惹かれながらも下の階で開催されていた企画展にも顔を出す。

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発見された日本の風景 美しかりし明治への旅|京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyoto

 ビゴー、ワーグマンなど明治初期の横浜から広まった日本の風景画、風俗画を集めた企画展だ。五姓田芳柳、五姓田義松、小山正太郎、五百城文哉といったお馴染みの名前、作品の中に満谷国四郎の名前が。あの平面的というか独特な装飾性のある満谷が写実的な風景画を描いている。あとで調べるともともと満谷国四郎は五姓田芳柳に師事し、小山正太郎の私塾で勉強したのだと。なるほどなと思った。

 いずれの作品も日本洋画草創期の作品であり、技術はある意味借りもの、習作的な形で洋画によって日本の風景や風俗を描いたものばかりであり、芸術的かと問われればそこそこのという答えになってしまうし、美的にどうかとなると微妙となる。実際に写生されたものか、あるいは写真を基に描いたものかもわからないような気もする。

 この手の作品は写真や絵葉書の類と同じく、横浜に来た外国人相手のスーベニアだったのかもしれないなと思ったりもする。

 そんな中で笠木次郎吉の作品が多数展示されている。ざっと数えると12点くらいある。写実性とどことなくフランス近代のアカデミズム派的な技法も散見される。笠木って誰?という感じである。

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『提灯屋の店先』(笠木次郎吉)

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『牡蠣を採る少女』(笠木次郎吉)

 水彩の作品なんだが、画力、構図ともにかなりレベルが高い。ゆっちゃなんだが、山本芳翠の作品、例えば『浦島』なんかよりも情緒性も豊かな表現だと思ったりもする。

 笠木次郎吉についてはほとんど知られていないようで、作品のほとんども散逸しているのだという。

J.Kasagi - かさぎ画廊 Gallery Kasagi

 この画廊のオーナーは笠木次郎吉のお孫さんなのだとか。明治期初頭、無名ながら異彩を放つ作品を描いた祖父の絵や情報の収集を行っているという。こういう縁もあるのだと思う。

無名の画家笠木治郎吉の奇跡 | かさぎ画廊ぶろぐ Gallery Kasagi Blog

 

  この企画展「発見された日本の風景」の会期は10月31日までという。機会があえばもう一度行きたいと思う。出来ればもう少し時間をかけて観たいと。

「上村松園」展

 急遽、「上村松園」展を観に行くことにした。

 上村松園 | 京都市京セラ美術館 公式ウェブサイト

  もともとお盆の間に行くつもりでいたのだが、コロナ禍緊急事態もあり延期。緊急事態宣言明けに予定を順延したら、9月12日に閉幕に間に合わないということになってしまた。諦めようかと思ったけど、これだけ大規模な回顧展もしばらくないだろうと思い急遽行くことにして宿をとった。まあ行き帰りとも車だし、他の観光をするつもりもないし、自分も妻もワクチン2回接種済みだということで。

 朝6時半過ぎに家を出て京都に着いたのは1時過ぎ。途中数回のトイレ休憩と軽食をとったくらい。岡崎公園駐車場は閉鎖されているのでみやこめっせの駐車場に止める。

 京都市京セラ美術館はリニューアルしてからは2回目。

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 総展示点数106点という大規模な回顧展だが、前期展示のみ38点、後期展示のみ43点、しかも前期、後期もさらに細かく展示期間が区切られていて10日足らずの展示となっているものも4点もある。最低でも2回来ないと全貌が観られないというのがちょっと。2ヶ月足らずで2回京都まで足を運ぶのはちょっとハードルが高い。一見すると後期展示のみ43点、おまけに『序の舞』の展示もあるということで、後期の方がお得な感もあるけど、『砧』も観れない、『焔』も観れない、『母子』も観れないというのが少し残念。『母子』は近代美術館収蔵だけど、これまで一度もお目にかかっていない。近代美術館にはもう20回くらい行っているはずなのに、こういうのは星廻りの悪さとしかいいようがない。重文『序の舞』は前に藝大美術館で観ているし。

 

 上村松園美人画は、表層的な女性らしさではなく、女性の内面性、内面の強い意思と気品といった理想型を描いたとされる。いわゆる内面性を重視した主観表現、心理描写を展開したという。風俗画としての美人画ではない緊張感をはらんだ絵は、男性が求めるような女性の柔らかさ、淑やかさとは異なる部分があり、それは例えば「凛とした」というような言葉で表される。

 若い娘を題材にした一見風俗画的絵でも、女性的な視点がつらぬかれ、男性的な視線からの覗き見的な部分がない。個人的な感想でいえば松園の美人画はエロくないのだと思っている。そこが鏑木清方伊東深水とは異なる部分ではないかと。鏑木や伊東の美人画には、女性の淑やかさ、弱弱しくて抱きしめたくなるようなそういう明らかに男が描く女性像を体現した部分がある。そういう部分が上村松園にはない。

 浮世絵の頃から美人画は、基本的に男性によって消費されてきた。男の目を楽しませる、欲望を満たすそういう商品だったのではないかと思う。今でいえばピンナップ・ガール、グラビアアイドルみたいな部分だ。当然、ポーズや姿態は男の欲望をそそるような幻惑的なものになる。

 画壇自体が基本男社会だったなかで、颯爽と現れた早熟な天才少女画家は、その画力によって時代を築いていった。生涯独身、母と姉と長く暮らしてきなかで彼女が女性に対して注ぐ視線は、あくまで女性としての親和性だった。そこから女性の内面や理想型の追求と、まあそういうことに繋がっていったのだと思う。

 キャバレー王として一世を風靡し、日本画のコレクターとしても名高い福富太郎は、美人画の中でも上村松園は苦手だと述べている。

「私はどうも松園の美人画にのめりこむことができない。江戸っ子の私には京女のはんなりとした美しさが理解できないだけなのかもしれないが」

「コレクター福富太郎の眼」展図録 P85

 自ら女好きを自称し、キャバレー経営者として沢山のホステスと接してきた福富太郎は女性の美もその裏にある実際的な肉体も知り尽くしている。そのうえで彼は男を幻惑する女性の美に惹かれていたのだと思う。しかし「女好き」福富には、上村松園の絵にそういうものを感じることができなかったのだと思う。平たくいえば福富太郎上村松園の絵に「萌える」ことがなかったのだと。

 

 

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『四季美人図』

 四季の移り変わりを女性の一生になぞらえた作品。この作品は1982年頃(松園17歳)に制作されたものだが、もともとは15歳の時に内国勧業博覧会に出品され一等を受賞、英国皇子の買上げになったものと同じ画題である。当時、天才少女と話題になった作品だとか。そのためこの主題で依頼されることが多かったという。若々しさがありつつも、いわゆる習作の域を超えた作品だと思う。

 

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『姉妹之図』                『姉妹三人』

 1903年の作品、一冊の和綴じ本に見入る三姉妹の図。着物の柄や髷から年齢が描き分けられていて、奥から長女、次女、手前に三女ということがわかるようになっているという。一見して京都の裕福な家の三姉妹の優美さみたいなものが感じられる。

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『月影』 1908年

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『化粧の図』 1914年
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『月蝕の宵』 1916年

 かってな思い込みかもしれないが初期からこの頃までの上村松園の線は割と太いような気がする。輪郭線がくっきりはっきりしているような感じだ。ごく初期の頃は、最初の師匠でもあり、松園の人生にいろいろな意味で影響のあった鈴木松年の豪放な筆の影響もあったという話もきく。

 『月蝕の宵』の右隻の女性は松園の弟子でもあった九条武子をモデルにしていると伝えられている。九条武子は西本願寺法王の次女で、男爵九条良に嫁ぎ、後に歌人、教育家として知られた。松園は彼女の人柄や振る舞いに尊敬の念を抱き、理想の女性と考えていたという。その横顔は実際の九条武子に似ているといえば似ている。

九条武子 - Wikipedia

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『鼓の音』  1940年

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『志んし』 1941年

 多分、この2点が今回の回顧展で一番惹かれた作品かもしれない。円熟期にあって線は自在であり、細く繊細さを増しているような気がする。

 「しんし」とは、洗った布や染色した布を乾かすときに、織り幅が縮まるのを防いで布の幅を保つよう布を伸ばすため、布の両側にかけ渡して張る両端に針のついた竹製の細い棒のことと図録にある。ここではしんしに布を取り付ける作業「しんし張り」をする若い娘の真剣な姿が描かれている。戦時下の働く若い女性の姿を古典的な理想形としてとらえたものだ。

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『初夏の夕』 1949年

 1949年6月松坂屋現代美術巨匠作品鑑賞会展に出品された上村松園最後の作品。この二か月後の8月27日に肺癌のため松園は没している。

 

 この大回顧展は12日で終了する。これだけの大規模な上村松園展はこの先いつ観ることができるのかどうか。願わくばこの回顧展が東京でも行われると嬉しい。生きている間にもう一度この規模の回顧展、観ることできるだろうか。

姫路のマティス「松方コレクション」か

 朝日の夕刊7面にこんな記事があった。

 デジタル版で検索するとほぼ同様の記事が8月25日にも出ている。

姫路のマティスは松方コレクションか 不明の絵と一致:朝日新聞デジタル

 姫路市立美術館が所蔵するアンリ・マティスの「ニース郊外の風景」が松方幸次郎によって蒐集された「松方コレクション」だった可能性があるという。記事によると姫路市内の外科医国富奎三氏が1977年にロンドンのサザビーズのオークションで落札した作品だという。国富氏はほかの蒐集品とともに1994年に姫路市立美術館に寄贈したという。

 2018年に松方コレクションを撮影した多数のガラス乾板が2018年にフランスで発見され、その中の「木陰の女たち」という作品の絵柄が「ニース郊外の風景」と同じだというのだ。松方コレクションについて詳しい西洋美術館の陳岡めぐみ主任研究員は現時点では直接確認がとれていないが「同じ作品である可能性が高い」と話しているという。

 また8月25日の記事では落札した国富医師は「購入したときの競売前の内覧会で『この作品は松方が所有していた』と耳打ちされたと話している。

 朝日夕刊の記事によると松方コレクションにあった「木陰の女たち」はマティスが1918年に制作、松方が21年にパリの画廊で購入して40年頃に売却したとされている。

 これについては2019年に開催された「松方コレクション展」の図録のマティスの作品「長椅子に座る女」の解説に興味深い記述がある。

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ドイツ軍のパリ侵攻を前にした1940年初め、松方からコレクションの管理を託されていた日置釭三郎はフランス北部の寒村アボンダンの自宅へ作品を疎開させる。日置は保管や疎開のための諸経費を捻出するため、松方の許可を得てコレクションの一部を売却した。1940年頃にボナール5点(M69-M73)、ブーダン1点(M89)、マティス6点(M728-M733)が、その後、ゴーガン(M501)、マネ(M691)、モネ6点(M784-M787、M789、M790)も売却された。この時期に美術品を購入できたパリの画商はそう多くはないはずで、売却先は、作品疎開にも関係したパリの画商アンドレ・シェーラーかその周辺の画商たちだろう。

図録P258

 松方コレクションの疎開に腐心した日置釭三郎については、松方コレクションを題材にした原田マハの『美しき愚かものたちのタブロー』にも描かれていた。なんとかして松方コレクションを保管し続けるために努力したが、心ならずもその一部を売却することになった。多くのコレクションを守るためにある種犠牲となった作品、その中の一つがその後多くのコレクターの手を経て今姫路にある。そういう可能性があるということのようだ。

 

 名画とそのコレクター遍歴はある種のドラマ性を有している。絵自体の美とは別にそうした背景、それはある部分歴史性をも帯びているのだと思うが、それらに思いをはせながら鑑賞するというのも楽しいことかもしれない。いつか機会があったら姫路でマティスに絵を観てみたいものだ。

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サトエ記念21世紀美術館再訪

 車で1時間弱、ご近所美術館サトエ記念21世紀美術館に行って来た。

 6月にも行っているが、開館20周年記念のコレクション展の最終日ということもあり、もう一度観ておきたいと思った。特にこの美術館は田中保のコレクションが充実しており、今回の企画展でも10数点展示されていることも理由の一つ。

 いつものとおり、圏央道から東北道に入ってすぐの加須インターで降りて埼玉平成大学を目指す。いつも閑散としている道が大学近辺で車でえらく混雑している。大学前を右に曲がるとすぐに美術館の駐車場があるのだが、その前も車が数珠つなぎになっている。車の他にも、大学正門前には中学生くらいの子が多数いる。よく見ると北信テスト会場の張り紙が。あ~、あの模擬試験か。

 埼玉以外の人にはわからないと思うが、北信テストは埼玉の進学を目指す中学三年生は必ず受ける模擬試験である。なんなら私立高校は北信テストの成績で内定をもらえるというユニークな模試である。しかし民間のやっている模擬試験結果が進学の可否を決めるというのもなんなんではあるが、埼玉県民はそれを普通に受け入れている。うちの子どもも夏休みの塾合宿で頑張ったおかげで夏休み明けの北信テストに奇跡的にいい成績をとり、それでまあ中の上の高校の内定とりつけた。なので北信という文字を目にするとその頃の記憶が蘇ってくるという恐ろしい模擬試験である。

 まあよいと、永遠の中二病の子どものあまり思い出したくもない受験時代のことを払拭させて美術館のことである。雨模様のどんよりとした天気だったが、美術館に着いたときは雨がやんでいた。

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 まずは入ってすぐの吹き抜けのホール。丸太を組んだ柱と梁がいい感じの雰囲気をだしているて、ロダンルノワール萩原守衛らの美しい彫刻が多数展示してある。

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 そしてまずはこの美術館のウリの一つでもヴラマンクの間で6~7点展示してある。

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 この美術館で著名な海外作品はヴラマンクモイーズ・キスリング、エミール・ベルナール、ジャン=ポール・ローランスなどが有名。特にヴラマンク、キスリングは多数コレクションされている。そしてヴラマンクの影響を受けた里見勝蔵、さらにヴラマンクユトリロに影響を受けた荻須高徳らの作品も多数コレクションされている。フォーヴィズムやエコール・ド・パリ系が多いのは創設者の趣味だろうか。

 そのヴラマンクの部屋の奥の間には浮田克躬の作品が多数展示されている。

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『旧港の船溜まり』(浮田克躬)1977年

浮田克躬 :: 東文研アーカイブデータベース

 やや俯瞰から西洋の都市を構築的に捉えた作品と紹介されている。絵具を塗り重ねた重厚なマチエールというが、何となく俯瞰からの遠景を描いた佐伯祐三みたいな趣を感じる。

 そして次の間では荻須高徳や里見勝蔵が。さらにその奥の部屋では田中保の作品が15点展示されている。

田中保 - Wikipedia

 田中保は、10代で旧制中学を卒業後、単身アメリカに渡り独学で絵画の修行を重ね一定の成功を得る。そして1920年、34歳の時にパリに移住して成功を得る。ほぼ同時期に藤田嗣治がパリの寵児として活躍していた。その後、戦争の動乱期に藤田は帰国したが、田中保はそのままパリにとどまり1941年ドイツ軍占領下のパリで病没している。

 藤田と田中、エコール・ド・パリ派として1920年代にパリで活躍した日本人画家、この二人に交流があったのかどうか。ググった限りではあまり資料等がでてこないが、実際はどうだったのだろう。極東の地の若い画家二人が、フランスの地で活躍をしているのだから、何ら交流がないということはあり得ないと思うのだが。

 藤田は帰国後戦争画を描き、それがもとで戦後、戦争協力者のように扱われ糾弾される。そのことに嫌気がさし、日本を離れフランスに戻り帰化する。一方、田中保は18歳で日本を離れ、アメリカ、フランスと渡り歩きそのまま一度も日本の土を踏むことなくパリで没する。田中は完全に異邦人として生きた画家人生だったようだ。

 試しに田中保のことを書いた本はないかと調べても、どうも自費出版的な小説が1点あるだけで(『知られざる裸婦の巨匠 田中保』)、伝記のようなものも見当たらない。日本画家の作品がほとんどない西洋美術館には田中保の作品が1点だけ収蔵されている。

田中保 | 裸婦 | 収蔵作品 | 国立西洋美術館

https://core.ac.uk/download/pdf/53105885.pdf

 美術館建設を夢見て西洋作品の蒐集に務めた松方幸次郎が唯一買い入れた日本作品ん。まあ実際に入手を勧めたのはブラグインなのだろうが、田中保は西洋の名画の一つだったということだ。

 

 もともと埼玉県出身の画家ということもあり、田中保の作品は埼玉近代美術館とこのサトエ記念21世紀美術館が多く収蔵している。おそらくサトエ記念美術館には20点近くがあるはずなのだが、その中から今回は15点が出展されている。「裸婦のタナカ」の神髄のいったんを垣間見れるような感じで堪能できる。今回の企画展はこの日が最後で終了となってしまうが、次はいつお目見えできるのだろう。

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 絵葉書からスキャンした画像だが、田中保の裸婦像はエロティシズムと美学の境界線上を揺れ動くような視点が感じられる。

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『自室にいる裸婦』(田中保)

 縦長の画面はちょっとピエール・ボナールを想起させ親密な雰囲気。女性のベッドでの仕草を覗き視るようなちょっとしたエロティシズムを感じさせる作品。

 

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『長椅子の裸婦』(田中保)

 流れるような構図と赤いガウン(上掛け)と白い肌の対比。壁や長椅子の装飾性。美しい絵画だと思う。

 

 サトエ記念21世紀美術館は彫刻作品が多数点在する庭園もまた美しい。この庭を歩くだけでも心和らぐような面持ちになる。

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 風をテーマにした加藤豊の作品。

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「風」 (加藤豊)          『風にまう』 (加藤豊)

加藤豊 - Wikipedia

彫刻家 加藤豊」

 躍動的な感じがする。ふだん彫刻にはあまり食指が動かないのだが、加藤豊の作品、特に『風』には美しさを感じる。

 

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『杏』(船越保武)

 竹橋、近代美術館の『原の城』の船越保武だ。『原の城』の印象が強いので、この人の作品は正面からの正像という印象が強い。よくみると方掛けの薄い布に覆われている。この表現は同じ近代美術館の新海竹太郎『ゆあみ』を連想させる。